以前に掲載したコラム「パソコン入門・中編」のパソコンの歴史でも少し触れましたが、レトロパソコンの歴史を詳しく解説したいと思います。
このコラムで紹介するレトロパソコンについての定義ですが、70年代~80年代に発売されたホビー向けパソコンとします。メーカーがビジネスユースをターゲットとして発売してもホビー目的にも使われたPC-8800シリーズやPC-9800シリーズのようなものは含みます。
また、8ビット CPUを搭載していてもシャープのMZ-3500やEPSONのQC-20/10のように高価なビジネス向けモデルでホビー向けにあまり使われなかったと思われる機種は省きます。
暇つぶしに思いついたコラムなので気軽に読んで下されば幸いです。
70年代~80年代のパソコンのCPUは、大きく分けるとインテル系とモトローラ系に分かれます。
まずは、インテル系CPUの解説から始めたいと思います。
当時のパソコンで最も多く使われた8ビット CPUは、米ザイログ社のZ80です。
ザイログ社は、インテルの社員が起業した会社であり、インテルでi4004やi8080の開発に携わった日本人技術者、嶋正利氏もザイログ社の設立やZ80シリーズの開発に関わっています。(嶋氏は、元々日本のビジコン社の社員で電卓用プロセッサの共同開発にインテルへ派遣されi4004を開発したそうです。i4004が画期的だったのは、当時のコンピュータの制御装置や演算装置は複数のチップを組み合わせて動作させるのが常識でしたが、それを一つの汎用プロセッサとしてまとめたという点です)
Z80はインテルのi8080の拡張版といえるCPUでi8080との互換性がありました。NECやシャープをはじめとした日本企業もZ80のセカンドソースや互換CPUを生産していました。
当時、Z80が搭載されていたパソコンを挙げればきりがないのですが、NECの8ビットPCシリーズ、シャープのMZ・X1シリーズ、MSX、東芝のパソピアシリーズ、ソニーのSMC-70/777、三菱電機のMULT8、ソードのSORD M5など、富士通や日立以外のメーカーは、8ビット機ではZ80を搭載したPCをメインに作っていました。松下通信工業のJR-100/200は、モトローラ系の互換CPU(JR-100は、MC6800互換CPUである富士通 MB8861、JR-200は、MC6802相当の松下 MN1800A)でしたが、JR-300では、Z80を採用(JR-200互換モード用にMN1800Aも搭載)しています。
アメリカの8ビットホビーパソコン市場では、意外とZ80を搭載したパソコンは少なく、世界で一番売れたホームコンピュータであるコモドール64は、モステクノロジーMOS6502の発展型であるMOS6510を採用していました。Apple I/IIやAtari 8ビットシリーズもMOS6502でしたし、当時の日本でも有名なアメリカの8ビットホビーパソコンでZ80を採用していたのは、タンディ・コーポレーションのRadio Shack TRS-80くらいでしょうか。TRS-80シリーズでもよりホビー向けのカラーコンピュータ(CoCo)では、モトローラのMC6809を採用していました。
イギリスでは、シンクレア・リサーチ社のZXシリーズ(ZX80/ZX81/ZX Spectrum)やアムストラッド社のAmstrad CPCなど、8ビットパソコンの多くがZ80を採用していました。
ちなみにZ80を搭載するMSXを始めとした家庭用テレビに接続するゲームパソコンの多くが3.58MHz(正確には、315/88=3.57954…MHz)というクロック周波数なのは、NTSCのビデオ信号が関係しています。任天堂のファミリーコンピュータがその1/2のクロック周波数なのもビデオ信号と同期するためです。NTSCは、北米や日本で採用されている方式ですが、ヨーロッパ等ではPALという規格です。ですから、ヨーロッパ向けのパソコンではクロック周波数が違うものがありました。PALの周波数は、4.433619MHzですが、MSXなどでは、NTSCモデルとほぼ同じ約3.54MHzでした。PALの信号を4/5に分周していたようです。
では、当時のシェア(市場占有率)の大半を握っていた名8ビット CPU Z80の祖となったi8080はどんなパソコンに搭載されていたのでしょうか。
i8080は、1974年に発表されたコストパフォーマンスが高い8ビット CPUで黎明期のパソコン市場を発展させた立役者と言っても過言ではないかと思います。
ちなみにインテルは、1971年にi4004をリリースした後、i4040という4ビットCPUを開発、その後、1972年に8ビットCPU 8008をリリースしています。
i8080は、日本では、NECのTK-80や東芝のEX-80などのワンボードマイコンや国際データ機器のpasona-1に採用されていました。
海外では、世界初のパソコンとして有名な米MITS社のAltair 8800や米Processor TechnologyのSol-20(S-100バス互換機です)などがi8080を採用していました。
その後、インテルは、1978年に16ビットCPU Intel 8086(i8086)を発表しました。
i8086は、i8080のアーキテクチャを16ビットに拡張し、アドレスバスも20ビットに拡張されました。
このCPUは、i8080とソースレベルで互換性があります。
データバスは、16ビットです。20ビットのアドレスバスを持つということは、1Mのメモリ空間を扱えますが、i8086はセグメントレジスタというアドレス変換のための16ビットレジスタを持っていました。そのため、プログラム内で通常使われるアドレスは、16ビット幅なので一つのプログラムで使えるメモリは基本的に64KBです。当時は、1つのプログラムが64KBでも十分でした。
セグメント機構は、マルチタスクのために用意されたようですね。当時は、そんな話は全く知りませんでしたが、インターネットで調べるとそういう情報があります。
しかし、i8086には、i80286のプロテクトモードのようにメモリ保護の機能があるわけでもありませんし、i80386のようにハードウェアがコンテキストスイッチをサポートしているわけでもありません。(ただし、Windowsを含む現在主流のOSでもハードウェア・コンテキストスイッチの機能を使っているものはありませんが・・・)
当時、i8086を採用していたパソコンは、ビジネス用パソコンばかりでした。
PC-9800シリーズは、日本で大成功したためホビー用途にも使われましたが、基本的にビジネス向けのパソコンです。
また、i8086には、Intel 8088(i8088)という廉価版CPUがありました。
IBM PCに採用されたことで有名なCPUです。このCPUは、i8086の外部データバスを8ビットに変更しています。
こういった変更は、当時のCPUではよく見られました。
モトローラのMC68000にもMC68008という8ビットバスCPUのファミリーがありますし、ぴゅう太に採用されたTMS9995もTMS9900のデータバスを8ビットにしています。(TMS9995の場合は、高速なメモリを内蔵することで性能低下を防いでいます)32ビットCPUでもIntel i80386SXは、32ビットCPUから外部データバスを16ビットにダウングレートしたものです。アドレスバスも24ビットになっています。これは、MC68000と同じ(内部バス32ビット、外部バス16ビット、アドレスバス24ビット)ですが、アプローチが逆になっているのが面白いですね。ちなみに後継の486SXは、浮動小数点演算コプロセッサがi486DXに対してオミット(削除)されているだけで、外部データバス等は32ビットのままです。
1982年には、アドレスバスを24ビットに拡張し、メモリ保護などの機能を提供するプロテクトモードを実装したi80286を発売しました。このCPUは、プロテクトモードで動作させると16MBの物理メモリ(セグメント機構は健在のため、MC68000のように16MBのメモリ空間へリニアにアクセスすることはできません)と1GBの仮想メモリを利用でき、プロセスやメモリ保護の機能が使えるため、マルチタスクに向いたCPUとなります。
i80286は、工業/制御用プロセッサとして開発されたようです。インテルとしては、パソコン向けには、iAPX 432という32ビットプロセッサを開発していました。しかし、iAPX 432は、機能を盛り込み過ぎたためか速度が出ず、i8086との互換性も無かったため、当時のアメリカ市場でデファクトスタンダードだったIBM PCの後継機 IBM PC/ATは、i80286をCPUに選択しました。そのため、工業/制御用プロセッサとして開発されたi80286が多くのパソコンに搭載される状態になったようです。
また、i80286は、CPUチップ単体ではシステムを構築することができない(メモリやI/Oをつなぐこともできない)ため、周辺チップを包括したものがiAPX286と呼ばれます。
i8086との互換性を重視したリアルモードでは、メモリ空間が1MBに制限され、メモリ保護等の機能も使えませんが、実際には、殆どのパソコンがi80286をリアルモードで動作させる前提で設計されていたため、高速なi8086機のためのCPUとなってしまいました。当時主流だったMS-DOSがプロテクトモードをサポートしていなかったことが大きいでしょう。そんな中で1987年に発売されたシャープのMZ-2861は、i80286をプロテクトモードで動作させるために設計されていたようです。(勿論、PC-9800シリーズのようなMS-DOSで利用することを前提としたパソコンでプロテクトモードが利用できないわけではありません)プロテクトモードで実行されたi80286は、ライバルのモトローラMC68000よりも高速に動作したようです。(MC68000の8MHzが約1MIPSだったのに対して、i80286の12.5 MHzが2.66MIPSと同一クロックでは、MC68000の2倍近く高速でした)上位CPUのi386SXに対しても同一クロックで同じ構成のMS-DOSパソコンでは、i386SXよりもi80286のほうが高速に動作したとWikipediaには記述されています。
また、i80286と同時期にi80186というCPUが発売されていますが、これは、i8086に周辺ICを組み込んだ組み込みシステム向けのCPUです。パソコンでは、富士通のFM-16βに搭載されました。外部バスが8ビットのi80188というCPUもありますが、こちらはi8088に周辺ICを組み込んだi80186の8ビットバス版とも言えるCPUで1980年に出ています。
1985年には、32ビットのi80386を発売しました。このCPUは、完全な32ビットCPUで4GBの物理メモリと64TBの仮想メモリを扱えます。1988年にアドレスバスを24ビット、外部バスを16ビットに簡素化した廉価版のi80386SXを発売します。これにより、従来のi80386は、i386DXと呼ばれるようになりました。それに合わせてi80386SXもi386SXと呼ばれるようになっていきます。ちなみにこれは、アルファベット1文字と数字の組み合わせだけでは商標登録に問題があるからという理由もあったようです。しかし、i486の後継CPUをi586(もしくは、80586)で出すことにも問題が発生した(商標登録として認められないと裁判所の判決が出た)ため、i586ではなくPentiumという名称になりました。
インテルは、1989年にi80486を発売しました。このCPUは、L1キャッシュとFPU(浮動小数点演算処理ユニット)をCPU内に搭載しています。1991年には、FPUをオミットしたi486SXを発売。これに合わせて、i80486は、i486DXと呼ばれるようになりました。このとき、浮動小数点演算機能を追加する目的でi487SXも発売されましたが、このプロセッサは、従来のコプロセッサと違い、CPUと連携して動作するのではなく、CPUを乗っ取って動作(i487SXを装着するとi486SXは停止します)しました。そのため、i487SXとi486DXは内部的に同じものです。後にこの仕組みを利用したオーバードライブプロセッサ(ODP)が登場します。1992年には、内部クロックが倍で駆動するi486DX2とi486SX2を発売、1994年には、L1キャッシュの容量を倍にし、内部クロックがi486DXの3倍で駆動するIntelDX4が発売されました。この時にi486DX2やi486SX2をIntelDX2やIntelSX2と改称しました。この後のインテルの主力CPUは、Pentiumシリーズとなります。
因みにインテルは、x86系CPUの他にもiAPX 432、i860、i960といったCPUを80年代に開発しています。この系統は、後にStrongARM、XScaleといった携帯電話等の組込向けCPUへと発展していきますが、インテルは2006年にXScaleおよびその周辺チップ事業をマーベル・テクノロジー・グループ(Marvell)というアメリカの半導体メーカーへ譲渡しました。また、i960は、アーケードゲームの基盤などでも使われていたようです。
次にモトローラ系のプロセッサは、どういったものがあるのか見ていきましょう。
まず、モトローラ社のMC6800ですが、これはi8080と同じ1974年に発表されています。
ですから、i8080同様に黎明期のパソコン市場を発展させたCPUなのですが、印象としては、i8080より長命だったように思います。1982年に発売されたJR-200にも互換CPUが使われているくらいですからね。 インテル社のCPUが電卓用から発展したのに比べて、モトローラ社のCPUはミニコンなど大型機のアーキテクチャを参考にしていたためか、モトローラ社のCPU(モトローラ社では、MPUと称する)は、設計が高級(アドレッシングモードが豊富でポジションインディペンデント用の命令があったため、絶対アドレスを全く用いないリロケータブルコードのプログラムを組めました。これは、プログラムを主記憶の適当な場所に置いても実行できるということです。絶対アドレスで指定したプログラムでは、そういったことはできません)という印象があります。Z80とライバルだったMC6809は、その高機能さから究極の8ビット CPUと呼ばれていましたが、価格も高価だったようです。
とある資料によれば、70年代後半から8ビットプロセッサの価格は、劇的に安くなっていきましたが、1986年にMC6809はMOS6502の2倍以上の価格だったとのこと。(6809/6809E - $5.95、MOS6502 - $2.79)
MC6800系のCPUが搭載されていたパソコンとしては、日本では、日立のベーシックマスターシリーズ(レベル3からは、MC6809に変更)、松下のJR-100/200/300(JR-300は互換モード用)、古くは、アスターインターナショナル(ショップブランド)のコスモターミナルDなどです。海外では、Altair8800のMC6800版である米MITS社のAltair680、米SWTPC社(Southwest Technical Products Corporation)のSWTPC 6800 Microcomputer Systemなどがあります。
次に究極の8ビット CPUと言われていたMC6809ですが、主要8ビット CPUとしては、最後発の1979年に発売されました。オプションのMMUを付けると最大2MBのメモリに対応できるなど、16ビット CPU並の性能でした。
非常に高速な8ビット CPUだったのですが、CPUクロックがZ80より低かったため、カタログスペックを見ただけでは、遅そうに感じてしまうのが難点だったかもしれません。NECのPC-8801が4MHzだったのに対して、半年前に発売された富士通のFM-8は、1.2MHzでしたからね。カタログスペックだけを見るとPC-8801のほうが良さそうに見えます。また、シェアの高いZ80系パソコンにソフトが集中するため、ソフト不足になりがちでした。(ただ、FM-7は、非常にコストパフォーマンスが高かったためシェアは高かったようです)具体的には、PC-8800シリーズ用に開発されたソフトが、同じCPUのX1には移植しやすく、CPUが違うFM-7には移植しづらいということです。(CPU以外にもFM-7は、画面表示用のサブシステムを持つ移植しづらいユニークな設計でしたが、X1もVRAMをI/Oに持つというユニークな設計でした)
このCPUを採用した8ビットパソコンは、富士通のFM-8/7/77シリーズや日立のベーシックマスターシリーズ(レベル3以降、MB-S1含む)が有名です。どちらも当時の汎用コンピュータメーカーの大企業ですね。
海外では、米タンディ・コーポレーションのTRS-80 Color Computer(CoCo)シリーズが有名です。
モトローラの16ビットCPUには、シャープのX68000で採用されたMC68000があります。
このCPUは、MC6809の後継CPUのように思われがちですが、従来のMC6800系MPUとは互換性を考慮しないという設計思想で1976年に開発が開始されていますし、MC6809が発売された1979年にはサンプル出荷を開始しています。
モトローラのMPUは、インテル系のCPUと違って、基本的にI/Oポートを持ちません。その代わりにメモリ空間が広く取られているようです。
そのようにCPUのアドレス空間上にメモリと入出力機器を混在させる方式をメモリマップドI/Oと言います。それに対して、インテル系CPUのようにI/Oポートと入出力命令を持ったCPUで、入出力機器を分けて利用する方式はポートマップドI/Oです。ただ、これは実装の違いであって、I/Oポートを持ったZ80をCPUに使ったパソコンでメモリ空間にキーボードの入力を割り当てているTRS-80 model Iのような機種もあります。また、Commodore 64に使われているMOS6510は、MOS6502にI/Oポートの機能を追加したCPUです。
MC68000は、外部アドレスバスが24ビットなので、16MBのメモリ空間を持っています。i8086のようなセグメント機構も持たないため、16MBのメモリに自由にアクセスできました。これは、当時プログラマを志向していた私のような者には、憧れでしたね。
また、レジスタなどの内部アーキテクチャは、32ビットで設計されています。
そのため、MC68020以降の32ビット後継MPUには、上位互換が実現しました。
MC68000には、機能拡張したMC68010やアドレスバス20ビット・外部バス8ビットのMC68008というバリエーションもありました。
MC68000を採用していた、ホビーパソコンは、日本ではシャープのX68000シリーズです。海外では、米アップル・コンピュータ社のMacintoshシリーズや米コモドール社のAmigaシリーズ、米アタリ社のAtariSTシリーズなどがあります。MC68000の廉価版であるMC68008は、英シンクレア・リサーチ社のSinclair QLが採用していました。
モトローラは、1984年に32ビットのMC68020をリリースします。このMPUは、完全な32ビットCPUであり、MC68000/68010の命令セットも含んでいます。また、256バイトの命令キャッシュを搭載していました。アドレスバスを24ビットにした廉価版のMC68EC020も存在します。
1987年には、命令キャッシュ256バイトに加え、256バイトのデータキャッシュを搭載し、MMUも内蔵したMC68030をリリースしました。
1990年には、FPUを内蔵したMC68040を発売しています。命令キャッシュとデータキャッシュも4KBに拡張されています。
モトローラは、1994年にMC68060をリリースしますが、MC68050という型番のMPUはリリースされませんでした。MC68060は、MC68040とピン互換だったようですが、MC68040を発展させたものではなく、全くの新設計だったようです。そのため、同一クロックでMC68040より2~3倍の処理速度があったようです。しかし、同時期に発売されたPentiumプロセッサに対しては処理速度で劣っていました。
モトローラは、1988年にMC88000というRISCプロセッサを発表していますが、パソコンでの採用例はなく、1991年には、アップル・IBM・モトローラ(AIM連合)によるPowerPCが開発されます。
次に任天堂のファミリーコンピュータにも採用(リコーのカスタムチップです)されている米モステクノロジー社のMOS6502(モステクノロジーでは、セラミックパッケージ版をMCS6502、プラスチックパッケージ版をMPS6502と表記していました)ですが、このCPUの出自は、Z80に似ています。こちらは、モトローラ社の社員がスピンアウトして設立した会社で開発されたCPUです。そのため、MC6800をモデルにしています。Z80と違うのは、Z80がi8080の機能を拡張しつつ互換性を保ったのに対して、MOS6502はMC6800をかなり改造した構造になっていて互換性がありません。(モステクノロジーは、MOS6502の前にMC6800とピン互換のMOS6501を発表しましたが、モトローラに訴えられたため同時に開発していたMOS6502に置き換えたようです。ちなみにMOS6501はMC6800とピン互換のCPUでしたが、マシン語コードレベルでの互換性は無かったようです)MC6800では、16ビットレジスタがプログラムカウンタを含めて3本あったのに対して、MOS6502では、プログラムカウンタ以外は全て8ビットに簡素化されていますが、パイプライン機構が追加されているなど、高速化されています。モトローラ系のプロセッサは、インテル系に比べてレジスタが少ないため、MC6800ではダイレクトページアドレッシングモードでメモリの一部をレジスタのように使える設計になっています。(MC6809でもDPレジスタを使って、MC6800のダイレクトページアドレッシングモードを再現できます)
米テキサス・インスツルメンツ社のTI-99シリーズに使われているテキサス・インスツルメンツのTMS9900(このCPUは、16ビットです)もメモリをレジスタとして使用する仕様で、TI-99シリーズでは、256バイトの高速なスクラッチパッドメモリ(現在のCPUキャッシュメモリのようなもの)を持っていました(TMS9900のレジスタは、プログラムカウンタ、ワークスペースポインタ、ステータスレジスタの3つしかありません)が、それに近い構造かもしれません。TMS9900系CPUは、TIのミニコン用チップから発展した系統なので、似たような設計思想だったのかもしれませんね。
MOS6502系CPUを採用していたパソコンは、日本ではファミコンやPCエンジン等のゲーム機以外には、コモドールジャパン(アメリカ企業の日本法人ですから日本のメーカーと言えるかどうか・・・ただ、VIC-1001は、日本で開発されたようです)のVIC-1001くらいしか思い浮かびませんが、アメリカではアップル・コンピュータ社のApple I/II/III、コモドール社のPET 2001から始まる8ビットパソコン全て(MOSテクノロジーは、コモドールの傘下だったため)やアタリ社のAtari 8ビット・コンピュータ・シリーズ、マイナーなところではオハイオ・サイエンティフィックのChallengerシリーズなど、8ビットホビーパソコンのシェアの大半がこのCPUだったと言っても過言ではありません。
イギリスでもエイコーン・コンピュータのBBC Microが採用していました。
MC6800より簡素な構造なためか、価格も安かったようです。アップル・コンピュータ社のスティーブ・ウォズニアック氏は、MOS6502は、Apple IIが開発されていた70年代後半にMC6800の4分の1の価格だったとコメントしたことがあるようです。
では何故、日本のホビーパソコンでは殆ど採用されなかったのでしょうか?
80年代の日本の8ビットパソコン市場は、アメリカに比べると高級志向でNECのPC-8800シリーズのような20万円クラスのパソコンのシェアが高かったくらいです。また、TK-80をはじめとしたワンボードマイコンでアセンブラを学んだ人向けに開発するため、i8080と互換性のあったZ80のシェアが高かったのでしょう。
モトローラ系CPUでも、より高級なMC6809が採用される傾向にありました。
私の勝手な推測ですが、当時の日本のユーザーは、パソコンの勉強をするためにパソコンを買うという感じの人も多かったので、メーカーとしてもCP/MやOS-9が使えるCPUのほうが都合が良かったのではないかと思います。
他にも米ナショナル・セミコンダクター社のSC/MP(スキャンプ)や前述した米テキサス・インスツルメンツ社のTMS9900などマイナーなCPUも存在しました。
ちなみにSC/MPは、アップルならぬオレンジ(Orange)というパソコンで採用されていました。当時、雑誌の広告を見た記憶があるのですが、Apple IIの互換機だったのかと思って調べてみると、外観がApple IIに似ているだけで、SC/MP IIを採用した別アーキテクチャーのパソコンだったようです。Apple II互換機を取り扱っていたロビン電子が扱っていた(アドテックも取り扱っていたようです)というのも紛らわしいですね。また、Orange 2という1983年発売のApple II互換機もあったようです。
レトロパソコンには、家庭用テレビをモニタとして利用できるものと、RGBなど対応したモニタへ出力するものがありました。
家庭用テレビへの接続方法は、RF(Radio Frequency:無線周波数)接続とコンポジット接続がありました。
RF接続は、パソコンの映像信号をテレビ放送の信号に変換してアンテナ線から入力して、テレビ放送のチャンネルとして表示する方式です。映像信号をテレビ放送の信号に変換する装置をRFモジュレータと呼びます。これが、内蔵されているパソコンもあれば、オプション(周辺機器)として購入できるパソコンもありました。日本では、一般的にNHKの放送として変換されました。RFモジュレータには、セレクタスイッチがあり、NHKが1チャンネルで放送されている地域では、セレクタを2チャンネルにセットすることで、接続したテレビの2チャンネルでパソコンの画面が映ります。
コンポジット接続は、一般的に黄色のRCA端子のビデオケーブルでコンポジット映像信号を使って家庭用テレビと接続する方式です。コンポジット映像信号には、NTSC、PAL、SECAMの3方式がありますが、日本では、NTSC-Jという仕様の規格が使われます。
ビデオ入力のRCA端子が付いたテレビは、80年代の後半まで一般的ではありませんでした。80年代前半だと高級なテレビやビデオデッキにしか付いていなかった印象です。X1の専用ディスプレイ(CZ-800D)には、スーパーインポーズ用のビデオ端子が付いていましたが、当時は接続する機器が無かった記憶があります。ファミコン等もRF接続のみ(1986年にシャープが発売したツインファミコンには、ビデオ出力端子がありました)でしたし、1987年に発売されたPCエンジンもRF接続のみでした。おそらく、1987年頃に発売されていたテレビにはビデオ入力端子が付いていたと思いますが、すべての家庭にそういったテレビが普及していなかったのでしょう。
家庭用テレビに出力できるタイプのパソコンは、ラジオ等の電子機器と電波干渉を引き起こすため、特にアメリカでは連邦通信委員会(FCC)が厳しい規制を行いました。NECのPC-8001もオプションを使えば家庭用テレビに接続できる仕様でしたが、FCCの規格に準拠するために輸出版は、ケース内部に金網を張ったような構造だったようです。このようにアメリカへ輸出するパソコンには、同様の改造が施されていたと思われます。
米国内でのパソコンもその影響を受け、タンディ・コーポレーションのTRS-80 Model Iは、新たな電波干渉防止規格(1981年1月から施行)に適合できずに発売を中止しました。
また、シェア争いにも影響を与えています。テキサス・インスツルメンツのTI-99/4AとコモドールのVIC-20(VIC-1001の海外名)が熾烈な低価格競争を繰り広げていた時、VIC-20がボール紙をアルミホイルで覆ったものを電磁波シールドに使ってコスト削減をしていたのに対し、TI-99/4Aは、そういったコストダウンの努力をしなかったこともあり、市場から駆逐されてしまいました。VIC-20に比べTI-99/4Aは、性能も良く、一時はシェアの35%を占めるなど、一定の成功をしていたにも関わらず、コストダウン競争で敗れてしまったのです。
RGB接続は、大別するとデジタルRGBとアナログRGBに分類されます。
デジタルRGBには、8色のRGBと16色のRGBIがあり、TTL(Transistor-transistor-logic)レベルのデジタル信号(電圧・電流レベルがTTLロジックレベルのしきい値内の信号)で伝送されました。端子は、PC側が8Pinや6Pin(SHARP X1は6Pinでした)のDIN端子などでディスプレイ側は8Pinの角型デジタル端子が使われていることが多かったです。
アナログRGBは、RGB各色の波形をアナログ映像信号として伝送します。端子は、15PinのDA-15端子(2列配列)が多かったです。他にも21PinのアナログRGB端子が使われていることもあり、この端子はフランスで標準化されたSCART端子と同一形状ですが、ピン配列は異なります。SONY SMC-70/777は、独自規格の25PinアナログRGB端子でした。90年代に入るとDE-15(3列配列)のアナログRGB端子が主流となります。いわゆるVGA(Video Graphics Array。IBMがEGAの後継として、1987年に発表した表示回路規格)端子です。
また、映像出力には、水平同期周波数と垂直同期周波数というものがあり、解像度と密接な関係があります。水平同期周波数は、走査線1ライン当たりの周波数のことで、垂直同期周波数は、1画面の秒間書き換え回数(リフレッシュレート)です。
当時のRGBモニタ(ディスプレイ)には、水平同期周波数15kHz(200ライン)のものと、24kHz(400ライン)のものがありました。80年代後半になると31kHz(480ライン。VGAの解像度は、640x480ドットです)に対応したものが登場しています。X68000のモニタ(CZ-600D)も31kHzに対応しており、512x512ドットの表示が可能でした。(CZ-600Dは、私も持っていましたが、31kHzに対応していたので長く使えました)
画面表示の方法もパソコンによって様々な方式があり、興味深いです。
初期の日本のパソコンで多かったのは、メインメモリの一部をビデオメモリに利用する方式です。(共有ビデオメモリ方式)
しかし、メモリ価格が下がってきた頃には、専用のVRAM(Video RAM:グラフィックやテキスト用に使用するメモリ)を用意したバソコンが多くなりました。海外のホームコンピュータは、大半が専用のVRAMを持たずメインRAMの一部をビデオメモリとして使う方式でした。
一般的な8ビットパソコンは、基本的に64KBまでしかメモリを扱えないため、バンク切り替えという方法でVRAMとメインRAMを切り替えてアクセスする方法が一般的でした。恐らくX1に代表されるような、I/OにVRAMを置いていたり、FMシリーズのようにグラフィック用のサブCPUを使っていたり、MSXのようにVDPを使っているものを除いた8ビットパソコンの大半がバンク切り替えでメインメモリにVRAMを実装していたのではないかと思われます。
モトローラ系でもベーシックマスターシリーズは、メインメモリをバンク切り替えせずにVRAMを実装していたため、画面モードによってメインメモリの使える容量が変わるという仕様でした。レベル3以降に採用されていたMC6809は、MMUを使うことで(当時としては)大量のメモリを扱うことができるためだと思います。(レベル2以前は、基本的にテキスト表示がメインだったため、あまり影響を受けませんでした)後継のMB-S1でもVRAMをフリーエリアに使うことができる仕様だったようです。
次に前述したシャープのX1が採っていたVRAMをI/O空間に置いて、CPUからVRAMにアクセスする方式ですが、この方式のメリットは、メインメモリの64KBを常に使える(バンク切り替えの場合、切り替わっている状態ではアクセスできないメモリが発生する)ことや、テキストVRAMをメインメモリに置くPC-8001やPC-8801等では、VRAMの表示のタイミングでバス調停によるメモリアクセスウェイトが発生してしまい、メインメモリ自体のアクセスも遅くなってしまいましたが、この方式ではそういったことは起きません。ただ、I/O空間へのアクセスなのでメインメモリへアクセスするよりは、手続きが複雑なため結果的にアクセスが遅くなります。X1では、サイクルスチール回路(CPUとCRTCがVRAMへアクセスするタイミングをずらすことでCPUをできるだけ停止しないようにする方式。後にFM-77やPC-8801mkIISRでも採用された)を導入するなどの高速化が図られていたため、デメリットよりもメリットが大きかったようです。VRAMをI/O空間に置く方式を採用していた機種としては、X1シリーズの他にもSONYのSMC-70/777シリーズ、システムズフォーミュレートのBUBCOM80などがあります。
NEC、シャープと並ぶ御三家の一つである富士通のFUJITSU MICROシリーズは、何とメインCPUと同じCPUをサブCPUとしてグラフィック用に使うという贅沢な設計でした。
MC6809を2つ搭載してあの価格(FM-7が126,000円、FM-NEW7が99,800円)というのは、今から思えばかなりコストパフォーマンスが高かったのではないかと思います。
ただ、何故そんな勿体ないことをしているのかという裏を読まなければいけません。もしかしたら、VDPのような画面表示用カスタムチップの開発が間に合わなかったからというような理由だったのではないかと想像できます。(もしくは、その開発にかかるコストを嫌った)
というのも、グラフィック周りがあまり上手く実装されていなかったようなんですよね。メインCPUとサブCPUのやり取りをする共有メモリが小さく、そのメモリに片方のCPUがアクセスしている間は、もう片方のCPUが停止してしまうという仕様(FM77AVでは、メインCPUからもVRAMへアクセスできるよう改良された)で、テキストVRAMも存在しないという煮詰められていない設計だったようです。
グラフィックVRAMに文字を描画するわけですから、グラフィックの上に文字を表示するとその部分のグラフィックが消えたり、改行するとズレたりといった現象が起きたようです。
グラフィック用に汎用CPUを使った設計のパソコンとしては、ヤマハのYIS PU-1-20やカシオのFP-1000/1100などがあります。YIS PU-1-20は、メインCPUにYM2002(6502互換)、サブCPUは、グラフィック用に16ビットのZ8001を使っていたようです。価格もフルセットで軽く100万円を超えるようなパソコンでした。(高価ではありますが、ビジネスユースのパソコンではありません)
画面表示に専用のカスタムチップを用いた方式を採用している機種もありました。
日本では、ゲームパソコンと言われるような、家庭用テレビに接続できる低価格なパソコンがこの方式を採用していました。
現在では、GPUなどと呼ばれるものですが、当時はVDP(Video Display Processor)と呼ばれていました。(語源は、テキサスインスツルメンツのTMS9918などで使われ始めたようです)
TMS9918などのVDPは、スプライト機能と家庭用テレビへの出力機能を持つものが一般的でした。この方式を採用していたパソコンは、MSX、SORD M5、SEGA SC-3000、トミー ぴゅう太などのゲームパソコンです。
これらは、全てテキサス・インスツルメンツのTMS9918系のVDPを採用しています。
海外では、Apple IIなど一部の機種を除き、大半のホビーパソコンがこの方式を採用していました。
特にアメリカでは、(日本では)アタリショックと言われる家庭用ゲーム機の市場崩壊を受けてホビーパソコンがゲーム機の役割を担っていた面もあるため、スプライト機能が使えるVDPを採用するケースが多かったのではないかと思われます。
因みにVDPなどの画面表示用プロセッサを持たないパソコンでは、CRTC(CRT[Cathode Ray Tube] Controllerの略、広義では、VDPもCRTCに含まれます)と呼ばれるLSIがモニタへの出力を行っています。
また、イギリスのSinclair ZX80/81は、シフトレジスタを使ってCPUが直接画面表示を行っていたようです。
テキスト画面は、80文字×25行などの表示エリアに対応する2KB程度のVRAMに文字コードが書き込まれるとCG-ROMに定義された文字が画面に表示されます。カラー表示が可能なパソコンでは、アトリビュートRAMに各文字の属性情報を持つことができるようになっており、文字色や背景色などのカラー表示の他、反転・点滅などを可能にしています。
テキスト表示には、セミグラフィックという画面表示もあります。例えば、32文字×24行のテキスト表示と64×48ドットのグラフィックのようなカタログスペックの場合、64×48の部分はテキストの1文字分を縦横に2分割したグラフィック文字を使うことで粗いグラフィックとして表示しています。グラフィック表示の場合は、VRAMのビットをオンにすることで対応する場所にドットが表示されるのですが、セミグラフィックではあくまでもテキスト表示の延長線上でグラフィックのような画面が表示されます。中には、PCG(文字定義)を使い256×192ドットや320×200ドットのセミグラフィック表示を行っているパソコンもありました。
初期のパソコンでは、CG-ROMに小文字(lower case)が定義されておらず、大文字(upper case)しか表示できない機種もありました。おそらく、BASICが小文字で入力しても大文字に変換(トークン化の影響ですが、例えばprint文が、LIST表示した場合、PRINTじゃなくPrintになってもいいはず)されてしまったり、CP/MやMS-DOSのコマンドで大文字と小文字の区別が無いのは、そういった機種にも対応するためだったのではないでしょうか。
グラフィック画面は、ビットプレーン(モノクロ1画面)のVRAMを重ね合わせる方式と1プレーンのみのVRAMにアトリビュートRAMで色情報を保持する方式がありました。現在主流のビットマップ方式は、大容量メモリとマシンパワーが必要になるため、80年代前半までのホビーパソコンではあまり採用されていませんでした。日本では、PC-100が最初だったのではないでしょうか。(高価なビジネス向け16ビットパソコンでは、知らないだけでもっと早くにビットマップ方式を採用した機種もあったのかもしれません)
ビットマップ方式についても定義が難しく、メモリ上の1ビットと画面上の1ドットが対応しているというだけでビットマップと呼ばれることもありますが、ここでは、テキストの字形定義が任意のビットマップに書き込まれるものやカラーグラフィックがX68000のように垂直型のVRAMで表示されるものをビットマップ方式と呼びます。 垂直型のVRAMというのは、複数枚のビットプレーンに分割されて各ドットの情報が保持されるのではなく、VRAMに色情報が並んで記憶される方式です。
現在では、PCMによるサンプリング音源でどんな音楽でもCDプレーヤー等と遜色なく再生させることも可能ですが、当時は、音源チップに矩形波を発生させて音を鳴らす方式が一般的でした。一番単純なものは、ビープ音と呼ばれる単音の矩形波で今現在のPCでも搭載されています。(BIOSのエラー識別等に使われています)
また、MZ-80BやMZ-2000などで使われていた1ビットD/Aによる音源もありました。PCM音源のイメージで考えると『1ビットで何ができるんだ?』と思ってしまいますが、連続する0と1の組み合わせで音階を変えています。つまり、1だけのときより1111のように1が連続すると正方向に大きく符号化するということです。
サウンド機能を搭載した当時のパソコンの音源は、主にPSG(Programmable Sound Generator)やSSG(Software-Controlled Sound Generator)、DCSG(Digital Complex Sound Generator)などがありました。(広義には全てPSGと呼ばれます)
PSGは、ゼネラル・インスツルメンツ社のAY-3-8910系チップのことで、SSGは、ヤマハのFM音源に搭載されたAY-3-8910互換機能を指し、DCSGは、テキサス・インスツルメンツのSN76489を指します。
AY-3-8910系PSGが搭載されたパソコンは、NECのPC-6000シリーズ、シャープのX1シリーズ、富士通のFM-7シリーズ(77AVは、FM音源でSSG)、MSXなどがありました。
SSGは、FM音源 YM2203(OPN:FM Operator type N)/YM2608(OPNA:FM Operator type N-A)を搭載したパソコン全般で、NECでは、SRと名のついた全ての機種がそうです。富士通のFM77AVにもこのFM音源が搭載されていました。
DCSG(SN76489)を採用していたパソコンは、東芝パソピア7、SORD M5、SONY SMC-777、シャープMZ-1500、IBM JXなどです。
特にMZ-1500とパソピア7は、この音源チップを2つ搭載していました。MZ-1500は、左右でステレオに、パソピア7は、6重和音とアピールしていました。
ちなみにDCSGとPSGの大きな違いは、DCSGでは、ノイズ発生チャンネルが独立しており、ノイズの音量制御をノイズチャンネル単体で行えました。PSGでは、ノイズの音量が他の3つのチャンネルのどれかに依存されました。(その代り、PSGにはエンベロープジェネレータが搭載されていて、1チャンネルだけ音色の変更ができました)
FM音源というのは、周波数変調を応用して個性的な音色を発生させる音源のことで、シンセサイザーにも用いられました。
前述したYM2203やYM2608の他にもX1シリーズやX68000シリーズで使われたYM2151(OPM:FM Operator type M)が有名です。YM2203などのOPN系に比べSSGが内蔵されていない代わりにステレオで同時発音数が8音(YM2203は、同時発音数3音のFM音源、および同時発音数3音のSSG等)となり、基準音の整数倍の周波数から大幅に周波数をずらした正弦波で変調をかけられるようになっていましたが、パソコンではあまり使われませんでした。しかし、アーケードゲームの基盤等でよく利用されていたようです。
また、波形メモリ音源という、一種のサンプリング音源もありました。
PCM音源と基本的に同じ原理ですが、当時のメモリは容量が少なすぎたため、短いサンプルにより生成される32バイト程度の波形データだったようです。この音源を搭載した当時のパソコンは、あったのかも知れませんが私には思い浮かびません。主にアーケード基盤やPCエンジンのようなゲーム機(ファミコンやMSXのカートリッジ内に搭載された外部音源チップなど)に搭載されていました。
70~80年代のパソコンでは、アップル・コンピュータのMacintoshのような本体とモニタ一体型でキーボードが分離されたパソコンは稀で、ビジネス用やワープロ専用機を除けば、Macintoshの他には同じアップル・コンピュータのLisaシリーズやNECのPC-9801CV21くらいだったと思います。
キーボードまで一体型になっていたものでは、コモドールのPET 2001やシャープのMZ-80シリーズ(MZ-700以降はモニタが別になりました)やMZ-2000などがありました。
一番多い本体レイアウトは、本体とキーボードが一体になった形状で、当時のホビーパソコンの大半がこの方式を採用していました。逆に本体とキーボードが分離している現在のデスクトップPCでは一般的なレイアウトは、初期のホビーパソコンではそれほど多くはありませんでした。ビジネスユースのものなど、高級モデルで採用されていた印象です。
キーボードと本体とモニタが分離したセパレートタイプのパソコンでは、NECのPC-8800シリーズやPC-9800シリーズの大半の機種、PC-6601SR、富士通では、FM-11シリーズやFM-77/AVシリーズとFM-TOWNS、シャープでは、初代X1に代表されるX1シリーズの一部の機種(X1turboは、全機種)、MZ-2500、X68000、カシオのFP-1000/1100、日立のMB-S1、MSXの一部の機種などです。それらを除いた機種の殆どが本体とキーボードが一体になった形状だったと思います。
また、本体とキーボードが一体になった形状のパソコンでもApple IIのように拡張I/Oボックスが一体になった形状もあれば、別途拡張I/Oボックスが必要な機種もありました。同じシリーズでも例えば、X1Cは拡張I/Oボックスがオプションだったのに対して、翌年発売された、X1Csは本体に拡張用I/Oポートが内蔵されていました。Apple IIのようにモニタを載せられる筐体のパソコンとしては、ベーシックマスターレベル3が有名です。その形状や拡張性の高さから「和製Apple II」と一部では呼ばれていたようです。
海外でもホビーパソコンでは、本体とキーボードが一体になった形状が一般的でした。 日本では、16ビット時代に突入すると高級志向のセパレートタイプにほぼ移行しましたが、海外では、16ビット機や32ビット機でもホビー向けのものは、本体とキーボードが一体になったものが多かったようです。コモドールのAmiga 500や、アタリのAtari ST、英エイコーン・コンピュータのAcorn Archimedes A3000などがキーボード一体型のデザインでした。
レトロパソコンを語る上で外せないのが、キーボードです。
かつての低価格なレトロパソコンでは、現在のデスクトップPC用キーボードのようなものではなく、メンブレンキーボードやチクレットキーボードが採用されているケースもありました。
メンブレンキーボードとは、現在でも工場機械や家電製品等の操作パネルに使われているもので、平坦なシートにキーが印刷されていて、指で押すと反応するものです。家電製品のボタンのようにキーの部分に膨らみ(エンボス)があるものが多いですが、ZX80/81のように平坦なメンブレンキーボードもありました。汚れに強く低価格なのが特徴です。(現在主流のメンブレンスイッチを使ったキーボードもスイッチ部の機構は同じものですが、形状はタイプライター風です)
日本メーカーのパソコンでメンブレンキーボードが採用されていた機種は、カシオのPV-2000くらいしか思い浮かびませんが、海外メーカーの日本に輸入されていたものでは、英シンクレアリサーチのZX81や米コモドールのマックスマシーンなどです。
チクレットキーボードとは、電卓のようなキーが配置されたキーボードのことです。消しゴムキーボードなどと呼ばれていたような機種もこの分類です。「チクレット」というのは、チューインガムのこと(1919年に発売されたチューインガムのヒット商品)でキャラメルのようなキーが並んだキーボードのことを指します。
余談ですが、最近、ノートPCを中心に採用されているアイソレーションキーボードは、まるでチクレットキーボードが復活したかのような印象を受けます。
チクレットキーボードを採用していたパソコンは、日本メーカーでは、NECのPC-6001や松下通信工業のJR-100/200、SEGA SC-3000、トミー ぴゅう太などが思い浮かびます。海外では、IBMのPCjr(model 4860)やテキサス・インスツルメンツのTI-99/4、タンディ・コーポレーションのThe Radio Shack TRS-80 Color Computer(CoCo1)、シンクレアリサーチのZX Spectrum辺りが有名でしょうか。
チクレットキーボードの利点として、オーバーレイシートを取り付けることで、アプリケーションごとに対応したキーの表示が可能という点が挙げられます。そのため、入門用と言われるようなパソコンで採用されることが多かったのだと思います。
では、現在のようなキーボードは何と呼ぶのでしょうか?
メンブレンキーボードやチクレットキーボードに対する呼び方としては、タイプライター風キーボードやフルストロークキーボード、フルトラベルキーボードなどと呼ばれます。(英語サイトでも"typewriter-style keyboard"や"Full Stroke Keyboard"と表記されていることがあります) 実際には、タイプライター風のキーボードでも機構は、メカニカルスイッチだったり、メンブレンスイッチだったり、静電容量無接点方式だったりする上、更にアクチュエータにもいろいろと方式があります。ノートPCのような平らなキートップのものは、パンタグラフ方式が採用されています。
また、ステップスカルプチャーやエルゴノミクスといった言葉もキーボード関連でよく聞きますが、これらは、使いやすくデザインされたものなので、機械的な方式とはあまり関係ありません。因みに、ステップスカルプチャーは、キーボードが前後で緩やかに反った形状のものです。ホームポジションの列を基準に前後で順番に段をつけています。エルゴノミクスとは、人間工学のことで、人間工学に基づいて設計されたものを指します。エルゴノミックキーボードと称されるものは、TRONキーボードのような左右で別れたデザインのものを差すことが多いのですが、ステップスカルプチャーも広義では、エルゴノミクスに含まれると思います。
MSXに代表されるゲームパソコンには、ROMカートリッジスロットが付いているものが多く存在しました。 NECのエントリーモデルであるPC-6001もテレビCMで「ジャンケンポン、カセットポン♪」とROMカートリッジの有用性をアピールしていました。
これらの機種は、基本的にROMカートリッジを差して電源を入れるとROMカートリッジのプログラムが起動しました。SORD M5やSEGA SC-3000、バンダイ RX-78は、BASICもROMカートリッジで提供されていました。
PC-6001やMSXでは、本体内にBASICのROMが内蔵されていました。(この時代のパソコンの多くは、BASIC ROMが搭載されていました。BASICは、現在のOSの代わりとしても使われていました。ちなみに海外では、BASICを簡易OS代わりにしているパソコンのことを「BASICターンキーモデル」と呼んでいたようです。ターンキーとは、鍵を回してすぐに使えるという意味です)特にMSXでは、ROMカートリッジを3つまでサポートしており、システム用スロットと3つのROMカートリッジスロットの合計4バンクのメモリがサポートされいます。
ROMカートリッジスロットを持つパソコンとしては、日本国内で発売された機種では、MSX、NECのPC-6000シリーズ、SORD M5、SEGA SC-3000、トミー ぴゅう太、バンダイ RX-78、IBM JX、コモドール VIC-1001/64/マックスマシーンなどがありました。
海外では、コモドール VIC-20/64、テキサス・インスツルメンツ TI-99シリーズ、アタリ Atari 8ビット・コンピュータシリーズ、タンディ・コーポレーションのThe Radio Shack TRS-80 Color Computer(CoCo)シリーズ、IBM PCjr、Mattel Aquariusなどがありました。イギリスのパソコンでは、Acorn Electron(ROMカートリッジスロットはオプション)やCoCoの互換機等がありました。オーストラリアのDick Smith Electronicsが発売していたExidy Sorcerer(S-100バス互換機)もROMカートリッジスロットを持っていたようです。日本では、殆ど知られていないようなパソコンが海外には存在しましたので、ここに挙がっていないものでもROMカートリッジスロットを搭載したパソコンがあったと思います。
当時の記録メディアと言えば、オーディオカセットテープとフロッピーディスクが主流でした。
オーディオカセットテープは、記録方式にもよりますが、120分のテープで1200bpsだと1MB程度の容量(120x60x1200/8=1,080,000バイト:約1.03MB)があったようです。汎用コンピュータの磁気テープ(MT:Magnetic Tape)に対してカセット磁気テープ(CMT:Cassette Magnetic Tape)と呼ぶメーカーもありました。
パソコン用カセットテープレコーダーのことをデータレコーダと呼びます。
専用のデータレコーダが用意されている機種が殆どでしたが、市販のカセットテープレコーダーを流用することができる機種も多かったですね。しかし、シャープのパソコンの多くは、専用のデータレコーダが内蔵されている機種が多かったように思います。そのため、読み取り速度が比較的高速で、プログラムからテープのコントロールができる機種もありました。
読み込み速度は、最低クラスで300ボー(baud)、高速なもので2400ボーくらいだったと記憶しています。
一般的には、1200ボーあたりがボリュームゾーンといったところでしょうか。
シャープのX1は、2700ボーと当時最速クラスでした。しかし、データレコーダ内蔵の機種は、データレコーダ部が故障した時に困るんですよね。その点では、速度は遅くても民生品を使える機種のほうが安心です。特に今現在レトロパソコンを復活させようとした時など・・・。
記録方式には、大きく分けてデジタル変調(FSK)とパルス変調(PWM)がありましたが、PWM方式を採用していたのは、シャープだけだったのではないかと思います。(MZ-80Kのためにシャープが開発した)
また、FSK方式では、カセットテープにデータを記録するフォーマットとして、カンサスシティ・スタンダードやサッポロシティ・スタンダードなどがありました。
ちなみにデータレコーダの速度を表す単位のボー・レート(baud rate)ですが、これは1秒間に何回変調をおこなっているかという単位です。ボー・レートと転送速度(bps)は、イコールであることが多く、X1では2700ボーで2700bpsでしたが、必ずしもイコールではありません。また、ボー・レートが高いからといって、テープの回転速度が高いというわけでもありません。カセットテープに音として情報を記録する場合、デジタル信号の0と1をモールス信号のように断続音で記録しているわけです。そのときの単位時間(1秒)当たりの変調回数がボー・レートなのです。そして、1回の変調で1ビットを読み書きするとは限らないため、ボーとbpsは必ずしも同一ではないということです。
また、カセットテープから読み込んだデータは、8ビットで1バイトを表すわけではありませんでした。X1の場合は、9ビットで1バイトでしたし、FM-7やPC-8001などは11ビットで1バイトのデータとなっていました。
フロッピーディスクは、8インチ、5.25インチ、3.5インチ、3インチなど、いろいろなサイズのメディアがあります。また、同じサイズのディスクでも2Dや2HDなど容量が違っていて、それぞれに対応するメディアやドライブが存在するため、物凄く細分化されています。
容量に関しては、例えば、2Dの2は両面という意味で、次のDは倍密度という意味です。2HDの場合は、2が両面、Hが高密度、次のDが倍トラックを表します。
まとめると下記のようになります。
先頭の数字 | 意味 |
---|---|
1 | 片面(1 sided) |
2 | 両面(2 sided) |
アルファベット | 意味 |
---|---|
S | 単密度(Single density) |
D | 倍密度(Double density) |
DD | 倍密度(Double density)倍トラック(Double track) |
HD | 高密度(High density)倍トラック(Double track) |
この法則は、メディアのサイズが変わっても基本的に同じです。
例えば、5.25インチのフロッピーディスクメディアでは、下記のような種類があります。
呼び名 | 意味 | 容量(フォーマットによって異なる) |
---|---|---|
1S | 片面単密度(1 sided Single density) | 約70KB |
1D | 片面倍密度(1 sided Double density) | 約160KB |
1DD | 片面倍密度倍トラック(1 sided Double density Double track) | 約320KB |
2D | 両面倍密度(2 sided Double density) | 約320KB |
2DD | 両面倍密度倍トラック(2 sided Double density Double track) | 約640KB |
2HD | 両面高密度倍トラック(2 sided High density Double track) | 約1.2MB |
例えば、5.25インチ2HDのフロッピーディスクは、未フォーマット時に約1.6MBの容量がありますが、フォーマットの種類によって容量が変化します。
日本では、2HDが電電公社フォーマットと呼ばれるものでしたが、海外では当初はIBMフォーマット(正確には、8インチFDのフォーマット以外はIBMが決めた形式ではありません)と呼ばれるフォーマットが一般的でした。IBM PCのPC DOS(MS-DOS)が普及したため、2Dで360KB、2DDで720KB、2HDで1.44MB(3.5インチ)のフォーマットが一般的になりました。例えば、3.5インチの2HDディスクがNECのPC-9801では、約1.2MBの容量だったのに対して、海外のIBM PC/AT系のパソコンでは、1.44MBでした。今現在のPCは、IBM PC/AT互換機から発展してきていますので、一般的に1.44MBのフォーマットが使われています。
また、8インチのフロッピーディスクは、2D(両面倍密度)までしか規格が存在しませんが、2Dで約1.2MB(未フォーマット時、約1.6MB)のデータが記録できます。(電電公社フォーマットは、IBM形式でフォーマットされた8インチ2Dと互換性があります)
3インチのフロッピーディスクは、日立が中心に普及を図っていましたが、X1Dなど一部のパソコンに標準搭載されただけで、3.5インチとの競争に破れ、消えていきました。3インチ以外にもSONYが電子スチルビデオカメラ用に開発し、SONYのワープロ用としても使われた2インチフロッピーディスク、IBMが1983年に「デミディスケット」という名前で発表した4インチフロッピーディスクなどもあります。
フロッピーディスクとは違いますが、磁気ディスクの仲間でMZ-1500に採用されたクイックディスクというものもありました。このクイックディスクは、ファミコンのディスクシステムにも採用されたことで有名ですが、片面64KB、両面128KB(アンフォーマット時)と当時の一般的なフロッピーディスクより低容量の上、テープメディアのようにシーケンシャルアクセスしかできませんでした。フロッピーディスクは、同心円状のトラックを持つ構造でしたが、クイックディスクは、渦巻きのような螺旋状に1本のトラックが存在する構造だったためです。
しかし、カセットテープとは比べ物にならないほど高速で、8秒程度で片面を読み込めたようです。(書き込みは、空き領域を確認後に書き込むため倍の時間がかかります)
様々な規格の存在するフロッピーディスクですが、一部の機種を除いて、80年代の日本では、5.25インチのフロッピーディスクドライブ(以下、FDD)が主流でした。フォーマットは、ホビー向けが2Dで、ビジネス向けでは、2DD/2HDが一般的だったと思います。3.5インチFDDを搭載した機種もありましたが、80年代は、メディアが5.25インチに比べ割高だった印象です。
フロッピーディスク以外にも記録メディアは存在していました。
マイナーなところでは、カシオ計算機のFX-9000Pや東芝のパソピア、SONYのMSXに使われたようなバッテリーバックアップRAMカートリッジ(それぞれ専用オプション)のようなものや、システムズフォーミュレートのBUBCOM80や富士通のFM-8で利用できた磁気バブルメモリなどがありました。
日本のパソコンでは見たことありませんが、70年代の米国では紙テープもパソコンで利用されていたようです。紙テープは、汎用コンピュータ(メインフレーム)やテレタイプ等で使われていたものですが、Altair 8800のようなパソコンを実用的に使う場合、テレタイプ端末が必要となりますので、紙テープが使われていたのではないかと思われます。(下記YouTube動画参照)
Altair 8800用のBASIC言語をマイクロソフト社が開発したという逸話がありますが、この時、ポール・アレン氏が持ち込んだのも紙テープに記録されたBASIC言語だったようです。
サイト名 | リンク |
---|---|
Altair 8800 - Video #7.1 - Loading 4K BASIC with a Teletype (YouTube) |
http://www.youtube.com/watch?v=qv5b1Xowxdk |
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