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レトロパソコン(機種別解説編) ~1983年~

(米)Apple Lisa - 1983年1月発売($9,995)

 Appleは、1970年代の終わりに次世代製品開発のため、3つのプロジェクトをスタートします。
 
 1) Apple IIの後継機 → 「Sara」プロジェクト
 2) 技術的に妥協しない高性能機 → 「Lisa」プロジェクト
 3) 低価格なホームコンピュータ → 「Annie」プロジェクト
 
 この中で、二番目の「Lisa」プロジェクトから誕生したのが、技術的に妥協しない高性能機「Lisa」です。
 
 Lisaの開発には、スティーブ・ジョブズ氏が参加していました。
 当初、技術的に妥協しない高性能パソコンを開発するというコンセプトの「Lisa」プロジェクトは、開発が難航していました。「Annie」プロジェクトの指揮を執るジェフ・ラスキン氏の勧めで、ゼロックスのパルアルト研究所を見学することになり、そこでAltoを見てジョブズ氏は衝撃を受けます。その後の訪問でSmalltalk(オブジェクト指向プログラミング言語)のデモなども見学し、ジョブズ氏の中でMacintoshのイメージが形作られていったのではないかと思われます。
 また、ゼロックスは、Altoの技術を1981年に発売したワークステーションXerox Starへ継承しています。
 Lisaの開発者たちは、発表されたXerox Starを見て、デスクトップ上での視覚的なアイコン化という手法をLisaへ取り入れたそうです。
 
 Lisaは、Altoの影響を受け、開発がスタートしましたが、ジョブズ氏は、Lisaを個人が買える価格で販売し普及させたいと考えました。しかし、当初のコンセプト通り、妥協しない高価な高性能パソコンを開発したいと考えているメンバーも居たため、開発チーム内で認識の齟齬が起きてしまい、最終的には社内抗争にまで発展したようです。その結果、ジョブズ氏は、閑職(会長)へ追いやられてしまいます。
 
 Lisaは、1983年1月19日に9,995ドル(当時の日本円で約233万円)で発売開始しました。
 CPUは、モトローラのMC68000(5MHz)でメモリは1MBを搭載しています。
 本体、モニタ、外部記憶装置一体の筐体で、初代Lisaは、5.25インチのフロッピーディスクドライブを2基搭載しています。OSは、Lisa Office System Release 1.0です。アプリケーションソフトは、ワープロや表計算、リスト式データベース、図表作成ソフトなどが同梱していました。「Profile」という5MBの外付けハードディスクドライブを本体上部に載せて使用されることが多かったようです。
 
 後継のLisa2は、1984年1月に発売されました。FDDがMacintoshと同じ400KBの3.5インチFDDに変更され、外付けだったハードディスクが内蔵されました。HDDは、5MBモデル(メモリ512KB)のLisa 2/5と10MBモデル(メモリ1MB)のLisa 2/10があり、それぞれ3,495ドルと5,495ドルと初代Lisaよりかなり安くなりました。
 また、1985年には、Lisa 2/10にMacintosh 128Kのエミュレータを付けて、Macintosh XLとしても売られました。
 それでも大量に売れ残り、最後はユタ州の埋立処分場に埋立処分されたという話は有名です。

サイト名 リンク
Lisa (コンピュータ)
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Lisa (コンピュータ)

(英)Camputers Lynx - 1983年3月発売(48KBモデル・225ポンド / 96KBモデル・299ポンド / 128KBモデル・345ポンド)

 Camputers Lynx(キャンピューターズ・リンクス)は、イギリスのCamputers社が1983年3月に発売したホームコンピュータです。
 当時のイギリスでは、Sinclair Research(シンクレア・リサーチ)の成功を見て、様々なメーカーがホームコンピュータ市場に参入しました。
 1982年4月に発売されたSinclair ZX Spectrum 48KBモデルの価格は当初175ポンドでしたが、このパソコンが発売された頃に値下げが行われ、約130ポンドになっていたようです。

 Camputers LynxのCPUは、Z80A(4MHz)で128KB以上のモデルにはZ80B(6MHz)が搭載されていたようです。
 ROMはBASIC等に16KB(48KBモデル。上位モデルは20KB)で、RAMは3種類(48KB/96KB/128KB)のモデルがあり、オンボードRAMを192KBまで拡張可能です。
 表示能力は、CRTCにMC6845を搭載していて、画面解像度は、256×252ドット・8色でした。字形定義は、6×10ドット固定で256×252ドットの画面に表示され、他の画面モードを持っていなかったようです。ZX Spectrumが256×192ドット・15色だったので、解像度はこのパソコンのほうが高いですが、使える色数は、ZX Spectrumのほうが多いです。
 ゲームを見た限り、アトリビュート・クラッシュは起きていないようなので、1画面で処理しているのだとすれば、かなり細かく色指定ができたのだと思います。ドット単位で8色指定できたのだとすれば、当時のイギリスのホームコンピュータの中では上位に入るグラフィック能力だと思います。ただ、画面の解像度が高く、色指定も細かいとすれば、表示速度は犠牲になっている可能性が高いです。
 サウンド機能は、TRS-80 Color Computer(CoCo)等と同じく6ビットDACです。

 Camputers Lynxは、タイプライター風キーボードを搭載した一体型のパソコンで、Acorn ElectronとDragon 32の中間的な外観です。接続ポートは、すべて背面にあり、背面から見て左からTV(RF)出力ポート、RGB出力端子(DIN)、ライトペン接続端子(DIN)、シリアルポート(DIN)、カセットテープデータレコーダ接続端子(DIN)、拡張インタフェース(フロッピーディスクドライブ等)、電源アダプタ接続端子です。
 Camputers Lynxの珍しい特徴としては、BASICの行番号に小数が使える点です。WikipediaによるとBASICで使える数値がすべて小数点付きBCD(2進化10進数)だったことが関係しているようです。行番号もその例外ではなかったということでしょうか。
 Camputers Lynxは、後に48KBモデルがLeisure(レジャー:娯楽)、128KBモデルはLaureate(ローリエット:栄冠)と改名されました。

 このパソコンに使われているMC6845は、SHARP X1等でも使われていたCRTC(X1に搭載されていたのは、日立のHD46505でこちらが元祖)です。動画等でCamputers Lynxのメイン基盤を見た感じ、ULAのようなカスタムチップは使われておらず、搭載チップ数が多い印象です。そのため、コストダウンができずに価格競争に敗れてしまったのではないかと思います。
 オプションのFDDを接続してCP/Mを使うことができたようなので、どちらかと言えば、CP/Mが使える実用向けパソコンとして設計されていたのかもしれません。搭載メモリが多い(一番廉価なモデルでも48KB搭載)点やサウンド機能が弱く、ジョイスティックポートなども持たず、RGB出力端子やライトペン接続端子を持っていることなどからもそれが伺えます。
 しかし、市場はそう捉えることはなく、ZX Spectrum、Dragon 32、Oric-1、Acorn Electronなどと競合するホームコンピュータとして見ていたようで、販売台数は3万台程度に留まり、Camputers社は1984年6月に破綻しました。

 余談ですが、SHARPのMZシリーズもヨーロッパではCP/Mが使える実用パソコンとして売られていたようで、MZ-800という日本では販売されていないMZ-1500の姉妹機があったようです。キャラクタマシンのMZ-1500とは違い、表示は640×200ドット・2色(VRAM32KB時は4色)または320×200ドット・4色(VRAM32KB時は16色)のグラフィック画面のみで、CG-ROMがCG-RAM(PCG)になっているようで、起動時に字形定義が読み込まれる設計のようです。東ヨーロッパなどでも売られていたようなので、多言語対応のためにこういう仕様になっているのではないかと思われます。

サイト名 リンク
Camputers Lynx
(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Camputers_Lynx

東芝 パソピア7 - 1983年5月発売(119,800円)

 パソピア7は、パソピアの上位機種ですが完全な互換性がなかったため、初代パソピアの廉価版であるパソピア5を発売しています。
 初代パソピアがNECのPC-8001をターゲットにしていたと見えるように、パソピア7は、富士通のFM-7をターゲットに開発されたように見えます。名前の7も意味深ですし、キャッチコピーだった「勝つ快感」もFM-7より性能が高いことをアピールしているように見えます。(ちなみに初代パソピアのキャッチコピーは「その差歴然」でした)
 
 パソピア7のCPUは、シャープのLH0080A(Z80Aセカンドソース)4MHzです。メインRAMは64KBで、グラフィックVRAMは48KBです。独立したテキストVRAMは持っていなかったようですが、8KBのアトリビュートRAM(主にハードウェアタイリングペイント用)を持っており、テキストとグラフィックの重ね合わせができたようです。しかし、テキストVRAMはグラフィックVRAMのグリーンのプレーン(16KB)を共用で使用するため、テキストを表示すると、表示色などに制限が出たようです。普通に独立したテキストVRAMを用意したほうが良かったのではないかと思いますが、初代パソピアが変わった実装をしていたため、その設計を踏襲したのかもしれません。初代パソピアとは、完全ではないものの互換性がありました。初代パソピアの画面モードにアクセスする際は、BIOS経由でエミュレートしていたようです。
 VRAMへのアクセスは、初代パソピアと違いバンク切り替えで行う方式のようです。最初にI/Oポートを通じてVRAMへのバンク切り替えを指示すると8000hからVRAMにアクセス出来るようになるみたいです。VRAMの構成は変わっていて、8×8ドット(1文字分)ごとに書き換える方式で横方向に80文字分(640×8ドット)書き込むと改行して、次の先頭8×8ドットに移るを繰り返し、それが25行(200ライン)まであるような実装だったようです。
 ROMは、IPLやBIOSに16KB、BASICに32KB、文字定義に2KBです。
 表示能力は、テキストが80/40文字×25行8色でグラフィックVRAMを共用しているため最大8画面も持てました。(2KB×8画面=16KB)グラフィックは、パソピアの画面モードの他、640×200ドット8色または、320×200ドット8色2画面とこの当時の8ビットパソコンの標準的なものですが、パソピア7の特徴として、タイリングペイントをハードウェアでサポートしていることが挙げられます。
 タイリングペイントとは、中間色のことでデジタルRGBで8色表示のパソコンでよく使われた手法です。色数が少ないため、2つの色のドットを縦横交互に並べると中間色の表現ができます。他機種でもソフトウェア的には使えますが、パソピア7では、それをハードウェアがサポートしていたようです。
 そのため、実際には8色しか表示できないのに27色とカタログに書いていたようです。色の組み合わせとしては、8×(8-1)÷2=28通りですが、3枚のグラフィックプレーンを二枚づつ重ね合わせる(RGBの各プレーンをRG、RB、GBの3通り)ということで、3の三乗で27通りということのようです。
 サウンド機能は、SN76489(DCSG)を2個搭載しており、矩形波6音(6オクターブ)+ノイズ2音です。
 このタイリングペイントの機能とDCSGサウンドチップを2個搭載した辺りが「勝つ快感」の根拠だと思われます。また、パソピア譲りの拡張スロットを使いジョイスティックを14本接続できることも売りになっていたようです。ジョイスティックを14本使ったゲームが存在したのでしょうか・・・。
 
 それなりに売れたようですが、後継機が出なかったことから、御三家に食い込むほどの販売台数は無かったと思われます。以降、東芝の8ビットホビーパソコンは、MSX規格が主力となります。

サイト名 リンク
パソピア
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/パソピア

MSX規格 - 1983年6月発表

 米マイクロソフトとアスキー(現・KADOKAWA アスキー・メディアワークス)によって提唱されたホビーパソコンの統一規格です。MSXは、「MicroSoft eX」の略のようです。また、実際にMSX規格のパソコンが発売されるのは、10月下旬頃からです。
 
 日本ソフトバンク(現ソフトバンク)の孫正義氏が異議を唱え、対抗する統一規格を作ると表明してアスキーの西和彦氏と交渉した話(「天才・西と神童・孫の10日間戦争」)は有名ですが、当時は小学生だったので、パソコン雑誌などもあまり読んではおらず、この話を知ったのはずっと後になってからでした。
 結局、両者は和解したのですが、この件で一番割を食ったのは、孫氏の規格に賛同したソードではないでしょうか。
 SORD M5をベースにした規格だったようなので、実現していれば、M5の急激な衰退も無かったかもしれませんし、そもそもこんなことが起きなければ、ソードからMSX規格のパソコンが発売されていたかもしれません。
 このとき、孫氏はMSX規格を日本発の統一規格なのにアメリカの会社が絡んでいることを理由に対抗規格を出してきたようですが、後に日本発のOSであるBTRONを潰す方向に動いているんですよね。(「孫正義・起業の若き獅子」(講談社)TRON蔓延を水際で阻止)
 
 初代MSX規格の仕様は、CPUがザイログ社のZ80A相当品(3.579545MHz)、メインRAMが8KB以上、ROMは、BIOSとBASICに32KB、VDPはテキサス・インスツルメンツ社(TI)TMS9918A相当品でVRAMは16KB。
 表示能力は、下記の画面モードがあります。このMSXの画面モードは、規格が進むにつれ増えていきます。
 
 1) SCREEN0:テキスト40文字×24行16色中1色
 2) SCREEN1:テキスト32文字×24行16色中1色
 3) SCREEN2:グラフィック256×192ドット16色(水平方向8ドット内2色まで)
 4) SCREEN3:グラフィック64×48ドット16色
 
 サウンド機能として、ゼネラル・インスツルメンツ社(GI)のPSG(AY-3-8910)相当を搭載することが決められており、8オクターブの矩形波3音+ノイズ1音の発声が可能です。
 また、周辺機器インターフェース(PPI:Programmable Peripheral Interface、CPUと周辺機器間のパラレル信号を制御するLSIのことで、PIO:Parallel Input/Outputと同義)にIntel 8255相当を使うことも仕様として決められています。ちなみにIntel 8255は、プリンタやFDDなどのインタフェース用に搭載された機種がよくありました。私が所有していたシャープのX1にも2個搭載されていたはずです。一つは、プリンタポート用で、もう一つは、キーボード用のサブCPUとの通信用に使われていたようです。
 MSXでは、CPUのZ80Aを割り込みモード1(IM1)固定で動作(X1では、割り込みモード2を使用していました。X1の項目で解説したようにZ80には、INTとNMIの割り込みがあります。そしてINTには、3種類の割り込みモードがあります。IM0はi8080互換用の割り込みモードでIM1は割り込みコントローラを使用せずソフトウェアで処理を行うモード、IM2はZ80周辺LSI専用の割り込みモードです)させるため、割り込みを行うハードウェアは、ソフトウェア的に割り込み処理を行う必要がありました。具体的には、割り込み処理が発生するとBIOSを参照して対応した動作を行うわけです。BIOSはROMなので書き換えが出来ませんが、MSXではシステムワークエリアに書き換え可能な領域(フック)を用意していたようです。この辺りは、TI99/4やSMC-70と同じようにプラグアンドプレイのような仕組みだったのではないかと思われます。
 
 初代MSX規格のハードウェアは、米スペクトラビデオのSV-318/328を参考にしていると言われています。このパソコンの開発にもマイクロソフトとアスキーが関わっており、それを日本の家電メーカーへ提案したのが始まりだったようです。また、スペクトラビデオ社もMSX規格に参加しており、後にSVI-728/738/838といったMSX1-2規格のパソコンを発売しましたが、1988年に倒産しました。1986年に発売されたSVI-838は、IBM PC互換機とMSX2のハイブリッド機だったようです。
 CPUにZ80、VDPにTIのTMS9918A、音源にPSGやDCSGといった組合せは、ゲーム機でもコレコビジョンなどが採用していますし、当時としては、よくある組合せのハードウェアでした。コレコ社が1983年に発売したColeco AdamもVDPがTMS9928A(TMS9918Aの映像出力をRGB相当にしたもの)になっていますが、基本的にはこの部類です。
 日本でもSORD M5やSEGA SC-3000、Casio PV-2000などがこの組合せです。
 しかし、チップの組合せは同じでも、それぞれ実装が違います。M5やSC-3000は、BASIC ROMを内蔵せずROMカートリッジで提供するタイプのハードウェアでしたが、MSXはBASIC ROMを内蔵し、4つのメモリ(MSXではスロットと呼称)をバンク切り替えする拡張性の高いハードウェアになっています。(4つの基本スロットは、それぞれ拡張スロットを4つまで拡張可能なため、64KB×4×4で最大1MBのメモリ空間を持てました。64KBのメモリは1ページ16KB×4で構成されています)
 
 初代MSX規格に賛同したメーカーは、キヤノン、カシオ計算機、富士通、日立製作所、京セラ、松下電器産業、三菱電機、日本電気、ヤマハ、日本ビクター、パイオニア、三洋電機、シャープ、ソニー、東芝、ミツミ電機などがあります。
 いわゆる8ビット御三家も初代規格には賛同していますが、NECはMSX規格のパソコンを出さずに代わりにPC-6001mkIIを7月に発売、富士通は、FM-Xという機種を1機種だけ発売(丁度この頃に提携する系列のゼネラルからは、パクソンというブランド名で販売されていましたし、OEMで他社へ提供していた機種はあったようです)、シャープは、国内向けを出さずにブラジルでHOTBITという何処かで聞いたようなブランド名のMSXを販売しています。(EPCOMというブラジルの会社のOEMをシャープのブラジル支社が販売していたようです。この話を最初に聞いたときは、『逆じゃないの?』と思ったのですが、どうやらEPCOMという会社は地元企業と合弁したシャープの子会社かグループ企業だったようです)

 1985年には、グラフィックを大幅に強化したMSX2規格が登場します。
 VDPがTMS9918A上位互換のヤマハV9938(アスキー、マイクロソフト、ヤマハの共同開発)となり、VRAMを128KB搭載した機種では、512×212ドットで512色中16色や256×212ドットで256色といった画面モードがサポートされました。ちなみにV9938は、MSX2以外にもイギリスで発売された台湾製のTatung Einstein TCS-256や1987年にMyarc社が販売したGeneve 9640(TI-99/4A互換ボード)などにも採用されていました。
 SCREEN0は、テキスト40×24または80×26文字(1文字6×8ピクセル) 文字・背景とも(512色中)16色パレット中1色となり、SCREEN1~3もMSX1準拠に加え、固定16色ではなく512色中16色を選択可能となっています。また、下記の画面モードが増えました
 
 5) SCREEN4:グラフィック256×192ピクセル 512色中16色(横8ドット内2色まで) ライン単位色指定のスプライト使用可能(以下の画面モードも同じ)スプライト機能以外はSCREEN2と同一。
 6) SCREEN5:グラフィック256×212ピクセル×4画面 512色中16色
 7) SCREEN6:グラフィック512×212ピクセル×4画面 512色中4色
 8) SCREEN7:グラフィック512×212ピクセル×2画面 512色中16色
 9) SCREEN8:グラフィック256×212ピクセル×2画面 固定256色
 10) SCREEN9:日本では使用されません。
 
 スプライトで使える色数も増え、縦方向のハードウェアスクロールにも対応しました。しかし、画面描画速度があまり速くなかったり、スプライトの同時表示枚数がTMS9918Aと同じだったり、横方向にはハードウェアスクロールができないなど、今一つ突き抜けていない感があります。(後のMSX規格でもチップの開発が間に合わなくて採用されないなど、総じてそういう空気がありました)
 こうして改めて見ると、強化ポイントは高解像度グラフィックや多色化が中心となっていて、スプライトの同時表示枚数やPCGによるBG面、横方向へのハードウェアスクロールといったアクションゲーム向けの機能は、あまり強化されていないことが分かります。当時は、アドベンチャーゲームブームだったので、そっちの機能強化に引っ張られてしまったのかもしれませんね。
 また、MSXからMSX2への強化として大容量メモリに対応するため、MSX-MMS(マッパメモリ)というメモリ管理機構をサポートしました。これにより、仕様上はスロット当たり4MB程度のメモリを増設できる設計になりましたが、実際には実装されているチップの関係で512KBが限度だったようです。日本で発売されていたMSX2機では、256KBまでのRAMを搭載したモデルしか発売されていないようです。
 MSX2規格は、当初8ビット御三家と肩を並べるような高級モデルが多かったのですが、1986年秋には、松下電器産業からパナソニックブランドで登場したFS-A1(29,800円)とソニーのHB-F1(32,800円)の発売により価格が大幅に下がりました。
 
 1988年には、VDPをV9938から上位互換のヤマハV9958へ変更したMSX2+規格が登場しました。
 画面モードに12,499色や19,268色を表示可能な自然画モードが追加されています。
 これらの色数は、ドット単位に好きな色を指定できるわけではなく、色差信号(R-Y),(G-Y),(B-Y)や輝度信号Yといったテレビの原理を利用し、YUV信号に近い形で処理することで多色を表現しているようです。
 MSX2に対して下記の画面モードが増えました。
 
 11) SCREEN10・11:グラフィック256×212ピクセル×2画面 固定12,499色(ドット単位の色指定不可)+512色中16色(ドット単位に色指定可能)
 ※ SCREEN10とSCREEN11の違いは、色コードの扱いの違いのようです。
 13) SCREEN12:グラフィック256×212ピクセル×2画面 固定19,268色(ドット単位の色指定不可)
 
 また、漢字ROMを標準装備し、FDD関連やFM音源といったオプションの規格も標準化されたようです。MSX2との差別化のためかFM音源を搭載した機種が多かったのですが、Panasonic FS-A1FXなどFM音源を搭載していない機種もありました。
 しかし、MSX2+に参入したメーカーは、松下電器産業、ソニー、三洋電機の3社のみです。
 
 1990年には、16ビットCPUアスキーR800を搭載したMSXturboR規格が登場します。このCPUは、RISCプロセッサでありながら、Z80との互換性があるという、特殊なCPUになっています。Z80の多くの命令を1クロックで実行できたようですが、高速すぎても互換性に問題をきたすため、結局、歴代MSX規格と同じZ80A相当のCPUを同時に載せないといけません。Z80Aを互換モード用に搭載(実際には、カスタムLSIなのでCPUが単体で搭載されているわけではありません)するなら、別にZ80互換の16ビットCPUを採用しなくても良かったのではないかと思います。MC68000やi80286といったCPUを採用したほうが魅力的なパソコンになったと個人的には思います。(1988年にメガドライブがMC68000とZ80を搭載して21,000円で発売していることや海外でもAmigaシリーズやAtari STシリーズも1980年代終盤には、600ドル未満のモデルが出ていたことを考えれば、低価格なホビーパソコンでも採用できたと思われます。また、1990年といえば、32ビットへの過渡期でした)
 ただ、高速モードで実行しても問題が起きないソフトを高速実行できるメリットはありました。(普通に起動するとturboR用に作られていないソフトはZ80で起動するので、高速モードで起動するには、高速モードでソフトを起動させるツールを使ったり、高速モードで再起動するコマンドを入力して起動させる必要があったようです)
 ちなみにこういったアプローチをしたMSXシリーズは、過去にも日本ビクターのMSX2「HC-95」がありました。CPUにZ80の高速版CPUである日立 HD64B180(HD64180のZ80B版CPUでクロックは6.14MHzだったようです。基本的にHD64A180は4MHz、HD64B180は6MHzで動作します)を別に搭載していて、ターボモードという高速モードへ切り替えて起動するとソフトが高速に動作するというものでした。
 また、VDPが当初搭載する予定だったV9990の開発が間に合わず、MSX2+と同じV9958だったことも問題だったと思います。(そのため、画面モードはMSX2+と同じです)
 この規格に参入したメーカーは、松下電器産業のみで1990年10月にFS-A1ST(87,800円)、1991年11月にFS-A1GT(99,800円)を発売しました。
 
 MSX規格のパソコンは、全世界累計で400万台以上販売されたようですが、複数の会社から発売されていることを考えれば、商業的には、それほど成功したとは言えないと思います。
 MSX2、MSX2+、MSXturboRと規格が進むにつれ、参入メーカーが減っていったこともそれを裏付けているのではないでしょうか。
 ちなみにMSXで一番儲けた参入メーカーは、東芝かヤマハだったのではないかと思います。
 東芝は、MSX-ENGINE(Z80A、TMS9918A、PSG、PPIをワンチップにしたもので、ROMやRAMといったメモリを接続するだけで初代規格のMSXパソコンとなります。MSX2用のMSX-ENGINE2も東芝が製造していました)というMSXの機能を統合したカスタムチップを製造し、他社へ供給していましたし、ヤマハも統合チップやVDPの供給を行っていました。
 後に低価格なMSXマシン等が発売されたのも、こういったカスタムチップの功績が大きいと思われます。また、MSX-ENGINEは、MSXパソコン以外の家電製品等の組み込み向けとしても採用されていたようです。

サイト名 リンク
MSX
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/MSX

(米)Mattel Aquarius - 1983年6月発売(160ドル)

 アメリカの玩具メーカーのマテル・エレクトロニクス社(Mattel Electronics:バービー人形で有名なマテル社の子会社、1982年に電子玩具部門を法人化して独立させたようです)が発売したゲームパソコンです。
 マテルは、1979年にIntellivisionというビデオゲーム機を発売しています。このゲーム機は、日本でも1982年に「インテレビジョン」という名前でバンダイが発売しています。
 しかし、AquariusとIntellivisionには、互換性はありません。AquariusのCPUはZ80で、IntellivisionのCPUは、General Instrument(GI)のCP1600という初期の16ビットCPUでした。
 また、このコンピュータの設計は、Intellivisionと同じ香港の製造業者ラドフィン(Radofin Electronics Ltd.)が行っているようです。
 
 AquariusのCPUは、ザイログのZ80A(3.5MHz)です。メインRAMは、4KBで32KBまで拡張可能だったようです。ROMは、BASIC等に8KBで、ROMカートリッジスロットを持っていました。
 表示能力は、テキストが40文字×24行16色、グラフィックはセミグラフィクで80×72ドット16色です。
 サウンド機能は、矩形波1音ですが、オプションでGIのAY-3-8914が拡張カートリッジで提供されていたようです。
 キーボードは、ゴム製のチクレットキーボードでした。ROMカートリッジのソフトにオーバーレイシートが付属しているようなものもあったようです。オーバーレイシートが使えるのは、チクレットキーボードの利点です。
 本体背面には、ピンジャックタイプのプリンタポートとDIN 5Pinカセットレコーダー接続ポート、RF出力ポートがあります。電源ケーブルは本体から外すことができない直付けタイプで、電源ユニットは本体内蔵ではないため、直付けの電源ケーブルの先にACアダプタがありました。
 キーボード一体型の本体右側背部にROMカートリッジスロットがあり、このスロットは、モデム等周辺機器の拡張スロットとしても使用される設計だったようです。 また、Wikipediaによるとクイックディスクドライブがオプションで用意されていたようです。

 1983年6月に発売されたAquariusですが、売上が振るわず同年10月に製造中止となりました。  
 翌年の1984年には、キーボードがタイプライタ風になったAquarius IIの発売が予定されていましたが、マテル社が家庭用コンピュータ市場から撤退したため、ラドフィンから少数のユニットが販売されたようです。
 Aquarius IIでは、メインRAMが20KB、VRAMが2KB、ROMが12KBに拡張されています。

サイト名 リンク
Mattel Aquarius
(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Mattel_Aquarius

バンダイ RX-78 GUNDAM - 1983年7月発売(59,800円)

 バンダイが発売したゲームパソコン。シャープとの共同開発だったようです。
 ロボットアニメ「機動戦士ガンダム」に登場するロボットの型式と名前を冠したゲームパソコンでしたが、本体のデザインはグレーと黒を基調としたもので、特にガンダムを意識したカラーリングやデザインではありませんでした。
 キーボードは、チクレットキーボードで、見た目は松下通信工業のJR-100やシンクレア・リサーチのZX Spectrumのような低価格パソコンといった趣ですが、意外とワープロソフトのような実用ソフトが揃っていたようです。
 テレビに接続可能でコンポジットビデオ端子とRF端子を持っていたようです。
 ゲームパソコンらしく、ROMカートリッジスロットも持っています。(スロットは2つ持っていたようです)
 
 RX-78のCPUは、シャープのLH0080A(Z80Aセカンドソース)4MHzです。RAMは、30KB(50KBまで拡張可能)でVRAM兼用です。
 3つのカスタムLSIを搭載することで、機能強化と部品点数の削減をしているようです。カタログには、ATC、I/O、VRAMコントローラとあります。ATCは、おそらくグラフィック関連の処理を行うチップだと思われます。(オリジナルLSIで高速描画と書かれた広告チラシがあります)
 ROMは、モニタ等に8KBでBASICは、カセットインタフェース付きカートリッジで同梱されていたようです。開発をシャープが行っていたためクリーンコンピュータだったのでしょうか。(ROMカートリッジを入れずに起動した場合は、IPLではなくマシン語モニタが起動したようです。この辺りはMZシリーズに似ています)
 このパソコンに付属していたBASIC(BS-BASIC)は、バンダイ(B)のS-BASICという意味なのか、Hu-BASIC系ではなくS-BASICの流れを汲んでいるようです。シャープでもMZシリーズの部署が開発に関わっていたからでしょう。
 表示能力は、テキストが30文字×23行、グラフィックが192×184ドットでドット単位に27色の指定が可能です。
 サウンドは、4オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
 
 このパソコンで面白いのは、3D処理に使う座標計算用のデータをROMに内蔵していて、疑似3Dのゴルフゲームなどで威力を発揮した点です。
 また、後に円谷プロの社長にもなる円谷英明氏が開発に関わっていたようです。(当時、バンダイに勤めていたとか)

サイト名 リンク
RX-78 (パソコン)
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/RX-78 (パソコン)

SEGA SC-3000 - 1983年7月発売(29,800円)

 SEGAがあの任天堂の白い悪魔(ファミリーコンピュータ)と同じ日(7月15日)に発売したゲームパソコンです。ボディカラーに黒・白・赤の3色が用意されていました。
 同日にRAMを2KB→1KBに減らし、キーボードをオミットしたSG-1000というゲーム機も発売しています。
 こちらは、モロにファミリーコンピュータとバッティングして、販売台数もファミコンに比べるとずっと少なかったわけですが、意外にもSEGAの予想より売れたため、SEGAが継続的に家庭用ゲーム機を開発するきっかけになったようです。
 当時は、今のように原価割れでゲーム機のハードを売ったりすることもないでしょうし、ソフト開発にかかるコストもずっと少なかったでしょうからね。一部のファンだけをターゲットにしていても商売になったのかもしれません。ちなみにSC-3000のSCは「Sega Computer」、SG-1000のSGは「Sega Game」の略のようです。
 
 SC-3000は、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、スペイン、イタリアなどの海外でも発売されており、オーストラリアではJohn Sands社、ニュージーランドではGRANDSTAND社、フランスではYENO社がOEMで販売していました。YENOは、後にエポック社のゲーム機「スーパーカセットビジョン」などもOEM販売したようです。
 
 SC-3000のCPUは、NECのμPD780C-1(Z80A互換)3.58MHzです。
 RAMは、2KB(SG-1000は1KB)でV-RAMが16KBです。
 ROMは、全てカートリッジで供給される仕様でした。
 VDPは、テキサスインスツルメンツ(TI)のTMS9918Aで表示能力は、テキストが40/32文字×24行、グラフィックが256×192ドットで15色(水平方向8ドット単位に2色)と16×16ドット15色中1色のスプライトを32枚(水平方向4枚まで)です。
 サウンド機能は、DCSG(SN76489)で4オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
 
 このパソコンは、モニタROMも持っておらず、全てROMカートリッジから起動する仕様だったようです。BASIC ROMも別売です。515バイトのRAMを搭載したBASIC-LEVEL II A~32KB RAMのBASIC-LEVEL III B、同じく32KBのRAMを搭載したホームベーシック(ROMのサイズが32KBを超えるためか、フリーエリアは約26KBだったようです)など5種類のBASICカートリッジが発売されました。(Bは、SG-1000シリーズ対応のカートリッジです)
 29,800円という価格は、他のゲームパソコンより安価だったわけですが、内蔵RAMが2KBで本体内にROMを持たず全てROMカートリッジで提供するというゲーム機のような仕様とBASIC ROMが別売だったことが大きいと思われます。本体内蔵のRAMは2KBしかありませんが、BASIC ROMには、RAMを内蔵していました。
 SC-3000は、チクレットキーボード(Wikipediaにはメンブレンキーボードとありますが、メンブレンスイッチを使っていても形状はチクレットキーボードだと思います)でしたが、キーボードをタイプライタ風に変更したSC-3000Hも33,800円で12月に発売されています。
 面白い周辺機器としては、64KB RAM、3インチFDD、セントロニクス準拠8ビットパラレルプリンタポート、RS-232Cシリアルポートを搭載し、DISK BASICを付属した拡張ユニット「スーパーコントロール・ステーション SF-7000」が79,800円で発売されています。
 
 ぴゅう太、SORD M5、RX-78、PV-2000など、この頃に登場したゲームパソコンは、任天堂のファミリーコンピュータよりもゲーム機としての性能が劣っていたため、ファミコンの隆盛と共に消えた印象があります。MSXは、統一規格ということもあり、それなりの勢力を持つことになりますが、このクラスのゲームパソコンは、MSXパソコン発売以降、下はファミコン、上はMSXとの競争に晒されました。

サイト名 リンク
SC-3000
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/SC-3000

(米)Tandy The Radio Shack TRS-80 MC-10 - 1983年7月発売(119.95ドル)

 TRS-80 MC-10は、タンディ・コーポレーションが1983年に発売した低価格なホームコンピュータです。
 このパソコンは、おそらく1982年7月に発売されたSinclair ZX81の北米版Timex Sinclair 1000に触発されて開発されたのではないかと想像できます。コモドールからもCommodore 16やCommodore 116といった低価格なホームコンピュータが発売されていることからも100ドル程度で販売される入門機というジャンルの製品が当時のアメリカのホームコンピュータ事業者には脅威に感じられたということが分かります。
 日本でもアメリカで一斉を風靡したゲーム機Atari VCS(Atari 2600)の日本版Atari 2800が1983年に発売されるということで、その黒船に対抗して1983年には数多くのゲーム機やゲームパソコンが発売されました。
 SEGA 32Xの開発経緯もAtari Jaguarの発売に過剰反応した結果という話もあります。他社の画期的に見える製品に対して経営陣が過剰に反応するという事例はよくあることなのかもしれません。

 TRS-80 MC-10のCPUは、モトローラのMC6803(0.89MHz)です。
 MC6803は、MC6800の亜種で、MC6800にいくつかの命令を追加し一部命令を高速化、RAM(128バイト)、ROM、クロックジェネレータ、シリアル・パラレルI/O、タイマを追加したMC6801のROM無しバージョンです。
 CPUパワー的には、MC6802相当のMN1800A(可変クロック約0.6~1.3MHz)を搭載していた松下通信工業のJR-200とMC6800相当のMB8861(0.895MHz)を搭載したJR-100との中間くらいの性能だったのではないかと思います。

 RAMは、本体内に4KBが標準搭載されており、16KBの拡張メモリモジュールを取り付けることで合計20KBまで拡張可能だったようです。
 ROMは、8KBでMicrosoft Micro Color Basicが搭載されていました。
 表示能力は、VDGにTRS-80 Color Computer(CoCo)と同じMC6847が搭載されています。
 32文字×16行のテキストモードから、64×32ドット・8色~256×192ドット・2色(VRAMが足りないため、部分的にサポート)までの複数のグラフィックモードがありました。
 スペック上は、音源チップ等は搭載されていないようですが、ゲームの動画を見ると矩形波の効果音やBGMが鳴っている動画もあります。おそらく、TRS-80 model Iでも使われていたテクニックでカセットテープデータレコーダポートを利用して音を鳴らしているのではないかと思われます。RS-232Cシリアルポートも標準装備されていますので、そちらを利用することも可能かもしれませんが、特殊な機器やケーブル等が必要になるため、カセットポートの可能性が高いでしょう。

 TRS-80 MC-10は、小型のキーボード一体型のホームコンピュータで、キーボードはチクレットキーボードでした。
 本体右側には、電源スイッチ(スライドスイッチ)があります。
 本体背面には、背面から見て、左からACアダプタ接続ポート、TV(RF)出力ポート、メモリ拡張ポート、リセットボタン、シリアルポート(DIN)、カセットテープデータレコーダポート(DIN)がありました。

 アメリカでは、人気が出ず翌年に販売中止されたTRS-80 MC-10ですが、フランス企業のMatra社(航空宇宙、防衛、自動車、通信などの複合企業)とHachette Livre社(出版グループ)により赤いボディカラーのMatra Alice(正式名称:Matra & Hachette Ordinateur Alice)というクローン機が1983年に発売されています。
 こちらは、それなりに人気があったようで、1983年にビデオチップにThomson EF9345(MC6847との互換性はありません)を搭載したMatra Alice 32(8KB RAM、8KB VRAM、16KB ROM搭載、MC-10/Aliceにあった32桁x16行のセミグラフィックモードをソフトウェアでエミュレートしています)、1984年にMatra Alice 90(Matra Alice 32をベースに32KB RAM、タイプライター風キーボード搭載)、1985年にMatra Alice 8000(4.9MHzのMC6803とIntel 8088を搭載、64KB RAM)といった後継機が発売されています。

サイト名 リンク
TRS-80 MC-10
(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/TRS-80_MC-10
Matra Alice
(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Matra_Alice
Thomson EF9345
(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomson_EF9345

(英)Acorn Electron - 1983年8月発売(199ポンド)

 エイコーン・コンピュータは、1983年8月25日にBBC Micro Model Bとほぼ同じカタログスペックで拡張性を廃した廉価版の姉妹機Acorn Electron(愛称は、"the Elk")をリリースしました。
 Acorn Electronは、BBC Microの機能をエミュレートするULAチップの開発が遅れたため、1983年の8月に公式にリリースされましたが、製品の出荷は遅れクリスマス商戦前にようやく出荷が開始されました。(これは、エイコーン社が予定していたよりも1年近く遅れての発売でした)

 Acorn ElectronのCPUは、MOS6502(Synertek SY6502A)です。動作クロックは、2MHzとBBC Microと同じですが、実際には可変でROMアクセス時は2MHz、RAMアクセス時は1MHzで動作していました。
 メモリは、RAMが32KBでModel Bと同じ容量でした。(後述しますが、メモリアクセスにウェイトが掛かっています)ROMは、MOS(Machine Operating System)に16KB、BASICに16KBです。
 表示能力は、画面モードのモード7が削除されていますが、それ以外は同じ画面モードを持ちます。ただ、メモリアクセス速度の関係で実行速度に違いがありました。

画面モード
テキスト
解像度
色数
RAM使用量
画面タイプ
0
80桁×32行
640×256ドット
2
20KB
グラフィック
1
40桁×32行
320×256ドット
4
20KB
グラフィック
2
20桁×32行
160×256ドット
8
20KB
グラフィック
3
80桁×25行
640×200ドット
2
16KB
テキスト
4
40桁×32行
320×256ドット
2
10KB
グラフィック
5
20桁×32行
160×256ドット
4
10KB
グラフィック
6
40桁×25行
320×200ドット
2
8KB
テキスト

 サウンド機能は、ULAによるエミュレーションで7オクターブの矩形波単音+ノイズ1音に変換されます。

 Acorn Electronは、キーボード一体型の筐体で低価格なホームコンピュータとしては珍しいしっかりとしたタイプライター風キーボードを備えています。(キータッチは、BBC Microよりも評判が良いです)
 本体の左側面には、奥からRF出力ポート(RCA)、コンポジットビデオ出力ポート(RCA)、RGBビデオ出力端子(DIN)、カセットテープデータレコーダ接続端子(DIN)があります。右側面には、19VのACアダプタを接続するための電源端子があるだけです。
 背面には、拡張ユニット用のエッジ・コネクタがあります。背面にAcorn Plus 1~3というカートリッジスロットやフロッピーディスクドライブ等の拡張ユニットをドッキングする方式を採用しています。(Econet機能を提供する予定だったPlus 2は、発売されませんでした)
 また、セカンドプロセッサのインタフェース「Tube」は削除されています。

 Acorn Electronでは、多くの機能をULAチップにまとめたことで主要なチップ数を大幅に削減して、コストダウンすることができました。(スティーブ・ファーバー氏のコメントによれば、主要なチップ数がBBC Microの102個から12~14個へ削減されたとのことです)
 しかし、この巨大なULAチップは技術的妥協による制限(初期のULAチップは故障率も高かったようです)があり、サウンド機能は7オクターブの矩形波単音にスペックダウンされ、ハードウェアスクロール機能やモード7が削除されています。モード7はテレテキストを利用するための画面モードでオプションのテレテキストアダプタを接続すると多重文字放送のテキストを取得できましたが、メモリの消費が少ないモードだったためゲームに利用されることが多かったようです。Acorn Electronのモード7は、モード6(ビットマップテキストの中解像度画面モードでモード7に比べて低速でメモリ消費が大きかった。モード7=1KB、モード6=8KB)に置き換えられて実行されますが、互換性に深刻な問題を引き起こしたようです。独立したVRAMを持たない設計のため、画面モードによりRAMのフリーエリアが変わってしまうのが問題だったのでしょう。NECのPC-8801は、独立したVRAMを持っていますが、N-BASICモードで起動したほうがフリーエリアが大きいため、このモードから起動する仕様のソフトがありました。PC-8801に例えるとN-BASICモードが使えなくなり、そういったソフトが起動できなくなる問題が起きたのだと思います。(実際にPC-8801FH/MH以降の機種では、仕様変更によりN-BASICモードから起動する一部のソフトが起動しなくなる問題が発生しました)

 また、コストダウンのためにメモリバスが4ビット幅に変更されている(BBC Micro Model Bでは、16Kビットのメモリチップを16個搭載していましたが、Electronでは、64Kビットのメモリチップを4個の構成に変更されました。バスと各メモリチップとは1ビットで接続されているため、メモリバスが4ビット幅ということです。BBC Microに対して画面モードにより2~4倍程度の遅延が発生しました)ので、プログラムの実行速度が低下しています。

 Acorn Electronの価格は、発売当初199ポンドでしたが、ライバルのSinclair ZX Spectrumは、48KB版の価格を175ポンドから130ポンドへ値下げしており、Acorn Electronの価格競争力は低下していました。それでも1983年のクリスマス商戦では好調だったため、AcornはElectronの増産を行います。しかし、1984年以降は、売れ行きが止まり大量の在庫を抱えてしまいました。1985年1月には129ポンドに値下げが行われましたが、BBC Microのアメリカ進出の失敗と合わせてAcornの株価を下落させる原因となり、同社はイタリア企業のOlivettiに買収されました。

サイト名 リンク
Acorn Electron
(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Acorn_Electron

三菱 MULTI8 - 1983年9月発売(123,000円)

 三菱電機が1983年に発売した8ビットホビーパソコンです。
 特徴が無いのが特徴という感じのパソコンですが、N-BASICで記録したカセットテープのプログラムを読み込めたらしいですね。カタログにも載っていない隠し機能だったようです。
 
 MULTI8のCPUは、Z80A互換CPUでクロックは、3.99MHz、メインRAMが64KB、グラフィックVRAMが48KB、テキストVRAMが4KB、ROMがBASICに32KB、文字定義に2KBです。
 表示能力は、テキストが80文字×25行~36×20行、グラフィックが640×200ドット8色1画面もしくは、モノクロ3画面です。
 サウンド機能は、矩形波3音+ノイズ1音です。
 また、面白い周辺機器として、M-BASICから制御することができる「MOVE MASTER RM-101」というロボットアームがあったようです。トミーのアームトロンや任天堂のファミリーコンピュータロボットに比べるとかなり本格的な印象のロボットアームでした。
 
 このクラスでは、標準的な性能のパソコンですが、過去のソフトウェア資産がないのにこの時期に発売したのが失敗だったと思います。もう一年早く発売されていれば、違った結果になったかもしれません。価格もFM-7と近いですし、X1シリーズでも低価格モデルのX1Cが近い時期に発売されましたからね。 他の御三家以外の会社と同様、三菱電機の8ビットパソコンは、MSX規格へ移行します。

サイト名 リンク
MULTI8
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/MULTI8

NEC PC-100 - 1983年10月発売(398,000円/448,000円/558,000円)

 おそらく、日本のパソコンで初めてGUI(グラフィカルユーザインターフェース)をサポートした機種です。
 アスキーの西氏の提案で日本版「Alto」(ゼロックスのパロアルト研究所で作られたGUI試作機、AppleのLisaやMacintoshに影響を与えた)を目指して開発されたようです。
 NECのパソコンですが、製造は京セラが行っていたようです。(開発にも京セラの子会社が関わっていたようです)
 京セラが関わったNECのパソコンと言えば、他にもPC-8201がありますが、良く言えば先進的、悪く言えば時代を先取りしすぎて売れなさそうな機種という点で似ています。ちなみにPC-100の開発コードは「TRON」(後のOSプロジェクトとは無関係)だったようです。
 
 PC-100のCPUは、Intel i8086セカンドソースのNEC μPD8086-2(7MHz)です。
 μPD8086-2は、8MHzで動作可能なのですが、メモリをノーウェイトで動作させるために7MHzにクロックダウンしているようです。基盤には、i8087(浮動小数点演算コプロセッサ)とi8089(I/Oプロセッサ)のソケットがあり増設可能だったようです。
 メインRAMは、128KBで最大768KBまで拡張可能です。
 ROMは、モニタやキャラクタ定義に32KBとJIS第1水準漢字ROMが搭載されていました。
 PC-100のテキストは、ビットマップ方式(テキストをグラフィック画面に直接表示する方式。テキストVRAMに表示する方式に比べて表示速度は落ちるが、ドット単位で表示位置を決めることができ、文字の修飾や変形等が容易となる。厳密にはVRAMへのデータ格納方式のことで現在のパソコンは全てこの方式です)でVRAM容量は、model 10とmodel 20は128KBで、model 30はオプションのカラーインタフェースボード(14万8000円)を標準装備して512KBでした。
 
 フロッピーディスクドライブ(FDD)は、5.25インチの2Dドライブで、360KBのMS-DOS FAT12フォーマットだったようです。(日本では、2DのFDは320KBのフォーマットが一般的でした)
 model 10がFDD1基、model 20/30がFDD2基搭載です。
 FDDを横に並べた筐体は、PC-9801Fに比べ約65%の容量になっているようです。
 同時期にPC-9801Fが2DD(640KB)のFDDを搭載していたことを考えれば、PC-100のようなハイエンドモデルで2D(しかも360KBと特殊な容量)というのはマイナスに作用したと思います。
 
 表示能力は、model 10と20は、モノクロで720×512ドット(VRAM上は1024×1024)、model 30では、512色中16色のカラー表示が可能で、model 10や20でもカラーインタフェースボードを増設することでカラー表示が可能です。
 また、ディスプレイを縦置きにすることも可能でした。専用ディスプレイのチルトスタンドに縦置き・横置きを検出する機械式スイッチが搭載されていて、自動的に横置きか縦置きかを判別しました。凝った機能ですが、解像度も含めて一般的なディスプレイを利用することができなかったことで購入者の幅を狭めてしまったかもしれません。
 サウンドは、周波数固定(2400Hz)のBEEP音のみです。
 
 OSは、マイクロソフトのMS-DOS Ver.2.01を標準で同梱しています。 MS-DOS上で動作するGUI環境のVISUAL COMMAND INTERFACE(VISUAL SHELL、通称:VSHELL)も付属しており、マウスオペレーションが可能でした。VSHELLは、マウスオペレーションでDOSコマンドを実行できるランチャーのようなもので、アプリケーションにGUI環境を提供するようなものではありませんでした。
 付属ソフトは、ジャストシステムのワープロソフトJS-WORD(一太郎の祖先)、マイクロソフトの表計算ソフトMultiplan、GW-BASIC、ゲームソフトのロードランナーなどが同梱されていたようです。
 当初の予定では、MS-DOS上でGUI環境を実現するWindowsを搭載するつもりだったようですが、開発が間に合わなかったため、個別のアプリケーションでGUI処理を行う方式となったようです。
 
 VRAM上で1024×1024ドットのビットマップ方式を採用し、GUIを実現した先進的なパソコンでしたが、同社の主力機PC-9800シリーズと競合してしまい、メーカーも本腰を入れなかったため商業的に失敗しました。PC-100は、半導体開発部門によって開発されましたが、PC-9801を開発した情報処理事業グループとの対立を回避するために半導体開発部門がパソコン開発から手を引いたようです。
 1983年の1月には、AppleからLisaが発売されていましたが、Macintoshはまだ登場していない時期にPC-100は発売されています。
 当時は、メモリの価格が高く、カラーでGUIを実現しようとすれば非常に高価になってしまいました。PC-100もmodel 30とカラーディスプレイで70万円を超える価格でした。プリンタ等も考えれば、100万円近くになったのではないかと思われます。
 
 PC-9801Fに対して高価に感じるPC-100(2DDのFDDを搭載し、カラー対応で定価398,000円のPC-9801Fに対してPC-100は、カラー対応だと558,000円でFDDは2Dだった)ですが、ワープロソフトや表計算ソフトなどが同梱されていた点などを考慮すれば、むしろ頑張った価格であったことが判ります。

サイト名 リンク
PC-100
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/PC-100

カシオ PV-2000 - 1983年10月発売(29,800円)

 カシオ計算機が1983年に発売したゲームパソコンです。愛称は「楽がき」。
 SEGA SC-3000と同じ価格で発売されていますが、BASICが別売のROMカートリッジで供給されていたSC-3000と違いBASIC ROMが内蔵されています。
 同時にゲーム機のPV-1000を発売した辺りもSC-3000に似ていますが、SG-1000と互換性のあったSC-3000とは違い、PV-1000とPV-2000には互換性がありませんでした。(ビデオチップが違ったようです)
 差別化の為かもしれませんが、ただでさえソフトの少ない新規参入姉妹機種同士で互換性が無いのはマイナスに作用したと思います。
 
 PV-2000のCPUは、NECのμPD780C-1(Z80A互換)3.58MHzです。メインRAMは、4KBでVRAMは、16KBです。ROMは、BASIC等に16KBとROMカートリッジスロットを持っています。
 ROMには、BASICの他、「楽がき」の由来と思われるお絵かきソフトのプログラム等が入っています。
 VDPは、テキサスインスツルメンツ(TI)のTMS9918Aで表示能力は、テキストが32文字×24行、グラフィックが256×192ドットで15色(水平方向8ドット単位に2色)と16×16ドット15色中1色のスプライトを32枚(水平方向4枚まで)です。
 サウンド機能は、DCSG(SN76489)で4オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
 また、PV-2000のキーボードはメンブレンキーボードでした。
 
 SEGAのSC-3000と比べると、メインRAMの容量が倍で、BASICやグラフィックツールのROMが内蔵されている点で、ハードウェアとしては、お得感があります。しかし、安っぽいメンブレンキーボードだったことや、PV-1000との互換性もなく、ソフト供給に乏しかったこともあってか、商業的に失敗し、1年程で販売が終了されます。
 この後、カシオのホビーパソコンは、MSX規格へ移行し、翌年の1984年には、PV-2000と同じ29,800円でPV-7というMSXマシンを発売しました。

サイト名 リンク
PV-2000
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/PV-2000

(英)Memotech MTX - 1983年11月発売(MTX500:275ポンド/MTX512:315ポンド/RS128:399ポンド)

 Memotech MTXを発売したイギリスのMemotech社(Memotech Limited)は、ZX81の周辺機器(特に拡張RAMパックが有名なようです)を製造販売するサードパーティメーカーでした。
 しかし、周辺機器だけでは採算が採れなくなってきた(おそらく、ライバル企業が増えたり、ZX81の売れ行きがピークを過ぎたことが原因ではないかと思います)ため、自社でホームコンピュータ事業に参入することにしたようです。
 1982年以降、イギリスではホームコンピュータ事業に新規参入する企業が急増しましたが、その原因の一端は、シンクレアリサーチにあると思います。シンクレアリサーチが発売したZX80やZX81は、技術的に見れば単純なものだったため、『これが成功するのだから、もっと高性能なホームコンピュータを作れば・・・』と二匹目のドジョウを狙って参入した企業が多かったのではないかと思います。
 しかし、ほぼすべての企業が失敗しました。シンクレアリサーチは、ZX80やZX81で成功した実績と徹底した低価格路線で販売台数を伸ばしましたが、高性能でも価格の高いホームコンピュータはあまり受け入れられませんでした。そのカテゴリには、アメリカのCommodore 64が参入してきたこともあるのではないかと思います。

 Memotech MTXのCPUは、Z80(4MHz)でRAM容量は、MTX500が32KBでMTX512が64KB、RS128が128KBでした。VDPにも16KBのVRAMが専用に接続されています。
 ROMはBASIC等に24KBで、16KBと8KBのROMをバンクスイッチで切替える方式だったようです。ROMには、BASICインタプリタの他、アセンブラ・逆アセンブラ、マシン語モニタプログラム、MTX Noddyというカード型データベースの独自言語などが入っていたようです。
 表示能力は、VDPにTMS9918A(PAL版のTMS9929A)または、TMS9928A(映像出力を色差出力・RGB相当 [R-Y,B-Y,Y] にしたもの)で256×192ドット・16色、最大32個のスプライト表示機能など、TMS9918Aを搭載したMSX等と同じ表示能力を持っています。
 サウンド機能は、SN76489A(DCSG)で矩形波3音(6オクターブ)+ノイズ1音です。
 Memotech MTXのようにCPUにZ80、VDPにTIのTMS9918A、音源にPSGやDCSGといった構成は、SORD M5、Spectravideo SV-318/328、MSX規格、SEGA SC-3000、Casio PV-2000、Coleco Adamなど、当時の多くのパソコンが採用していました。

 Memotech MTXのケースは、頑丈なアルミニウム製で機械式のタイプライター風キーボードを備えていました。ケース左側面には、カバーに覆われた拡張用のエッジコネクタ(カートリッジスロットとしても利用可能)があります。メインボードの右端にもエッジコネクタがありますが、メインボードは本体内の左側に設置されているため、右端のエッジコネクタの右側(本体内の右側)にはスペースがありました。こちらは、デイジーチェーン接続を介して2枚の拡張カードを本体内に装着できる内部拡張スロットのようです。オプションでRS-232とFDXディスクインタフェース用の拡張カードが用意されていました。
 本体背面には、背面から見て左から2つの拡張カード用スロット、コンポジットビデオ出力端子(BNCコネクタ)、音声出力端子(モノラルミニプラグ)、電源アダプタ接続端子、TV(RF)出力端子、パラレルプリンタポート(セントロニクス社準拠の独自コネクタ)、カセットテープデータレコーダ接続端子(MIC、EAR)、2つのジョイスティックポート(DE-9コネクタ)があります。
 Memotech MTXは、Z80を搭載したパソコンだったので、CP/Mを使うことができました。オプションのFDXおよびHDXディスクといった周辺機器を購入するとCP/M 2.2のライセンスが付属していたようです。

 1984年には、128KBのRAMを搭載したRS128が追加されました。この時期のイギリス市場は、ホームコンピュータが飽和状態であり、ずっと安価なSinclair ZX Spectrumが支配的な立場だったため、ユーザーの関心を引くことができなかったようです。
 Memotech社は、ソ連への大型輸出計画(当時は、16ビットパソコンなど高性能なコンピュータを東側諸国へ輸出することが禁じられていましたが、8ビットパソコンは対象外でした。いわゆるCOCOMです)に注力しましたが、最終的に契約は破綻し、1985年にMemotech社は倒産しました。
 ちなみにこの計画は、ソ連の約6万4千の学校にパソコンを納品するという国際入札だったようで、最終的に入札で勝ったのは、MSX規格のヤマハの製品だったようです。機種は、YAMAHA KUVTというYIS-503を輸出仕様(ロシア語にローカライズしたキーボードとソフトウェアが付属)にしたモデルだったようです。
 その後、Memotech社の創業者ジェフ・ボイド氏が資産を購入し、1986年2月にMemotech Computers Limitedとして再生しました。この会社は、Memotech社が過去に販売したパソコンのサポートを行い、新機種Memotech MTX512 Series 2を1986年に発売しました。

 このパソコンの敗因は、リリース時期が遅かったことと、価格が高かったことにあると思います。頑丈なアルミケースとタイプライター風キーボードを持つ高級感のあるホームコンピュータなので、値段の価値はあると思いますが、既に安価なSinclair ZX Spectrumがシェアを拡大していた時期に発売されたため、多くのユーザーを獲得するのが難しかったのではないかと思います。それにこのパソコンが発売した頃は、丁度、Acorn Electronが話題になっていた時期だと思われます。
 性能面では、初代MSXとあまり変わらないので、ZX Spectrumを性能で圧倒するほどでもなかったことも影響していると思います。明確に高性能なCommodore 64は、イギリスでもかなり売れていますからね。
 価格については、MSXも1984年にイギリスで発売されており、一番売れたのは東芝のHX-10(パソピアIQ)のようですが、価格は279ポンドだったようです。HX-10は、64KBのRAMと16KBのVRAMを持つため、315ポンドで販売されたMTX512と同じくらいの性能です。

サイト名 リンク
Memotech MTX
(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Memotech_MTX

SONY SMC-777 - 1983年11月発売(148,000円)

 ソニーが1983年に発売したホビーパソコン。
 前年にSMC-70を発売したばかりでしたが、ホビーパソコンとしては高価だったため、ホビー向けパソコンとしては失敗しています。
 SMC-777は、キーボード一体型の本体で右部分に1DDの3.5インチFDDを一基搭載しています。Amstrad CPC 6128等と同じような方向性のデザインです。(SMC-777のほうが発売が早いですが)
 また、MSX規格のSONY製パソコンと同じHiTBiT(ヒットビット)のブランド名を使っていました。
 
 SMC-777のCPUは、NEC μPD780C-1(Z80A互換)4MHzです。RAMは、64KBでグラフィックVRAMが32KB、テキストVRAMが4KB、PCG定義用のRAMが2KBです。ROMは、IPL等に16KBです。
 表示能力は、テキストが80文字×25行8色、または40文字×25行8色2画面、グラフィックが640×200ドット4色、320×200ドット16色でオプションのカラーパレットボードを搭載すれば、4096色から色を選択できました。(同時発色数は変わりません)
 サウンド機能は、TIのSN76489(DCSG)を搭載しており、6オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。SMC-70との互換性のためSMC-70と同じ矩形波1音も搭載していました。
 
 添付ソフトも豊富でプログラミング言語は、BASIC(777 BASIC)の他に当時流行していたLOGO (DR LOGO) が同梱されており、簡易表計算ソフト(MEMO)やアセンブラ(777 ASSEMBLER)/デバッガ(777 DEBUGGER)、いくつかのゲームソフトも同梱されていました。
 CP/M Ver.1.4互換のシステムコールを持つSONY FILERというDOS上でそれらのソフトが使えるという、当時の8ビットホビーパソコンとしては珍しい本格的なコンピュータでした。当時のパソコンは、OSの代わりにBASICを使うというのが一般的でしたからね。CP/M等のDOSはオプションで高価だったため、標準でこういった環境を実現しているのは、高価なビジネス向けパソコンくらいでした。
 SONY FILER、DR LOGO、777 ASSEMBLER、777 DEBUGGERは、CP/Mのデジタルリサーチ社が開発したソフトのようです。
 
 グラフィックがSMC-70と同じく640×200ドット4色または320×200ドット16色で、当時一般的だった640×200ドット8色という画面モードが無かったため、他機種からの移植ソフトが少なかったようです。(何故かApple IIから移植されたゲームが多かったようです)
 フロッピーディスクドライブを搭載して定価15万円を切るパソコンだったのですが、FDDが当時はあまり主流ではなかった3.5インチだった(5.25インチに比べるとメディアが高価だった)こともあり、商業的には失敗しました。(フロッピーディスクドライブは2基あるほうが望ましい時代でした。メディアをコピーする時も楽ですし、ソフトもシステムディスクとユーザーディスクを入れたまま使えますからね) FDDが3.5インチだったのは、SONYが開発した規格だったので仕方がないと思います。(ちなみに3.5インチフロッピーディスクは、「90mmフレキシブルディスク」が正式名称だったようです)
 
 翌年の1984年4月にオプションだったカラーパレットボードを標準装備し、添付ソフトを増やしたSMC-777Cを168,000円で発売しました。
 追加された添付ソフトには、カミヤスタジオの「ラッサピアター(RASSAPIATOR)」(ラッパ、サックス、ピアノ、ギターから取った造語のようです)というDTM(DeskTop Music)ソフトがありました。ラッサピアターは、オルガンソフト(プリセットのオルガンで演奏させるソフトで音色を変更することはできないようです)のORANと自由に音を作れるシンセサイザーソフトのOSYNという2つのプログラムで構成されていたようです。
 他にもグラフィックエディタ(GraphicsEditor)というコマンドでグラフィックを描画するツールも追加されたようです。

サイト名 リンク
SMC-777
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/SMC-777
レトロパソコン(基礎知識編)
レトロパソコン(機種別解説編) ~1970年代~
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