前年の1981年9月に発表された東芝のホビーパソコンです。
NECのPC-8001のヒットを横目で見ながら作ったような印象のパソコンです。
価格もPC-8001に近いですが、PC-8001の発売から既に2年以上が経過していることを考えれば、ターゲットにする機種が古すぎたでしょう。ドッグイヤーと言われるくらい進化の早い業界で、特に1982年頃は次々と新機種が発売されていた時期です。
大手家電メーカーの製品だけに、それなりの販売台数(発売後1年で約6万台)でしたが、主流になれずに消えていったパソコンです。
パソピアのCPUは、シャープのLH0080A(Z80Aセカンドソース)4MHzです。
RAMは、メインRAMが64KBで16KBのグラフィックVRAMを搭載しています。
ROMは、BASIC等に32KBとCG-ROM(キャラクタ定義)に2KBです。
表示能力は、テキストが80文字×25行もしくは36文字×24行8色でグラフィックが160×100ドット8色または、640×200ドット8色(1文字サイズでの色指定)です。
この機種の特徴としては、10進演算をサポートしたOA-BASICが用意されている点です。10進演算は、電卓でも採用されていますが、浮動小数点演算のように計算誤差(浮動小数点演算では、0.1+0.2の計算結果が0.30000000000000004になったりします)が発生しないため事務用途に向いています。PA7010がT-BASIC搭載モデルで、PA7012がOA-BASIC搭載モデルでした。
本体右上にカートリッジスロットがあり、カートリッジ形式で周辺機器を拡張できる仕組みになっていました。OA-BASICもそのスロットに差し込むカートリッジとして提供されています。オプションの拡張スロットで3スロット化が可能で、バッテリーバックアップ付きRAMパックや漢字ROMパックなども同時に拡張できました。
1984年には、廉価版のパソピア5が発売されています。
1983年に機能強化されたパソピア7が発売されていたため、初代パソピアの廉価版をパソピア5として発売したようです。その後、東芝はホビーパソコンの主力をMSXへシフトしていきました。(東芝は、MSX-ENGINEというMSXの機能をまとめたカスタムチップを製造し、各メーカーへ供給をしていて、MSXの本体製造からはMSX2の頃に撤退したようです)
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パソピア (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/パソピア |
英シンクレアリサーチ社が1982年4月23日にイギリスで発売した家庭用ホビーパソコンです。(初期は通信販売のみでしたが、出荷が遅れ、注文から納品まで半年くらい掛かったそうです)
前世代のZX80・ZX81は、基本的にBASIC学習用程度にしか使えない貧弱なスペックのパソコンでしたが、低価格なこともあり、イギリスでは大ヒットしました。
新機種のZX Spectrumは、基本的な構造はZX81を踏襲していますが、機能を大幅にパワーアップさせています。価格もZX81の69.95ポンドから125ポンド(16Kモデル)へ上がりましたが、ライバル機と比べてもまだまだ低価格だったため、爆発的なヒットを記録します。
ZX Spectrumというネーミングは、クライブ・シンクレア氏が名付けたとされています。開発段階では、ZX82やColour ZX81などと呼ばれていたようです。
今でも熱心なファンが存在するようで、現在でも互換機が新品で買えるほどです。
当時のイギリスやヨーロッパ市場では、1981年末に発売されたBBC Micro、1982年にアメリカで発売されたCommodore 64、少し遅れて1984年に発売されたAmstrad CPC 464がZX Spectrumの最終的なライバルとなりました。(それ以外の機種は、1985年頃には市場から消えています)
この中で一番価格の安かったZX Spectrumは、全世界で累計500万台以上販売されました。
しかし、御三家が強く日本語という特殊な事情がある日本では発売されませんでした。
結果的にゲームパソコンとしてヒットしましたが、シンクレアリサーチは、ZX Spectrumをゲーム用途のパソコンとは考えていなかったようで、スプライト機能や高度なサウンド機能、ジョイスティックポートといったゲーム向けの機能を標準搭載しませんでした。
CPUは、ザイログのZ80A(3.50MHz)でNECのμPD780C-1が搭載されたものも多かったようです。(シンクレアリサーチのパソコンは、NEC製のチップを使っていることが多い印象です)
RAMは、16KBと48KBのモデルがあり、ROMはBASIC等に16KBです。48KBモデルは、16KBのROMと48KBのRAMでZ80のメモリマップ64KBに収まります。
ZX Spectrum 48KBモデルのRAMは、16KBのLower RAM(TMS4116相当x8)と32KBのUpper RAM(TMS4532相当x8)に分かれていました。Lower RAMの一部は、ビデオRAMに割当てられており、Upper RAMは、ZX Spectrum 128のようなメモリ容量が大きなモデルでは、16KBづつのバンク切り替えで拡張されています。
表示能力は、テキストが32×24文字で、グラフィックが 256×192ドット15色(8×8ドットの範囲内に2色まで)と、カラーやグラフィック機能が搭載されています。RGBI(RGB8色×2輝度)なので、本来は16色のはずなのですが、ZX Spectrumでは、黒色だけ輝度が変化せず15色のようです。(アメリカで発売されたTS2068では、黒も輝度変化するようで16色表示が可能なようです)
また、グラフィックの色情報をアトリビュートRAMで別に持っている構造のため、カラー・クラッシュやアトリビュート・クラッシュと呼ばれる背景の上にキャラクタを重ねると色がおかしくなる現象が発生します。この問題は、複数の画面を重ねることができず、セル単位のカラー指定しかできない機種で発生します。MSXでも起きますが、スプライトを使うことで回避できます。
ZX Spectrumは、テキストVRAMを持っていないため、ハードウェア的にはテキスト画面を持っていません。(文字をグラフィックとして表示するタイプのパソコンで当時の日本ではFM-7など富士通のパソコンもそうでした)ZX80やZX81が基本的にテキスト表示しかできなかった(セミグラフィック表示は可能)のとは対照的なハードウェア構造となっています。
256×192ドットのビットマップ(6KB)と768バイトのアトリビュートRAMの組み合わせで画面表示を行っています。カラー表示は8x8ドット単位で15色中2色の指定が可能でした。(シンクレアリサーチでは、この2色を「インクカラー」「ペーパーカラー」と呼んでいたようです)
サウンドは、10オクターブの矩形波単音です。
キーボードは、ZX80やZX81のメンブレンキーボードからチクレットキーボードに変更されています。
ZX Spectrumは、ZX81に比べて高速化されています。ZX81は、画面表示にCPU処理の7割が必要でしたが、ZX SpectrumではRAMアクセスが工夫され、CPUの負荷が軽減されています。(サイクルスチール方式ではありませんが、メモリアクセスのコンフリクトを減らすという考え方としては近いです)
ZX Spectrumは、コストダウンのため背面には拡張I/Oバス(エッジコネクタ)の他、接続コネクタが電源ソケット(DC9V)とカセットレコーダ入出力(MIC、EAR)、TV(RF)出力ポートしかありません。コネクタの配置は違いますが、これらの接続コネクタはZX81でも同じでした。
1984年には、キーボードやケース形状を変更したZX Spectrum+が179.95ポンドで発売されました。
また、1986年1月には、ZX Spectrum+と同じ価格でZX Spectrum 128が発売されました。
このモデルは、元々スペイン市場向けに開発されたものだったようです。(当時のスペイン政府がメモリ64KB以下のパソコンに課税したため)
その名の通りRAMが標準で128KB搭載され、音源もPSG音源となりました。
Spectrum 128とその後継機は、CPUのクロックスピードが変更され、PAL(Phase Alternating Line:位相反転線、主にヨーロッパで利用されていたカラーコンポジット映像信号)規格の映像信号に同期しやすい3.5469MHzとなっています。
また、BASICが強化されROMも32KBとなり、RS-232CポートやRGB端子などが追加されているようです。
シンクレアリサーチ社は、1984年に発売した上位機種Sinclair QLの商業的失敗などから経営が悪化し、1986年4月7日にシンクレアのコンピュータ製品の製造・販売権、およびコンピュータ関連のブランド名をイギリスの大手家電メーカー、アムストラッド社へ売却しました。
1986年には、シンクレア製品のブランドを買い取ったアムストラッド社がZX Spectrum +2を発売しました。
アムストラッドは、Amstrad CPC 464というパソコンを1984年から発売開始しており、ZX Spectrum +2は、Amstrad CPC 464と同じデータレコーダを本体右側に搭載しています。
その他には、キーボードがタイプライター風となり、ジョイスティック端子が追加されている以外は、ZX Spectrum 128とほぼ同じスペックです。
また、1987年には、データレコーダの代わりに3インチフロッピーディスクドライブ(FDD)を搭載したZX Spectrum +3が発売されました。+3DOSというOSがROMに内蔵され、32KBのROMが追加されています。
FDDが内蔵されているためCP/Mが追加ハードウェア不要で使えました。
ZX Spectrum +3は、ZX Spectrumシリーズから細かな変更があるため、一部のソフトは動作しなかったようです。
ZX Spectrum +3をSpectrum +2のケースに入れたZX Spectrum +2A及び、ZX Spectrum +2Bも発売されています。これは、ZX Spectrum +3のFDDがデータレコーダになったような機種と考えても良いでしょう。2Aは、+3のケースに入れると+3になりますが、2BのマザーボードはFDCに対応しておらず、+3のケースに入れてもFDDが動作しなかったようです。
また、2Bは、クリッピング問題(オーディオ出力で音の歪みが発生する問題)に対処し、音響信号出力が改善していたようです。
アメリカでは、時計メーカーの米タイメックス社(Timex Corporation)とシンクレアリサーチ社の合弁企業タイメックス・シンクレア社がTimex Sinclair 2068(TS2068)という派生機を1983年11月に発売しています。
TS2068は、ZX Spectrumを大幅に改良していて、PSG音源が搭載されていたり、ROMカートリッジスロットやジョイスティックポートを搭載していたりします。
グラフィック機能も512×192ドットのモノクロ画面など、新たなモードが追加されています。ZX Spectrumとの互換性はありませんでしたが、互換カートリッジを使うかROMをZX Spectrumのものに変更すれば、ZX Spectrum用のソフトウェアが動作しました。
後にTS2068に若干の変更を加えたモデルがポルトガルでは、Timex Computer 2068(TC2068)として、ポーランドでは、Unipolbrit Komputer 2086(UK2086)として発売されています。
また、1984年には、Timex Computer 2048(TC2048)がポルトガルとポーランドで発売されています。ZX Spectrumの北米版として発売される予定だったTimex Sinclair 2048(TS2048)をベースにしているようです。アメリカのタイメックスは、1984年にコンピュータ部門を廃止したため、TS2048は発売されませんでした。
ポルトガルで発売されたのは、ポルトガルのタイメックス子会社(TMX Portugal Lda)がTS2068を生産していたことも関係があると思われます。
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ZX Spectrum (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/ZX_Spectrum |
Intel 8085を搭載したPHC-1000などビジネス向けパソコンを発売していた三洋が1982年に発売したのがPHC-10~PHC-25とハンドヘルドPCのPHC-8000です。
個人的には、三洋が1982年にこんなに何機種もホビーパソコンを発売していたことは、全く記憶にないですね。
PHC-10は、ポケコンのような機種で電卓みたいな16桁の液晶ディスプレイが付いていたようです。価格は、24,800円となっています。
CPUは、NECのμPD7901Gとなっていますが、このCPUの型番を検索してもPHC-10関連のサイトしかヒットしません。おそらく、Z80互換CPUのμPD780を拡張したCPUだったのではないでしょうか。動作クロックも不明です。
ROMは、4KBでCPUに内蔵と書いているサイトもあります。ROMは、BASIC ROMだと思われるのでZ80相当のCPUにBASIC ROMを組み込んだカスタムチップだったのでしょうか。
RAMは、2KBで4KBまで拡張可能だったようです。
表示能力は、5×7ドットの文字を16文字表示できます。
単3乾電池4本で80時間稼動とカタログには書かれているようです。
PHC-20は、前年に発売された松下通信工業のJR-100やシンクレアリサーチのZX-81のようなBASIC学習用的なパソコンです。
CPUは、NECのμPD780-1(Z80互換)で動作クロックは、4MHz、ROMは8KBでRAMが4KBと表示用のVRAMが1KBです。
表示能力は、モノクロで32文字×16行と64×64ドットのセミグラフィックが使えます。文字は、アルファベットのみでカナは使えなかったようです。
6月に69,800円で発売されたPHC-25は、NECのPC-6001によく似たパソコンです。
CPUやVDP、PSGも同じチップを使っていますので、カタログスペックでは、まるで互換機のようです。
CPUは、NECのμPD780-1(Z80A互換)4MHzでROMが20KBと文字定義用のROMが4KB、RAMは16KBとPC-6001と同じ容量です。ただ、VRAMをメインRAM上に配置していたPC-6001と違って、2KBのVRAMを別に持っていたようです。
VDPはモトローラのMC6847(PC-6001と同じく実際には三菱電機製のM5C6847P-1だったようです)なので、PC-6001と表示能力もほぼ同じです。32文字×16行・2色、64×48ドット・9色、128×192ドット・4色、256×192ドット・2色の画面モードを持っていたようです。
サウンド機能は、オプションで矩形波3音(8オクターブ)+ノイズ1音です。
同時期に69,800円で発売されたPHC-8000は、ハンドヘルドコンピュータです。
CPUには、National Semiconductor社のNSC800を搭載しています。このCPUは、Z80と互換性のあるCMOS型のプロセッサだったようです。
24KBのROMと4KBのRAMを搭載し、内蔵の充電池で約5時間駆動したようです。
表示能力は、24桁の液晶ディスプレイに5×7ドットの文字を24文字表示できました。
この後、三洋はMSXに参入して、PHC-30以降はMSXとなりました。
また、1983年の夏ごろに178,000円で5.25インチ1DのFDDを1台内蔵したMBC-55を発売しています。
このパソコンは、IBM PCでも採用されているIntel 8088(3.58MHz)を搭載し、128KBのメモリを搭載してこの価格だったのですが、肝心のグラフィック性能が高解像度ではモノクロだったのでホビーパソコンとしては評価されませんでした。
640×200ドット・8色のグラフィックモードを持っていれば、それなりに成功していたかもしれませんね。この時期に1Dで1ドライブとはいえ、FDDが内蔵されていてRAMが128KBで20万円を切っていたわけですから。
ちなみにPHC-25には、株式会社 服部時計店(SEIKO)から互換機の「学習パソコン マップ先生」(MAP-1010)が1983年に定価98,000円で発売されました。
キーボード分離型のパソコンで本体には1200ボーのデータレコーダが内蔵されていたようです。
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Sanyo PHC-25 (Wikipedia) |
https://en.wikipedia.org/wiki/Sanyo_PHC-25 |
MZ-80Bの後継機種ですが、完全な互換性を持った機種ではありません。
特にグラフィック機能は、両機種ともオプションですが、MZ-80Bは、320×200ドット単色2画面でMZ-2000は、640×200ドット8色1画面(もしくは、モノクロ3画面)となっています。
MZ-80Bと同じく一体型の本体ですが、MZ-80Bに比べ、カセットデッキが縦型(カセットテープを縦向きに横から挿入する方式)になっており、コンパクトになりました。
MZ-2000のCPUは、シャープのLH0080A(Z80Aセカンドソース)4MHzです。メインRAMは64KBです。
オプションのグラフィックVRAMは、C000hからバンク切り替えで実装されます。テキストVRAMが2KBです。ROMは、IPLに2KB、CG-ROM(キャラクタ定義)に2KBです。
表示能力は、テキストが80文字×25行または40文字×25行の8色中1色ですが、テキストのアトリビュート(属性)機能を持たないため、文字単位での色指定はできず、画面全体での色指定となります。
グラフィック機能は、オプションの48KBグラフィックVRAMを取り付けることにより、640×200ドット8色(もしくは、モノクロ3画面)の表示が可能です。(オプションのグラフィックVRAMは、16KB毎の増設で最大48KB迄です。グラフィックインタフェースは最初の16KBのカードに含まれ、残りはDIPソケットのRAMを増設する仕組みだったようです)
ただ、標準搭載のディスプレイがグリーンディスプレイのため、カラー表示を行うにはカラーの外部ディスプレイを接続する必要がありました。
サウンド機能は、MZ-80Bと同じ1ビットD/Aによる3オクターブ単音です。
カセットテープデータレコーダを内蔵しており、平均2,000ボーのAPSS機能(頭出しなどソフトウェアでコントロール可能)搭載でMZ-80Bと同等の性能です。
1983年には、ディスプレイとデータレコーダを省き、キーボードと本体を一体型にしたMZ-2200が発売されました。拡張I/Oボックスも本体と一体型になっているため、形状としてはベーシックマスターレベル3に近いものでしたが、本体上面には廃熱口があるため、ディスプレイを置くために作られたスペースではないようです。
MZ-2000でオプションだったグラフィックVRAMも標準装備しており、価格は128,000円でした。
しかし、MZ-2000がグリーンディスプレイだったため、カラー対応のソフトが少なく、データレコーダも内蔵されていない上に高価な専用品しか使えず、ホビーパソコンとしては同社のX1シリーズに遅れを取る形となってしまいました。
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MZ-2000 (Wikipedia) |
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コモドールは、VIC-1001(VIC-20)の後継機Commodore 64を1982年に発売しました。
日本では、コモドールジャパンが「コモドール64」とその廉価版である「マックスマシーン」をそれぞれ1982年12月と1982年11月に発売しています。(アメリカでは、Commodore 64を1982年1月に発表、8月に販売開始しています)
マックスマシーンは、UltimaxやVC-10(VICだとドイツでは失礼な言葉に聞こえるためVIC-20もVC-20という製品名で販売されていました)という名前でアメリカやドイツなどでも発売する予定だったようですが、最終的に日本でのみ発売されることになりました。
Commodore 64は、主にアメリカで約250万台を売ったVIC-20の後継機です。595ドルという低価格で64KBのメモリを搭載し、グラフィックとサウンドにそれぞれカスタムチップを使ったホームコンピュータです。また、単一機種としては世界で一番売れたパソコンとして歴史に名を残しています。(販売台数については諸説ありますが、1700万台とも言われています)
Commodore 64のケースは、ブレッドビン型でVIC-1001(VIC-20)のケースと酷似しており、キーボードを含むケース上側には互換性があり相互に交換しても動作したようです。
Commodore 64のCPUは、モステクノロジーのMOS6510(1MHz)です。このCPUは、MOS6502にI/Oポートなどの機能を追加した改良版CPUです。
RAMは、名前の由来になったように64KBです。Commodore 64が設計されていた頃は、DRAMが高価だったのですが、ジャック・トラミエル氏は、DRAM価格が下落傾向にあり、Commodore 64が発売される頃には安くなっていると予想して開発中の新マシン(Commodore 64)に64KBのRAMを搭載するように命じたようです。これは、コモドール社がモステクノロジー等の半導体メーカーを傘下に持っていたからできたことだと言われています。
ROMは、KERNALとBASICに16KBとキャラクタ定義に4KBです。
VDPには、VIC-II(NTSC:MOS6567、PAL:MOS6569)というカスタムチップを搭載しています。
表示能力は、テキストが40文字×25行16色、グラフィックは、320×200ドット16色(1文字と同じサイズに2色まで)、スプライト機能も搭載されています。
VIC-1001では、映像と音声をVICという1つのカスタムチップで処理していましたが、Commodore 64では、サウンドはSIDという音源チップを使っています。このチップは、9オクターブ3和音の発声が可能(一般的なPSGのように矩形波3音+ノイズ1音ではなく、独立した3音がそれぞれノコギリ波・矩形波・パルス波・三角波・ノイズから一つを選択可能なため独特の音色を発生可能)で、後にチップチューン(PSGのような音源チップを使った音楽のジャンル)でも多用される人気の音源チップとなりました。
マックスマシーンでは、RAMが2KBになっており、プリンタ・FDD接続等に使われるシリアルI/Oポートがありませんでした。キーボードもメンブレンキーボードを採用しており、BASICはROMカートリッジでの提供となっています。RAMが2KBしか無いため、ROMカートリッジのゲームをプレイするためのパソコンといった感じです。ちなみにマックスマシーンに使われていたVIC-IIは、DRAMリフレッシュ信号を生成する機能が無いMOS6566というものでした。そのためSRAMが使用されています。
RAM容量が少ないため、グラフィック機能もありませんでした。(疑似グラフィックやスプライト機能は使えます)
そのため、マックスマシーン用のソフトは、Commodore 64で使えますが、Commodore 64用のソフトはまず動作しなかったようです。
マックスマシーンは、ハードウェアの性能は高いのですが、パソコンとして見れば、このRAM容量は致命的だったかもしれませんね。まるでゲーム機にキーボードが付いているようなパソコンです。(ファミコンもパソコンとして使おうとするとRAM容量が少なすぎるため問題があると思われます) 独立したVRAMを持たず、画面表示にもメインRAMを使用するため、BASICのフリーエリアはかなり少なかったのではないかと思われます。せめて16KB程度のRAMを持っていればパソコンとしても使えたかもしれませんが、Commodore 64(C64)との差別化が困難になることを危惧されたのかもしれません。コモドールは、後にCommodore 16という16KBのRAMを持ったエントリーモデルを投入しますが、こちらはVIC-IIやSIDといったチップが使われずにTEDという1つのチップにグラフィックとサウンドを担当させています。そのため、C64とは互換性がありませんでした。これもC64と差別化するためだったのかもしれませんが、ユーザーが望むものではなかったため商業的に失敗します。
1983年にEducator 64という、C64をPETの筐体に収めたグリーンディスプレイの一体型パソコンが教育機関向けに発売されました。
1984年には、ポータブル版のSX-64とスモールビジネス向けの派生機Commodore Plus/4とエントリー向けの派生機Commodore 16/116のCommodore TEDシリーズを発売しています。
SX-64は、5インチのブラウン管ディスプレイと1D(170KB)の5.25インチフロッピーディスクドライブ(FDD)を1基搭載した、世界初のカラー表示可能なポータブルコンピュータです。
1985年には、Commodore TEDシリーズの反省を生かしたCommodore 128(C128)を299ドルでリリースしています。1985年7月にイギリスで先行発売され、同年11月に北米で発売されました。(当時の北米市場はPC互換機が強かったため、コモドール製品はヨーロッパ市場に注力していたようです)CPUにMOS8502を搭載し、CP/Mを使う為にZ80Aも同時に搭載しています。C128モードとCP/Mモード、C64モード(CPUを低速に切り替えた互換モード)の3つのモードで動作しました。8ビットパソコンをビジネス用途に使うためには、CP/Mが必要だったため、Apple IIでもMicrosoft SoftCardなどのZ80を搭載したドーターボードを増設してCP/Mを利用できましたが、C128が発売された頃にはCP/Mが下火だったため、CP/Mモードで使っている人は殆ど居なかったようです。
1985年の後半には、Amiga1000に似たピザボックススタイルのCommodore 128Dがヨーロッパで先行発売され、1年後に499.95ドルで北米でも発売されました。5.25インチFDDを1基内蔵しています。このFDDは、C128用周辺機器のCommodore 1571と同じ性能のドライブで、容量は2D(340KB)でした。
ちなみに初期に発売されたC64用の外付けFDDは、Commodore 1541というモデルで、容量は1D(170KB、手動でひっくり返してもう片面の170KBの容量が使えますが、後の2Dドライブでそのまま使うことはできませんでした。ディスクをひっくり返すと回転方向が逆になるためです)でした。C64のシリアルI/Oポート(VIC-20の頃から存在したポートですが、VIC-20用の外付けFDD Commodore 1540はC64では利用できませんでした。理由はVIC-IIのビデオ信号サイクルの問題でシリアル信号の同期が困難だったようです。つまり、Commodore 1540のシリアル信号速度がC64には速すぎたのでしょう)に接続して使用されましたが、データ転送速度が約0.4KB/sと非常に低速だったようです。C128では、バーストモードの実装で高速化され、後継モデルのCommodore 1570/1571では、データ転送速度が約5KB/sと高速になりましたが、C64に接続すると低速になります。また、C128のC64モードでもバーストモードが使えないため低速になります。また、これらのシリアル接続のフロッピーディスクは、本体側にフロッピーディスクインタフェースを持っているわけではないため、ディスクドライブ本体が独立したコンピュータのような存在でした。例えば、Commodore 1541は、内部にMOS6502(1MHz)のCPUや16KBのROM、2KBのRAMなどを持っています。そのため、FDDの価格が399ドルと高めに設定されています。(生産台数が違うため、当時の日本のパソコンのFDDに比べれば安いですが)
1986年には、C64の外観をブレッドビンタイプからC128風にしたCommodore 64Cが発売されました。
1990年には、キーボードを取り払ったゲーム機Commodore 64 Games Systemが発売されています。
サイト名 | リンク |
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コモドール64 (Wikipedia) |
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マックスマシーン (Wikipedia) |
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コモドール16 (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/コモドール16 |
コモドール128 (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/コモドール128 |
Dragon 32/64を製造したドラゴンデータ社(Dragon Data Ltd.)は、イギリスのウェールズに設立された会社で「赤い竜」(Y Ddraig Goch:ア・ドライグ・ゴッホ。ウェールズの旗にもなっています)の伝承にちなんで会社名が付けられています。
ドラゴンデータ社は、玩具会社のMettoy(Metal Toyの略でCorgiブランドで有名なミニカーや鉄道模型など、金属製の玩具を製造販売していた企業のようです)の子会社です。
Dragon 32/64は、Tandy The Radio Shack TRS-80 Color Computer(CoCo)の姉妹機のような存在で、完全な互換性はありませんが、カートリッジスロットの仕様なども共通しているため、一部のソフトはそのまま動くようです。
コピー商品というわけではなく、モトローラ社のリファレンス設計(MC6883 SAMチップのデータシート設計)に基づいて開発されたということのようです。
そのため、開発期間が短く、製品の発表から発売までの期間がわずか2ヶ月でした。
Sinclair ZX Spectrumは、1982年4月に発売されましたが、出荷が遅れ注文から納品まで半年程度掛かったようです。
Dragon 32は、その間の1982年6月に発表され、8月に発売されました。
Dragon 32は、1982年にイギリスのコンピュータ人気ランキングでトップ3に入るほど売れましたが、親会社のMettoyの業績悪化がドラゴンデータ社の将来に影を落としたようです。
この問題は、ウェールズ開発庁やプルデンシャル保険の投資会社プルーテックの支援により解決され、開発が継続されました。
1982年8月に発売されたDragon 32は、ROM・RAMの容量や外部インタフェース等に違いはありますが、初代TRS-80 Color Computerと基本スペックが同じです。CPUは、モトローラのMC6809E(0.89MHz)で、RAMは32KBを搭載しています。ROMは、Microsoft Extended BASICに16KBです。BASICもCoCoのTandy Color Computer's Extended Basicとソースレベルでは互換性があるものでしたが、トークン化したときのコードは異なっているようです。この辺りは、BASIC ROMのサイズがCoCoの8KBから倍の16KBになっているので当然です。
VDG(VDP)もCoCoと同じモトローラのMC6847を搭載(日本では、NEC PC-6001や三洋のPHC-25が採用)しており、表示能力は、テキストが32桁×16行4色とセミグラフィックの64×48ドット8色、グラフィックは、256×192ドット2色、128×192ドット4色といった画面モードがあります。グラフィック性能を1980年発売のCoCoと同等性能ではなく進化させておいたほうが、システムの寿命が伸びたのではないかと思います。似たような事例として日本の初代MSX規格もコスト優先で古いVDPを採用したことで、安価なゲーム機のファミコンに負ける表示性能になってしまいました。
サウンド機能は、CoCoと同じで6bitのDACです。
Dragon 32は、テンキーの無いキーボード一体型のケースデザインで、キーボードレイアウトもCoCoと同じです。奥行きがあるため、Apple IIに似たデザインです。
本体右側面にCoCoと同じ仕様のROMカートリッジスロットがあります。左側面には、奥からTV(RF)出力端子、DIN 5Pin左ジョイスティックポート、DIN 5Pinカセットレコーダ接続端子、DIN 5Pin右ジョイスティックポート(ジョイスティックポートはライトペンもサポートされていました)、一番手前にパラレルプリンタポートが搭載されており、CoCoに搭載されていたシリアルI/Oポート(プリンタポート)は存在しません。この変更によりプリンタに対するデータ転送速度は上がりましたが、キーボードのマッピングが変更されました。そのためDragon 32とCoCoは、同じキーボードレイアウトでしたが、繋ぎ変えただけでは正常に動作しません。
また、RF出力のみだったCoCoとは違い、Dragon 32のケース背面には、DIN 5Pinコンポジットモニタ出力端子も搭載されていました。その他には、電源ユニット接続ポート(DE9)と電源スイッチがあります。
Dragon 32は、低価格なホームコンピュータとしては珍しい頑丈なケース(本体内に電源ユニットが内蔵されていないため重量はそれほどありません)とタイプライター風キーボードを備えており、ドラゴンデータ社の設立目的が親会社Mettoyのデータ処理業務を行うことから始まっていたことを考えれば、頑丈な筐体やタイプライター風キーボード、ライトペンのサポートなどはわかりますが、テンキーの無いキーボードや小文字(lower case)の表示ができず、80桁表示にも対応しない中途半端な設計でした。
それにもかかわらず、ウェールズ開発庁やプルーテックの支援により、ドラゴンデータ社の生産規模は急速に拡大しました。
外付けディスクドライブなどの周辺機器が発売され、Delta DOSやDragonDOS、OS-9などのサポートも行われますが、過剰な生産に対して人気は低迷していきました。
面白い周辺機器としては、ケンブリッジにあったLucidata社のDragon's Clawという製品で、これを使うとBBC Microの周辺機器を使用することができたようです。
発売初期にDragon 32が好調だったため、アメリカでもルイジアナ州ニューオーリンズのTano Corporationによって、Tano Dragon 64が製造販売されました。Tano Dragon 64の価格は、399ドルで、ワープロソフトや表計算ソフトなどがバンドルされていたようです。1983年8月に発売されたTano Dragon 64は、1983年のホリデーシーズンはかなり好調だったようです。
Tano Dragon 64がアメリカで先行発売された後、9月にイギリスでもDragon 64が225ポンドで発売されました。名前の通り、64KBのRAMが搭載されており、RS-232Cポートが追加されています。ケース形状は同じですが、色がベージュだったDragon 32からライトグレーになっています。その他にもApple II Plusで実装されたようなカラーキラー回路(カラーバースト除去機能)が搭載され、カラーモニタでのモノクロ表示時に鮮明な映像が得られるようになっています。
Dragon 32からDragon 64へアップグレードするサービスも検討されました。当初はアドオンボードやメインボードの交換などが検討されていましたが、メーカー側の負担が大きいため中止されました。1983年12月になってようやく、アップグレード方法が発表されました。それは、Dragon 32の本体をDragon 64に交換するという方式です。ユーザーが自分のDragon 32をディーラーへ持っていき、140ポンドを支払えばDragon 64と交換して貰えるというものでした。このやり方は、アップグレードに掛かる費用が高額になるため、ユーザー離れを引き起こしてしまったようです。中には、Dragon 32を下取りに出してCommodore 64など、より高スペックなパソコンを購入するユーザーも居たようです。この方式で問題だったのは、Dragon 32とDragon 64がメモリ容量以外あまり変わらなかったという点だと思います。ずっと高性能なパソコンへ交換して貰えるならともかく、あまり性能が変わらないパソコンに交換するため高額な費用が掛かってしまうわけですから。(140ポンドは、当時の為替レートでは5万円くらいです)Dragon 32が拡張性を考えて設計されていなかったことが根本的な原因とも考えられます。
他にもDragon 64の後継機種として128KBのRAMを搭載したDragon 128やフロッピーディスクドライブを搭載した一体型モデル(アルファ)やキーボード分離型のビジネス向けモデル(ベータ)などが開発中だったようです。
大量の在庫を何とかするため、プルーテックは、英GEC(General Electric Company:ゼネラル・エレクトリック・カンパニー、アメリカのゼネラル・エレクトリックとは無関係)のブライアン・ムーア氏をドラゴンデータ社の最高経営責任者にしました。(プルーテックは、ドラゴンデータ社とGECの大株主だったため、ドラゴンデータ社の常務取締役トニー・クラーク氏を解任し、ドラゴンデータ社の最高経営責任者になる人材をGECの上級幹部の中から派遣するよう依頼したようです)
家庭用コンピュータ市場への参入を考えていたGECは、Dragon 32/64の製品マーケティングに参加し、主にコンピュータ雑誌に広告掲載を行いました。
また、ドラゴンデータ社の親会社だったMettoyは、コーギー・トイズ社(Corgi Toys Ltd.)が設立された後、1984年に倒産しました。
基本性能が1980年に発売されたCoCoと同等というのは、Dragon 32/64の寿命を短くしてしまったようです。
CoCoのようにグラフィック性能をアップグレードすることもなく、1984年6月にドラゴンデータ社は倒産し、スペインの会社Eurohard SAに買収されました。ちなみにCoCoを製造しているタンディ・コーポレーションもドラゴンデータ社の買収に手を挙げたようです。もし、タンディが買収に成功していたら、Dragon 32/64の外観を持ったCoCoが登場していたかもしれません。
1985年には、Dragon 200、Dragon 200-Eといった製品がEurohard SAから発売されています。(ちなみにDragon 100もありましたが、これはスペイン版のDragon 32でした)Dragon 200は、外観が少し違う(モニタを載せるスペースが設けられた)だけのDragon 64でDragon 200-Eは、そのスペイン市場向けモデルです。スペイン市場向けのモデルは、CG-ROMがスペイン語に変更されており、小文字もサポートしていたようです。スペイン市場でのDragonシリーズは、イギリスのBBC Microのような教育市場向けを狙った製品だったようです。BBC MicroとDragonシリーズは、頑丈な筐体という共通点がありました。
更にスペイン市場向けにDragon MSXが開発されていたようですが、プロトタイプ止まりで正式な発売はされませんでした。64KBのRAMを搭載した初代規格のMSXだったようです。MSXは、Dragon 64よりも表示能力等は高いですが、1985年頃には時代遅れのスペックでした。MSX2規格で開発されていたら、発売されていたかもしれませんが、Dragon MSXの開発段階では、まだMSX2規格は登場していなかったのでしょう。Dragon MSXをデザインしたのは、IntellivisionやMattel Aquariusを製造した香港のラドフィン(Radofin Electronics Ltd.)だったようです。
Eurohard SAも1987年に倒産しました。
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Dragon 32/64 (Wikipedia) |
https://en.wikipedia.org/wiki/Dragon_32/64 |
Dragon MSX (Wikipedia) |
https://en.wikipedia.org/wiki/Dragon_MSX |
株式会社トミー(現タカラトミー)より発売されたホビーパソコン。
ぴゅう太は、CPUにテキサスインスツルメンツ(TI)のTMS9995を採用しています。TMS9995は、TIが発売をアナウンスしていながら、ホームコンピュータ事業から撤退したために発売されなかったTI-99/8で使われるはずだったCPUです。また、VDPにTMS9918Aを使用し、VDPに接続されたVRAMを主記憶と兼用する設計は、TI-99/4Aと同じす。これらのことから、TIと無関係だったとは思えないパソコンですね。(TI-99/4シリーズとの互換性はありません)
また、ぴゅう太は、Tomy Tutorという名前で1983年に海外でも発売されました。
ぴゅう太のCPUは、TIのTMS9995でクロックジェネレータは、10.7MHzだったようです。恐らくMC6809のように1/4とかに分周したクロックでCPUは動作していたのではないかと思われます。(TI-99/4シリーズは、12MHzのクロックジェネレータでTMS9900の動作クロックは3MHzでした。同じような方式だとすれば、ぴゅう太のCPUは、約2.68MHzで動作していたと考えられます)
TMS9995は、TMS9900の外部データバスを8ビットに簡略化し、小型化したCPUですが、速度低下を避けるために256バイトのRWM(Read Write Memory)を内蔵しています。TI-99/4シリーズでは、TMS9900の16ビットデータバスに256バイトのスクラッチパッドメモリを接続していましたが、CPU内部で似たようなことを行い、CPUのパッケージサイズや消費電力を低減したCPUがTMS9995と考えても良いのではないかと思います。256バイトのRWMは、内部データバスに16ビットで接続されているため、このメモリを利用することで速度低下を避けることが可能となっています。CPU自体も高速化されていて、全体的にTMS9900より高速動作が可能だったようです。
RAMは、CPUに内蔵された256バイトの他、VRAM兼用でVDPに16KBのRAMが接続されていました。
ROMは、BASIC等に20KBでROMカートリッジスロットも搭載しています。
表示能力は、テキストが32文字×24行15色、グラフィックが256×192ドット16色(横8ピクセル内は2色のみ)、PCGによる疑似グラフィックとスプライト機能がVDPに内蔵されており、スプライト機能は、16×16ドット15色中1色で32枚(水平方向には4枚まで)です。(VDPがTI-99/4Aと同じTMS9918Aなので表示能力も同じです)
サウンド機能は、Wikipedia等で擬音4種類3和音となっていますが、どんなチップを使っていたのか不明です。(追記:どうやら擬音4種類3和音というのは、BASICから扱える音の種類で音源チップは、TIのSN76489(DCSG)だったようです)
また、ぴゅう太のキーボードは、チクレットキーボードです。チクレットキーボードは、この手のゲームパソコンでは一般的ですが、ぴゅう太のキーボードは、キートップがゴム製だったようです。
私もぴゅう太には、子供の頃に電気店などで触ったことがあるのですが、どんな感じだったか詳しくは覚えていません。
ぴゅう太の特徴としては、日本語記述のG-BASICとグラフィックソフトのG-GRAPHICを標準搭載していた点です。G-BASICは、BASICのコマンドを単純に日本語にしただけ(例:PRINT A→ カケ A)のものですが、スプライトコントロール等の一部特殊なコマンドがあったようです。G-GRAPHICは、いわゆるお絵かきソフトです。このツールで描いた絵をBASICからも利用できたようです。
教育用パソコンを前面に出した広告戦略を展開していたようで、勉強というよりは知育方面に重点を置いた広告だったように思います。この戦略は成功し、発売半年で5万台を超えるセールスを記録したようです。当時のパソコン市場は小さかったので、6万円近い製品が短期間にそれだけ売れれば、かなりのヒットだったと言えるでしょう。
1983年7月には、キーボードを取り払いゲーム機にした「ぴゅう太Jr.」が24,800円(19,800円という資料も多いので、後に19,800円に値下げされたのかもしれません)で発売されました。「ぴゅう太Jr.」は、1982年の月刊アスキー8月号にプロトタイプの記事が載っていたようです。そのときの予定価格は、45,000円だったとか。
1984年7月には、キーボードをタイプライター風にし、カセットテープのデータ転送速度が2倍の1200bpsとなり、更に英語記述となったG-BASIC搭載の「ぴゅう太mk2」が29,800円で発売されています。
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ぴゅう太 (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/ぴゅう太 |
Jupiter Aceを製造・販売したJupiter Cantab社は、イギリスのケンブリッジを拠点とするホームコンピュータ企業です。
この会社は、1982年にシンクレア・リサーチの元社員リチャード・アルトヴァッサー氏(ZX Spectrumの開発者の一人で、特に画面周りの設計を担当しました)とスティーブン・ビッカーズ氏(ZX81とZX Spectrumのファームウェアとマニュアルの作成を担当しました)によって設立されました。1982年5月にシンクレア・リサーチを退職した二人は、レインボーコンピューティング社(Rainbow Computing Co.)を設立しましたが、後にJupiter Cantab Limitedへ社名を変更しました。
Jupiter Cantab社は、1982年9月22日にJupiter Aceを発売しました。Jupiter Aceという名前は、イギリス初のコンピュータであるPilot ACEにちなんで名付けられたようです。
このパソコンの大きな特徴は、ROMにBASICではなくACE ForthというForth言語を搭載している点です。
しかし、この特徴がこのパソコンの販売の大きな足枷になったようです。
「BASICターンキーシステム」という言葉があるように、この時代のホームコンピュータは、電源ONでBASICが起動するのが当たり前になっていました。その定石を破って違う言語をデフォルトにしたわけなので、ユーザーからすれば、使い慣れたBASICが使えない、他のパソコンと操作方法が違うということになり、敬遠されてしまうと思います。
この時代のBASICは、単なるプログラミング言語ではなく、OSを兼ねていたことを忘れてはいけません。フロッピーディスクのフォーマット等もBASICのコマンドで行っていたわけなので・・・ACE Forthで同じことが出来たとしてもコマンドや使い方が全く違えば、その方法を学ぶ必要があります。それが他のシステムで応用できるならともかく、マイナーな言語では、あまり意味がないでしょう。一部のマニア以外には、受けないやり方だったと思います。個人的には面白いと思いますが、当時、そんなパソコンがあっても欲しいとは思わなかっただろうと思います。どうしてもForthを使ってほしいなら、シャープのパソコンのようにクリーンコンピュータにして、BASICとForthをカセットテープで付属させたほうが良かったのではないでしょうか。クリーンコンピュータは、搭載RAMが増えるため、コストアップになるのが問題ですが。
Jupiter Aceの価格は約90ポンドで、当時のレートで日本円に換算すると3万4千円くらいでしょうか。1981年3月に約70ポンドで発売されたSinclair ZX81は、日本では1981年11月に38,700円で発売されましたが、この時期は、ポンドに対して急激な円高になっていました。
英ポンドと日本円の為替レートは、1980年に1ポンド526円くらいでしたが、1984年には1ポンド316円くらいまで円高になっています。それから更に円高が進み1988年には1ポンド約228円になりました。1995年に1ポンド約148円(ここまではずっと円高傾向でした)となった後、上がったり下がったりしながら現在に至るという感じみたいです。(2024年現在は、1ポンド180~200円くらいで推移)
Jupiter AceのCPUは、Z80(3.25 MHz)でRAMは、1KB(49KBまで拡張可能)です。3.25MHzのZ80と1KB RAMという仕様は、ZX81と同じですが、Jupiter Aceには、1KBのメインRAMの他にも2KBのVRAMが別に用意されていました。2KBのVRAMのうち、1KBは画面表示用で、残りの1KBは字形定義用(PCG)のRAMでした。
ROMは、8KBでACE Forthのシステムやキャラクタ定義などが記録されています。
表示能力は、32文字×24行・モノクロのテキスト表示です。Jupiter Aceでは、8×8ドットの文字タイルを128個定義可能で256×192ドットの表示エリアにその文字を並べてPCGによるセミグラフィック表示を行っているようです。他には64×48ドットの一般的なセミグラフィックも表示できたようです。
サウンド機能は、矩形波単音のビープ音のみだったようです。
Jupiter Aceの外観は、ZX Spectrumを白色にしたような感じで、右下にスペースキーがあるラバーキーのチクレットキーボードもZX Spectrumと同じデザインです。3.25MHzのZ80と1KB RAMもZX81と共通していますし、シンクレア・リサーチの元社員が開発したパソコンらしいですね。
左側面には、電源端子(ACアダプタ接続)があるだけです。
右側面には、奥からTV(RF)出力端子とカセットテープデータレコーダ接続端子(EAR、MIC)があります。
背面には、大小2つの拡張I/Oスロット(エッジ・コネクタ)がありました。小さい方は、ビデオ信号を出力するコネクタだったようですが、この端子に接続される周辺機器は発売されなかったようです。大きい方のコネクタは、ZX80/81やZX Spectrumにあった拡張I/Oスロットと同じ目的のもので、拡張RAMパックなどを接続することができたようです。元は、ZX81と同じ仕様にしてZX81用の拡張RAMパックなどをそのまま利用できるようにするつもりだったようですが、法的な問題からか信号パターンが変更されています。
オプションで16KBのRAMパックと後に32KBのRAMパックが発売されたようです。また、Boldfield Computing社からZX81のRAMパックを流用できる周辺機器が発売されたようです。
1983年には、少し頑丈なケースに変更されたJupiter Ace 4000が発売されました。初期のモデルは、ケースを真空成形で作られていましたが、Jupiter Ace 4000では、射出成形でケースが作られており、初期モデルに比べてケースのプラスチックに厚みがあるようです。ちなみにZX80のケースは、真空成形で作られていましたが、ZX81のケースは射出成形でした。
Jupiter Aceには、ZX81やZX Spectrumに使われていたようなULAチップは使われていませんでした。そのため、コストダウンが難しい構造だっただろうと考えられます。ZX Spectrumの16KB版が発売1年後には100ポンドを切る価格で売られるようになったようなので、10ポンド程度しか変わらないJupiter Aceには太刀打ちできなかったのではないかと思います。BASICではなく、Forthを搭載していたことも含めて、Jupiter Aceは大爆死と言ってもいい売れ行きだったようです。Jupiter Aceは、5000台が生産されたと言われていますが、Jupiter Cantab社は、Jupiter Aceの発売からわずか1年後の1983年10月に倒産しました。在庫は、1984年にブランドを買収したBoldfield Computing社から26ポンドで通信販売されたようです。
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Jupiter Ace (Wikipedia) |
https://en.wikipedia.org/wiki/Jupiter_Ace |
Oric-1は、イギリスでタンジェリン・コンピュータ・システムズ(Tangerine Computer Systems)が発売したホームコンピュータです。タンジェリンは、北米・南アフリカ原産のみかんのことなので、AppleやAcorn、Apricot Computers、Orange Microなどと同様に果実や木の実を会社名した企業です。
タンジェリン・コンピュータ・システムズは、1979年にMicrotan 65というMOS6502を搭載したワンボードマイコンを90.85ポンド(組み立て済み品。はんだ付けが必要なキットは、79.35ポンド)で販売していますが、この製品は一般の小売店では販売されず、研究所やOEM向けの製品だったようです。
同じイギリスのシンクレアリサーチ社の成功を受けてタンジェリン・コンピュータ・システムズは、子会社Oric Products International Ltd.を設立してOric-1を開発しました。
Oricの語源は、MicroからMを抜いたicroのアナグラムのようです。
Oric-1は、約1年の間にイギリスで約16万台が販売され、フランスでも約5万台が販売されました。(フランスでは1983年に一番売れたホームコンピュータだったようです)
また、1983年10月13日には、Oric-1が製造されていたバークシャー州の工場で火災が発生し、約七千台のOric-1が焼失するという不幸な事件があったようです。
参考までに当時のPersonal Computer News(イギリスのコンピュータ雑誌)のランキングを載せておきます。(1982年9月15日号)
1. ZX Spectrum
2. Acorn BBC Micro(Model B)
3. Dragon 32
4. Commodore VIC-20
5. Sinclair ZX81
6. Oric-1
7. Commodore 64
8. Atari 800
9. TI-99/4A
10. EACA EG2000 Colour Genie
Oric-1のCPUは、MOS6502(1MHz)で、RAMは、16KBのモデルと48KBのモデルがありました。ROMは、BASIC等に16KBです。
I/Oポートコントローラとして、MOS6522・VIA(多用途インタフェースアダプタ)が搭載されています。MOS6522は、MOS6502の周辺チップでCommodoreのパソコンやApple III、BBC Microなどでも使われています。MSXのZ80・CPUにIntel 8255・PPI(周辺機器インターフェース)を搭載する設計と似ていますが、主にパラレルポートのコントローラだったIntel 8255と違い、MOS6522にはタイマやシフトレジスタの機能が含まれています。
表示能力は、テキストが32×28文字で、グラフィックが 240×200ドット8色(6×1ドットの範囲内に2色まで)です。
サウンド機能は、矩形波3音(8オクターブ)+ノイズ1音のPSG(AY-3-8910)を搭載しています。
キーボードは、チクレットキーボードですが、硬そうな細長いキーが並んでいて長時間タイプしていたら指が痛くなりそうなデザインです。
Oric-1は、グラフィック周りにHSC 10017というULAチップを使い、コストダウンを行っています。
ZX Spectrumの16KBモデルが125ポンド、48KBモデルが175ポンドだったので、同じくらいの価格(16KBモデルは、ZX Spectrumが少し安く、48KBモデルは、Oric-1のほうが安い)でした。
比較すると、使える色がZX Spectrumのほうが多い(ZX Spectrum:15色、Oric-1:8色)ですが、色指定は、Oric-1のほうが細かく(ZX Spectrumは、8×8ドットの範囲内に2色、Oric-1は、6×1ドットの範囲内に2色)できます。
サウンド機能は、PSGを搭載したOric-1のほうがずっと良いです。(ZX Spectrumは、10オクターブの矩形波単音)
性能的には、一長一短だと思いますが、知名度が高いシンクレアブランドであり、数ヶ月前に発売されたZX Spectrumのほうが大ヒットしました。(どちらの製品も遅れが生じ、実際には発売日の数カ月後に出荷が始まっています)
Oric-1のインタフェースは、背面にTV(RF)出力ポート、DIN 5Pin RGBモニタ出力ポート、DIN 7Pin カセットレコーダポート、プリンタポート、拡張I/Oポートです。
Oric-1は、1年で21万台ほど販売されたので、後継機の開発が検討されましたが、資金調達のためフランスのEureka Informatiqueが出資し、1984年2月にOric Atmosが発売されました。
Oric Atmosは、基本性能は48KB版のOric-1と同じですが、キーボードがタイプライター風のものに変更された他、ROMのバージョンが上がっている(Ver.1.0→1.1)ようです。
Oric Atmosには、ユーゴスラビアでライセンスされたNova 64やブルガリアの互換機Pravetz 8Dといった姉妹機がありました。ちなみにPravetzは、民間企業ではなく地名を冠した公営企業です。当時のブルガリアは社会主義国だったので民間企業はありませんでした。
また、後継機として、Oric Stratos/IQ164が発表されましたが、Oric Atmosの販売は不振でOric Products Internationalは、仏Eureka Informatiqueに売却されました。
1986には、Eureka InformatiqueからOric Stratosをフランス向けに再設計したOric Telestratが発売されました。
Oric Telestratは、その名の通り通信機能を売りにしているため、Telematic接続コネクタ(フランスの電話回線に接続するポート。フランスではミニテルというビデオテックスシステムが普及しました)やRS232Cポートが装備されています。
タイプライター風キーボードも含め基本性能はOric Atmosと同じですが、2つのカートリッジスロットがあり、RAMが64KBに増強され、BASICがOric Extended Basic(Tangerine/Microsoft Extended Basic:Microsoft BASICの一種)から、HyperBasicというフランス市場向けのものに変わっています。HyperBasicは、ROMカートリッジで供給され、Telematicカートリッジも同時に接続できました。
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Oric (computer) (Wikipedia) |
https://en.wikipedia.org/wiki/Oric_(computer) |
日本の国民機(最初にそう表現したのはエプソンのようです)と言われたPC-9800シリーズの初代機です。
このパソコンは、PC-8001やPC-8801を開発した半導体開発部門ではなく、情報処理事業グループが開発したようです。
この当時の16ビットパソコンとしては、かなり低価格だったのもヒットに繋がったのではないかと思います。
IBM PCがi8088を搭載していたことを考えれば、i8086でこの価格は当時としてはお買い得感があったと思います。勿論、8ビットパソコン市場でヒットを飛ばしていたNECの16ビットパソコンだったことが大きいと思いますが、もし、初代PC-9801やPC-9801Fがずっと高価な価格で登場していたら、PC-9800シリーズはあれほどのヒットにならなかったのではないでしょうか。
PC-9801のCPUは、NEC μPD8086(i8086互換)5MHzです。オプションでFPUのIntel8087を搭載可能。
RAMは、メインRAMが128KB、グラフィックVRAMが96KB、テキストVRAMが8KBです。
ROMは、BASIC等に96KBと8KBのキャラクタ定義ROMです。
BASICは、従来のようにマイクロソフト製ではなくPC-8801用のN88-BASICをNECが移植したN88-BASIC(86)で、オプションでN-BASIC(86)も用意されていました。NEC製のBASICですが、マイクロソフトの許諾は受けていたようです。当初は、マイクロソフトからBASICの提供を受ける予定だったようですが、マイクロソフトに問い合わせたところ、16ビットパソコンのBASICは、MS-DOS上で動作するGW-BASIC(IBM PC用BASICを元にしたMS-DOS用BASIC)を標準とすると回答され、GW-BASICを採用するとN88-BASIC等の従来のBASICと互換性が保てなくなるため、やむなく自社開発したようです。
表示能力は、テキストが80または40文字×25または20行8色、グラフィックが640×400ドット8色(もしくはモノクロ3画面)または640×200ドット8色2画面(もしくはモノクロ6画面)です。
GDC(Graphic Display Controller:μPD7220)を2個搭載しており、テキスト画面とグラフィック画面のハードウェアスクロール機能(縦方向1ライン単位、横方向16ドット単位)がありました。
サウンド機能は、ビープ音(矩形波単音・周波数変更不可)のみです。
PC-8801と似たデザインの本体とキーボードが分離したセパレートタイプのパソコンでフロッピーディスクドライブ(FDD)等の外部記憶装置は全てオプションでした。
BASIC ROMを内蔵していることからも分かるようにPC-8801の高速版という位置づけだったように思います。
本格的なオフィス向けコンピュータとしては、N5200シリーズがありましたからね。完全なビジネス用途として発売するなら、N5200と同じPTOSを標準の基本ソフトにしたのではないでしょうか。
1983年には、5インチ2DDのFDDを内蔵し、CPUを8MHzに高速化し、グラフィックRAMを2倍にし、漢字ROM(第1水準)を内蔵したPC-9801Fが発売されました。価格は、FDD一基のモデルが328,000円とコストパフォーマンスが高く、この機種がPC-9801の優位を決定したと言われています。
また、同時期にPC-9801Eという、FDDベイが無く、漢字ROMも搭載されていない廉価版機種が215,000円で発売されています。
更に1984年には、PC-9801Fをベースに標準RAMを256KBにし、5インチ2HDのFDDを内蔵したPC-9801Mが発売されました。この機種は、内蔵のFDDが2HDにしか対応していなかったため、PC-9801Fで作成した2DDのフロッピーディスクが読み込めませんでした。丁度、この頃、富士通からFM-16βが発売される予定だったため、それに対抗して出した機種とも言われています。急造だったためPC-9801FとFDメディアの互換性が無いのだ、というのがその根拠のようです。(当時の書籍「よいパソコン、悪いパソコン」にもそのような記述がありました)翌1985年7月に発売されたPC-9801VMには、2DDと2HDの両方のメディアが読めるFDDが搭載されていました。
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PC-9800シリーズ (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/PC-9800シリーズ |
株式会社ソード(後に東芝パソコンシステム株式会社→東芝プラットフォームソリューション株式会社→2018年に株式会社ソードに社名が復活しました)は、1970年に創業した会社で、1971年に「ソード電算機システム」へと社名を変更し、1974年にSMP-80というi8080を搭載したAltair 8800のようなコンピュータを発表しています。ちなみに「SORD」は、SOFTとHARDを組み合わせた造語のようです。
その後、1977年に一体型のSORD M200を発売し、翌1978年にはSORD M100を発売、1981年には16ビットパソコンSORD M416を発売しています。
価格が安ければ、世界初・日本初と歴史に名を残したかもしれない製品を世に送り出している新鋭企業でしたが、資本力の大きな大手家電メーカーとは違いベンチャー企業だったようです。
ソードで特筆すべきは、PIPS(Pan Information Prosessing System)という事務処理用の簡易言語で、表計算ソフトがまだ一般的じゃなかった時代に汎用事務処理ツールとして活躍したようです。
NHKの番組「NHKスペシャル 新・電子立国 第6回 時代を変えたパソコンソフト」でもソードの社長だった椎名氏がIBMやNEC、富士通といった大企業がPIPSを買いに来たことがあるとインタビューに答えていました。
そんな会社が1982年に低価格のホビーパソコンSORD M5を発売します。
また、ジョイパッドを付属してカラーリングを少し変更した「ゲームパソコン」がタカラ(現・タカラトミー)からもOEMとして1万円高い59,800円で発売されました。タカラのゲームパソコンは、同じ玩具メーカーのトミーぴゅう太と同じ価格でしたが、教育方面をアピールしたぴゅう太に比べ、ゲームをアピールしたゲームパソコンは、ぴゅう太ほど売れず、1/5程度の販売台数に留まりました。
SORD M5のCPUは、シャープ LH0080A(Z80Aセカンドソース)3.58MHzです。
RAMは、4KBでVRAMが16KBです。
ROMは、モニタ等に8KBとROMカートリッジスロットを搭載しています。
BASICもROMカートリッジで供給され、付属のBASICカートリッジは、整数BASICの「BASIC-I」です。
オプションで小数が使える「BASIC-F」と整数BASICでスプライト制御コマンドや音楽演奏のコマンドなどの機能を追加した「BASIC-G」がありました。BASIC-Iの「I」は、整数(Integer)、BASIC-Fの「F」は、浮動小数点数(Floating-Point)、BASIC-Gの「G」は、ゲーム(Game)の略だと思います。
※ BASIC-Iの「I」は、整数(Integer)だと思っていましたが、導入(Introducion)の略だったようです。
VDPは、テキサスインスツルメンツのTMS9918Aを搭載しており、表示能力は、テキストが40または32文字×24行、256×192ドット15色(水平方向8ドット単位に2色まで)または、64×48ドット15色です。
スプライト機能は、16×16ドット15色中1色で32枚(水平方向には4枚まで)です。
サウンド機能は、SN76489(DCSG)を搭載しており、矩形波3音(6オクターブ)+ノイズ1音です。
CPUにZ80A、VDPにTMS9918A、音源がPSGまたはDCSGという組み合わせは、この当時のゲームパソコンではよくある組み合わせでした。
また、M5のキーボードは、チクレットキーボードでした。電源ユニットを外付けにしていることもあり、かなりコンパクトなサイズだったようです。
1983年11月には、M5 Pro(39,800円)とM5 Jr.(29,800円)を発売しています。
M5 Proは、初代M5とほぼ同じ形状でBASICのROMカートリッジが付属していませんでした。
M5 Jr.は、形状の異なる廉価版で電源ユニットを内蔵し、プリンタ端子やビデオ端子がオミット(削除)されており、BASICのROMカートリッジも付属していません。
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M5 (コンピュータ) (Wikipedia) |
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前年5月に発売された、FM-8をホビー向けに再設計した廉価版後継機です。正式名称は、FUJITSU MICRO 7です。
価格は安く(218,000円→126,000円)なっていますが、CPUはメイン・サブ共に高速なものに変更されていますし、PSG音源を搭載するなど、性能は上がっています。
その代り、磁気バブルメモリと8インチフロッピーディスクドライブ(FDD)が使えなくなっています。
また、FM-8ではディップスイッチで手動切り替えしないといけなかったBASIC ROMのバンク切り替えがソフトウェアで切替可能となりました。
FM-8と互換性があり、メイン・サブCPUの速度をFM-8と同じ速度に切り替えて使うこともできます。
CPUは、メインに富士通 MBL68B09(MC68B09)2MHz(1.23MHzに切り替え可能)、グラフィック周りのサブシステムにも同じ富士通 MBL68B09(MC68B09)2MHz(1MHzに切り替え可能)を搭載しています。
メインRAMは64KBで、サブシステム側に5KBのRAMとVRAMが48KBです。
ROMは、BASICに32KB、ブートローダ2KB、サブシステムモニタ8KB、キャラクタ定義2KBです。
表示能力は、テキストが80または40文字×25または20行8色、グラフィックが640×200ドット8色(もしくはモノクロ3画面)です。また、FM-8にはなかったパレット機能が追加されています。
サウンド機能は、矩形波3音(8オクターブ)+ノイズ1音のPSG(AY-3-8910)を標準搭載しています。
拡張スロットは、キーボード上部のカバーを開けると3つのスロットがあり、漢字ROMカードやFDDインタフェース、RS-232Cインタフェースなどを取り付けることができました。
また、キースキャン専用に4ビットマイコンを使用したキーボードを採用しているため、BREAK以外のキーでは、キーを押した結果しか認識できず、アクションゲーム等でキーを押すと離しても押しっぱなし状態となり操作しづらかったという話は有名です。しかし、私が所有していたX1でもそういう操作性のゲームがありましたが、やっているうちに慣れるもので、そのうちキーを押しっぱなしにしなくても良いので操作が楽と思えたくらいなので、世間で言われているほどの欠点ではなかったと思います。
FM-8でもそうでしたが、FM-7もテキストVRAMを持たない設計です。
グラフィックVRAMを汎用CPUに接続し、サブシステムとして実装しています。
1980年頃のパソコンでは、グラフィック機能はメモリが高価だったこともあり、低価格なパソコンでは実現できませんでした。初期に発売されている日立のベーシックマスターやMZ-80K系のパソコンは、グラフィックVRAMを持たず、テキストVRAMのみのキャラクタマシンでした。
640×200ドット8色のグラフィックを扱うためには、約48KBのメモリが必要ですが、80桁×25行8色のテキスト表示なら、2KB程度のVRAMと1KB程度のアトリビュートRAMで済みます。また、当時の貧弱な性能のパソコンでは、グラフィックを一画面描画するのに数分かかることもありましたが、テキストの描画は高速に行うことができます。
その考えを発展させていったのが、MZ-700やMZ-1500です。
対するFM-8/7は、文字をグラフィックとしてグラフィックVRAMへ描画する方式で真逆の発想と言っても良いでしょう。
ビットマップ方式(文字等の図形情報をドットに分解してVRAMに書き込み表示する方式で、文字の拡大縮小等に有効。VRAMに1ドット単位で色データが格納されます)と同じ発想ですが、VRAMへのデータ格納方式は、RGB3プレーンに分かれたビットプレーン方式です。ちなみにF-BASICには、SYMBOL文という文字列を拡大して表示する命令があったようです。
1984年5月には、コストダウンされたFM-NEW7が99,800円で発売されました。
カスタムチップを使い部品点数を減らすことでコストダウンを図ったモデルで、性能的にはFM-7と同等です。
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FM-7 (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/FM-7 |
FM-11(FUJITSU MICRO 11)は、FM-7と同時期に発売されたパソコンです。
前年5月に発売されたFM-8の後継機として、ホビー向けの廉価機がFM-7、ビジネス向けの高級機がFM-11という位置づけだったようです。(FM-8も併売されていますので正確には姉妹機かもしれませんが、この2機種が発売された後にFM-8を選択する理由はあまり無かったと思います)
FM-11の名前の由来は、8ビットパソコンと16ビットパソコンの中間的存在でどちらかといえば8ビットパソコンに近いので11になったそうです。
キーボード一体型のFM-8とは違い、キーボードを分離したセパレート型で本体に5インチフロッピーディスクドライブ(FDD)を2基搭載可能でした。
FDDは、横並びではなく縦に2基並べて搭載する形状のため本体に厚みがあります。
ちなみにFDDを縦に並べているのは、拡張ボードがドライブに干渉しないようにするためではないかと思われます。
FM-11の製品ラインナップは3種類で、最上位機種のFM-11EXがCPUにMC68B09E互換(2MHz)とi8088互換(8MHz)のCPUカードを搭載し、FDDが1ドライブで398,000円、FM-11AD(338,000円)とFM-11ST(268,000円)は、CPUカードがMC68B09E(2MHz)のみで、FM-11ADには、FDDが1ドライブ搭載されています。FM-11STは、FDD無しの廉価モデルでしたが、F-BASICのROMが搭載されていました。(EXとADは、FDで提供)外部記憶は、オプションのFDDを後で追加するか、オーディオカセットレコーダを利用可能です。
また、FM-8と互換性が高いFM-7と違い、FM-11はマシン語レベルではFM-8とは互換性がありませんでした。
FM-11には、スロット形式でCPUを2つ搭載できる仕組みがありました。
CPUは、富士通 MBL68B09E(MC68B09E)2MHzでEXのみ標準で富士通 MBL8088-2(i8088-2) 8MHzのCPUカードも搭載しています。CPUは、切り替えて使用することができ、i8088で起動すると付属のCP/M-86などが使えます。
RAMは、メモリー管理機構をCPUカードに搭載しており、8ビットCPUを使用していても標準で128KB、最大1MBのメモリを搭載可能でした。これは、後のFM-77(最大256KB)よりも大容量です。
また、VRAMも192KBと当時発売されたばかりのPC-9801よりも大容量でした。
ROMは、4KBのIPLと20KBのCG-ROM、STにはF-BASICのROMも搭載されています。
表示能力は、テキストが80または40文字×25行16色中8色、グラフィックが640×400ドット16色中8色2画面(もしくはモノクロ6画面)、640×200ドット16色中8色4画面(もしくはモノクロ12画面)です。(FM-11は、RGBI方式を採用しており、RGBの8色それぞれに2つ(HとL)のINTENSITY信号で輝度を変更しています)
FM-8と同じようにグラフィックは、画面制御用サブCPUの富士通 MBL68B09E(MC68B09E)2MHzが搭載されており、グラフィックVRAMに文字を表示する方式でした。
640×400ドット8色のグラフィック画面を2画面持てるのは、当時としては最高レベルのグラフィック能力でしたが、漢字VRAMを持つPC-9801と比べてどちらがビジネス用として良いかは微妙なところだったかもしれません。
サウンド機能は、8オクターブの矩形波単音です。
拡張スロットは、CPUカード用が2スロット、汎用が5スロット、漢字ROM用が1スロット、FDDインタフェース用(STのF-BASIC ROMカードと排他使用)が1スロットです。
FDDは、EXとADが5.25インチ2DのFDDを1基搭載しており、本体内に2基まで搭載可能、STではオプションとなっています。
ソフトウェアは、i8088を搭載したFM-11EXには、CP/M-86(i8088利用時)とF-BASIC(MC68B09E利用時)のシステムディスクと簡易言語FMCALCが付属していたようです。
また、FM-11ADには、F-BASICシステムディスクと簡易言語FMCALCが付属しており、FDDの無いFM-11STには、ROM BASICでF-BASICが搭載されていました。
純正オプションのCPUカードには、CP/M-80が付属したZ80カードやCP/M86が付属した8088カードがありましたが、サードパーティからは、MC68008カードやMC68000カードも発売されたようです。
サポートされたOSは、CP/Mの他にはMS-DOS(i8088)やOS-9(MC6809)がありました。
1984年2月には、FM-11BS(398,000円)とFM-11AD2(298,000円)が発売されました。
FM-11BSは、一見FM-11EXの後継機のようですが、MC68B09Eが搭載されておらず、i8088-2のみとなっています。メモリが標準で256KBになった他、2HDのFDDが2基標準搭載されています。また、ワープロソフト「JWORD」(エイセル)が付属していたようです。
FM-11AD2は、FM-11ADのFDDを2HDにしたような機種です。2Dのディスクは読めないようで、FM-11ADのFDを読み込むには外付けFDDが必要になります。OS-9システムディスクが付属していたようです。
また、両機種共にJIS第1水準漢字ROMが標準装備されました。
1985年2月には、FM-11AD2+(325,000円)が発売されました。
FM-11AD2からの変更点は、メモリが256KBとなり、2HDのFDDが2基標準搭載されました。
1984年12月には、ビジネス向けFM-11シリーズ(EX/BS)の後継機とも言えるFM16βが発売されており、ホビー向けとしてもFM-77シリーズが存在したため、当時としても意外なモデルチェンジだったようです。
FM-11シリーズは、ビジネス向け8ビットパソコンとして1981年に発売されたPC-8801の影響を受けて誕生しているように見えます。
富士通がFM-8に対してFM-11を発売したようにNECは、PC-8801に対してPC-9801を発売しましたが、PC-9801は16ビットバスのi8086を搭載した完全な16ビットパソコンでした。
基本的に8ビットCPUのMC68B09Eを搭載し、上位機種にのみCPUカードでi8088を搭載したFM-11は、中途半端なビジネス向けパソコンとして受け止められてしまいました。
i8088を選択したのは、データバスが8ビットだったからだと思いますが、富士通の16ビットパソコン不調の原因を作ってしまったかもしれません。
この時に完全な16ビットパソコンを登場させていれば、PC-9800シリーズに対抗できたかもしれません。
しかし、現在の視点で改めてFM-11を見てみるとマニアックで面白そうなパソコンであることが分かります。
高価な機種なので、このパソコンを実際に購入したホビーユーザーは少なかっただろうと思いますが、CPUカード用スロットが2つあり、いろいろなCPUを差して遊べる機種というのは、80年代までの日本ではFM-11だけだったと思います。
FM-11シリーズは、80年代最高のマニア向けパソコンだったと言えるかもしれません。
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FM-11 (Wikipedia) |
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MZ-80K系列のパソコンでは、初のカラー対応機種であり、ホビー向けMZシリーズ初のディスプレイ分離タイプのパソコンです。
ベーシックモデルのMZ-711が79,800円でデータレコーダ搭載モデルのMZ-721が89,800円、データレコーダとプロッタプリンターが内蔵されたMZ-731が128,000円でした。
画面出力やキーボード入力をプロッタに振り分けるPLOT ONコマンドがあり、この機能を使えばディスプレイ無しでもテレタイプ端末のように使えたようです。
また、デジタルRGBポートの他にコンポジットビデオ出力ポートとRF出力ポートが標準で装備され家庭用テレビに接続できるようになっています。
MZ-700のCPUは、シャープ LH0080A(Z80Aセカンドソース)3.58MHzです。
RAMは、メインRAMが64KB、テキストVRAMが4KBです。
ROMは、4KBのモニタと4KBのCG-ROM(キャラクタ定義)です。
表示能力は、テキストが40文字×25行8色でグラフィック機能はありません。
サウンド機能は、矩形波単音です。(BASICで3オクターブの演奏が可能)
MZ-700には、グラフィック機能が無いので、ゲームなどでは、市松模様のような記号を使った疑似グラフィックを使っています。
これは、キャラクタマシンでは一般的なことですが、MZ-700が凄いのは、ユーザーが「ゼビウス」や「スペースハリアー」といったゲームを作ってパソコン誌に投稿し、掲載されたところです。
そのポテンシャルの高さから「MZ-700に不可能はない」と言われました。
現在でも熱心な愛好家が居るパソコンです。
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MZ-700 (Wikipedia) |
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MZ-700 (雑誌広告) |
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シャープのホビーパソコンと言えば、MZシリーズでしたが、同じシャープでも別の事業部から「パソコンテレビ」のキャッチフレーズで発売されたのがX1です。
MZシリーズは、奈良県大和郡山市にあった電子機器事業部が製造していて、X1シリーズは栃木県矢板市のテレビ事業部(AVシステム事業本部)が設計・製造しました。MZシリーズの設計は、最初は部品事業部でしたが、MZ-1200からは情報システム事業部が行っていました。また、初代X1の型番はCZ-800Cで、MZに対してCZとなっています。
ローズレッド、スノーホワイト、メタリックシルバーの3色から本体カラーを選べたり、テレビ事業部らしく専用モニタとの組み合わせでスーパーインポーズ機能(テレビやビデオ画面とパソコンの画面を重ねて表示する機能。X1がスーパーインポーズ機能が使える初めてのパソコンというわけではありませんが、パソコンとテレビの融合を分かりやすく訴えた最初のパソコンだと思います)が使えたり、1ドットごとに色指定可能なPCG機能、2700ボーのAPSS機能(頭出しなどソフトウェアでコントロール可能)搭載の高速データレコーダ内蔵など、当時としては非常にインパクトのあるパソコンとして登場したと思います。
実は、私もこの機種(初代X1)のユーザーでした。起動するかどうかは確認していませんが、今でも物置部屋に置いてあります。
X1のCPUは、シャープのLH0080A(Z80Aセカンドソース)4MHzです。メインRAMは64KBでノーウェイトで動作しました。48KBのグラフィックVRAMは、(初代X1のみ)オプションです。 当時の8ビットパソコンでは、グラフィックメモリはバンク切り替えで配置するのが一般的でしたが、X1シリーズではI/O空間に配置されるという珍しい設計になっています。(他には、システムズフォーミュレートのBUBCOM80やSONYのSMC-70・SMC-777などが採用しています)
この方式では、常にメインRAMのすべてのアドレスにアクセスできるというメリットがありますが、グラフィックVRAMへのアクセスに手続きが必要なため、プログラムが面倒でした。
通常、Z80をCPUに使ったパソコンでは、I/O空間を256バイト分しか持っていませんが、X1ではCレジスタを使った入出力命令を実行した時にアドレスバス上にBCレジスタの内容を出力することで64KBのI/O空間を利用可能にしています。(例えば、「OUT (C),A」というニーモニックを実行すると、B+Cレジスタがアドレスバスに出力されます。i8080には無いZ80独自の裏技的な手法です)
また、テキストVRAMの回路も独立していたため、PC-8801のようにテキスト表示がグラフィック表示の速度に影響を与えたり、FM-7のようにテキストをグラフィックとして表示しないためテキスト表示がグラフィック表示に干渉したりしない設計になっています。また、高速化のためにサイクルスチール回路を採用しています。サイクルスチールというのは、CRTCとCPUが同期を取り、CRTCがVRAMを解放している時にCPUがVRAMにアクセスできる方式のことです。VRAMにCPUが効率的にアクセスできるためCPUパワーが無駄になりにくくなります。
X1では、グラフィックVRAMの他、テキストVRAM(4KB)やPCG定義用RAM(6KB)等もI/O空間に配置されています。
テキストVRAMは、I/Oポートの3000h~37FFhまでが割り当てられ、1文字単位でアトリビュート(属性)指定が可能です。そのため、アトリビュートVRAMを持っています。
PCG機能は、単色ではなくドット単位で8色の色指定が可能な強力なものが搭載されています。スプライト機能のようにスムーズに移動させることはできませんが、BG面として利用されたり、グラフィックの代わりに使ったり、綺麗なキャラを動かすことができました。
PCGに関しては、1984年に発売された同じシャープのMZ-1500では、グラフィックの代わりにPCGを使うという方向に進化しています。(MZ-1500は、グラフィックVRAMを持たない)
X1のPCGは、8×8ドットのキャラクタを256文字登録可能です。MZ-1500では、1024文字登録が可能で、一画面全てを異なる定義のPCGで埋めることが可能でした。
ROMは、IPLとIOCSに4KBとCG-ROM(キャラクタ定義)に2KBです。
表示能力は、テキストが80文字×25行8色、40文字×25行8色2画面で、グラフィック(初代X1ではオプション)が640×200ドット8色(もしくは、モノクロ3画面)~320×200ドット8色2画面(もしくは、モノクロ6画面)で、テキストやグラフィックの優先順位を付けられるプライオリティ機能もありました。
サウンド機能は、矩形波3音(8オクターブ)+ノイズ1音のPSG(AY-3-8910)を標準搭載しています。1986年には、ヤマハのYM2151(OPM)を搭載したFM音源ボードが発売されました。
余談ですが、パソコンを動作させるということは、配置されたメモリの内容を書き換えることと同義です。メモリマップの何処にどんな機能のRAMが配置されているかを把握し、その内容を書き換えれば対応した動作が行われます。例えば、キャラクタVRAMの任意のアドレスにキャラクタコードを書き込めば、そのアドレスに対応した画面上の場所にキャラクタコードの文字が表示されるといった具合です。
また、X1Fより前のX1シリーズには、NMIリセットボタンしか装備されていませんでした。NMIとは、Non Maskable(禁止できない)Interrupt(割り込み)のことで、割り込みというのは、プロセッサが実行中に他の処理を割り込ませて実行させることです。CPUには、Non Maskable Interruptの他にMaskable Interrupt(一般的にIRQと呼ばれる現在のPCの割り込みもこれです。Z80ではINTと呼ばれていました)という禁止できる割り込みもあり、こちらはプログラムで割り込みを禁止できます。NMIリセットというのは、具体的には特定のアドレスへ禁止できない割り込み処理を使い強制的にジャンプするもので、ジャンプ先のアドレスにリセットボタンを押した時の動作を書き込んでいないソフトではフリーズしてしまうことがありました。それを逆手に取って、裏技を仕込んでいるゲームソフトもあったようです。後に(X1Fから)IPL (Initial Program Loader)リセットボタンが追加されました。IPLリセットは、その名の通り、IPLへジャンプすることでパソコンを再起動する一般的なリセット方式です。
X1シリーズは、MZシリーズと同じクリーンコンピュータでBASIC等のソフトウェアをカセットテープ等から読み込む必要がありました。
BASICは、ハドソンのHu-BASICを採用しており、コモドールPET2001のCommodore BASICを参考にしたと言われる古い構文のS-BASICよりもN-BASIC等に似た一般的な構文になっています。
また、X1シリーズは、基本的なハードウェアを5年間変更しないと言われていたように、初代X1でもフロッピーディスクドライブ(FDD)等のオプションを追加すれば、長く現役で居られました。(1984年に上位機種のX1 turboが登場したため、1987年頃からはturbo専用ソフトが大半になりましたが)
1983年には、グラフィックVRAMを標準搭載した廉価版のX1Cと3インチFDDが内蔵されたX1Dが発売されました。X1Cは、初代X1のようなセパレートタイプではなく、キーボードと本体が一体型になったタイプでプロッタを内蔵可能ですが、拡張I/Oボックスが外付けオプションとなっています。しかし、初代X1では別売だったグラフィックVRAMを内蔵して119,800円と大幅にプライスダウンされています。
X1Dは、3インチFDDを一基搭載した本体とキーボードがセパレートタイプのモデルで198,000円で発売されました。X1Dは、3インチFDが主流にならなかったことや、外付けデータレコーダがAPSS機能に対応しておらず、テープ版のソフトウェアで互換性の問題が発生しました。その上、オプションの5インチFDDを接続しても(FDCなどの仕様の違いから)多くのソフトが起動できないという悲惨なモデルでした。せめて3インチFDが主流になっていれば、多くのソフトが3インチFD版で登場して問題にならなかったかもしれません。(後に電磁式カセットレコーダや5インチFDDを利用可能にする改造方法が雑誌の記事で公開されたりしました)
更に1984年には、X1Cs(119,800円)とX1Ck(139,800円)が発売されました。X1Csは、X1Cの後継機でプロッタプリンタ用スペースの代わりに2つの拡張I/Oポートを持っています。X1Ckは、X1CsにJIS第1水準の漢字ROMを搭載したタイプです。
翌1985年には、X1Fが発売されました。セパレートタイプで、5インチFDDを一基内蔵したモデル(139,800円)とデータレコーダ内蔵のモデル(89,800円)があり、前年に発売されたX1turboと似たデザインでした。
このパソコンから、NEW BASIC(CZ-8CB01 V2.0 / CZ-8FB01 V2.0)が搭載されました。NEW BASICは、ペイント命令等が新アルゴリズムで高速化されています。初代X1でもNEW BASICを購入すれば使えました。
1986年には、X1Gが発売されました。FDD搭載モデルが118,000円、データレコーダ内蔵のモデルは69,800円とX1Fに比べてそれぞれ2万円安くなっています。
そして、「X1シリーズ5年目の回答」のコピーで1987年12月に99,800円で登場したのが、X1最後のモデルX1 twinです。X1 twinは、同年10月に発売されたハドソンとNEC-HEが共同開発したPCエンジンの機能を搭載したHE-SYSTEM規格に基づくパソコンです。
1987年と言えば、X68000も2月に発売しているので、流石にX1の機能だけでは売れないと判断されたのか、当時最新ゲーム機だったPCエンジンを搭載して発売されています。ツインファミコンやファミコンテレビC1を作ったシャープらしい機種と言えるかもしれません。
HE-SYSTEM規格の製品としては、本家PCエンジンシリーズ以外では、パソコンモニタにPCエンジンの機能を追加したNECのPC-KD863GやPCエンジンとメガドライブの機能を別売のコントロールパックで追加できたパイオニアのレーザーアクティブなどがあります。
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X1 (コンピュータ) (Wikipedia) |
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パソコンテレビX1 (雑誌広告) |
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SONYが発売した最初のパソコン。日本より先にアメリカで発売されました。
アメリカでは、CP/M対応パソコンとして10月に発売されたようです。
ちなみにSMCは、「Sony Micro Computer」の略のようです。
SMC-70のCPUは、シャープのLH0080A(Z80Aセカンドソース)4MHz(映像信号と共通の4.028MHzのようです)です。
RAMは、メインRAMに64KB、グラフィックVRAMに32KB、テキストVRAMに4KB、PCG定義用に2KBです。
ROMは、IPLとモニタ等に16KBとBASICに32KBです。
表示能力は、テキストが80文字×25行8色または40文字×25行8色2画面、グラフィックが640×400ドットモノクロ、640×200ドット4色、320×200ドット16色、160×100ドット16色4画面です。
このクラスのパソコンでは、RGBモニタを使うことが多いので、価格の安いデジタルRGBのディスプレイで8色表示というのがスタンダードでしたが、このパソコンではアナログRGB対応で16色の表示が可能となっています。
専用ディスプレイでは、スーパーインポーズも可能となっており、VRAMをI/Oに置く設計も含め、同時期に登場したX1とコンセプトが被っていました。ただし、SMC-70のスーパーインポーズはソニー製のビデオディスクとしか合成できなかったようです。
サウンド機能は、5オクターブの矩形波単音です。
独自仕様のSMC-70 BASICは、マイクロソフト製ではなく、札幌市にある株式会社ビー・ユー・ジー(現ビー・ユー・ジー森精機株式会社)というソフトハウスが作ったものです。BASICの前にSMC-70のモニタプログラムの作成を依頼され、それが終わるとBASICも依頼されたという話です。
オプションで3.5インチのフロッピーディスクドライブ(FDD)が用意されていました。3.5インチFDDはSONYが開発した規格です。
周辺機器は、プラグアンドプレイのような方式で拡張できたという話です。TI-99/4なんかもそうでしたが、このように周辺機器側にデバイスドライバのROMを持っている方式のパソコンもありました。拡張ユニットは、同じ形状をしており、本体背面に電源ユニットとサンドイッチする形で拡張するという珍しい増設方式だったようです。この辺りも本体右側に数珠繋ぎで増設していく方式だったTI-99/4に似てますね。
面白い周辺機器としては、256KBのキャッシュディスクユニット(SMI-7050)があり、CP/Mから高速なドライブとして利用できたようです。
1983年には、業務用ビデオ機器と信号同期を取るGENLOCKER機能を搭載したSMC-70Gが発売されました。このパソコンは、主に放送局や番組制作会社等でテロップの作成に使われたようです。
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Sony SMC-70 (Wikipedia) |
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Sony SMC-70 (雑誌広告) |
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カシオが1982年に発売した8ビットパソコン。
カシオらしく性能の割に低価格なパソコンで10進演算のBASICが搭載されていました。
東芝のパソピアにもOA-BASICという10進演算のBASICがありましたが、電卓のカシオだけあって、10進演算のBASICを標準で搭載したのでしょうか。
10進演算のBASICは、計算精度は高いものの、余計なメモリを消費し(内部表現がBCDという10進数の一桁を4ビットで表す方式のため)、演算速度も落ちてしまうというデメリットがあります。
FP-1000/1100のCPUは、NECのμPD780C-1(Z80A互換)4MHzで画面制御や周辺機器制御用にNECのμPD7801G 2MHzが搭載されています。この辺りは、FM-7等と似た設計コンセプトです。
RAMは、メインRAMが64KB、VRAMはFP-1000が16KBでFP-1100では48KBです。
VRAMは、サブCPUに接続されていて、テキストVRAMを持っていません。
また、VRAMは反転型RAMを採用していたようです。反転型RAMというのは、書き込んだビットが反転するメモリのことです。コスト削減のために採用しているのだと思いますが、動作速度も遅かったようです。そういえば、MZシリーズのフロッピーディスクインタフェースもビットが反転して書き込まれる仕様だったようですが、バッファに反転型RAMを採用していたのかもしれませんね。
サブCPUには、4KBのROMと128バイトのメモリが内蔵されていました。この128バイトのメモリを有効活用する方法がユーザーの間で模索されていたようです。
ROMは、前述したサブCPUのROMの他、BASIC等に32KBが搭載されていました。
表示能力は、テキストが80×25行8色または40文字×25行8色、グラフィックが640×200または320×200ドットモノクロ(3画面、横320ドットでは6画面まで)、FP-1100(VRAM48KB)では、640×200または320×200ドット8色、640×400または320×400ドットモノクロです。(400ライン表示は、インタレース方式だったようです。インタレース方式での表示は、通常のCRTではチラつきが激しいため、長残光タイプのCRTを使わない限り実用的ではありませんでした)
FM-7と同じようにテキストVRAMを持たない設計で文字列をグラフィックとしてVRAMに書き込む方式でした。
FP-1000/1100は、キーボード分離のセパレートタイプですが、キーボードのケーブルと本体の接続は直付け(本体にキーボード接続コネクタが無く、キーボードのケーブルが直接本体に接続されています)の為、一般的なセパレートタイプのパソコンのようにキーボードを取り外すことはできなかったようです。
FP-1100は、海外では低価格なCP/Mマシンとして販売されていましたが、文字をグラフィックとして表示する設計だったため、テキスト表示が遅いという問題を抱えていました。そのため、後にサブCPUがバージョンアップされたモデルがあったようです。このバージョンの機種をFP-1110と呼ぶ人も居たようです。
また、1983年7月には、FP-200というハンドヘルドコンピュータが69,800円で発売されています。
CPUは、Intel 8085のCMOS版i80C85(3MHz)でRAMが8KB、ROMが32KB(C85-BASIC、10進演算BASIC)です。表示能力は、テキストが20桁x8行、グラフィックが160x64ドットのモノクロ液晶を搭載しています。NECのPC-8201(138,000円)に比べると液晶モニタの横幅が狭い印象です。その代わり、かなり安いです。CPUも同じi80C85ですね。
雑誌広告によると、C85-BASICだけではなく簡易表言語CETL(Casio Easy Table Language)という対話型の実用ソフトが使えたようです。簡易表言語CETLで検索してもFP-200関連のページしか見つからないので、他に実装されたパソコンが無いのかもしれません。
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FP-1000 (Wikipedia) |
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Thomson TO7は、フランスのThomson SA(現Vantiva SA。パリに本社を置くマルチメディア製品を製造販売する多国籍企業)が1982年12月1日に発売した8ビットホームコンピュータです。Thomson 9000とも呼ばれていたようです。
このコンピュータの開発は1980年まで遡り、Thomson T9000と呼ばれるTO7のプロトタイプが作成されました。起動メニューが異なり、BIOS にバグが多いことを除けば、内部的にはTO7に似ており、互換性があったようです。
Thomson TO7の価格は、3,750フランス・フランだったようです。フランス・フラン(FF)の為替レートは、1980年頃は1FFが約60円だったようですが、1985年頃には、30円くらいまで円高となり、1990年頃には22円程度まで円高が進んだようです。発売当初のThomson TO7の価格は、日本円に換算すると18万円くらいだったのではないかと思います。
Thomson TO7のCPUは、モトローラのMC6809(1MHz)です。1979年にリリースされたばかりのCPU(MPU)MC6809を搭載したプロトタイプが1980年に作成されていたようなので、日立のベーシックマスターレベル3と同時期にMC6809を搭載したパソコンをフランス企業が開発していたということになります。
メモリは、22KBのRAMと4KBのROMを搭載しています。22KBのRAMは、8KBのメインRAMと8KBのVRAM、6KBのアトリビュートRAMの構成だったようです。ROMは、4KBのモニタROMの他、16KBのMEMO7カートリッジROM(BASICやユーティリティプログラムが入ったROM)が付属していたようです。
表示能力は、320×200ドット・8色(8×1ドットの範囲内に2色まで)のグラフィック表示が可能だったようです。
サウンド機能は、5オクターブの矩形波単音です。
Thomson TO7の外観は、メンブレンキーボードを持つキーボード一体型のホームコンピュータで、キーボードの上部に横方向に細長い蓋があり、その中にはライトペンが標準で備え付けられていました。
キーボードの左側には、カセットテープデータレコーダのような見た目のROMカートリッジスロットがあります。蓋を空けて、ROMカートリッジをセットしてから蓋を閉める構造になっています。
本体右側面には電源スイッチがあります。左側面には、カセットテープデータレコーダを接続するためのDINコネクタがあり、背面には、後ろから見て右から3つの拡張スロット(エッジコネクタ)とプリンタポート(エッジコネクタ)があり、その左側には、SCARTコネクタの付いたディスプレイ(TV)接続ケーブルが直付けされています。更にその左側には、電源ユニットの放熱フィンらしきものがあり、ケース背面の一番左には、直付けの電源コードとその上にヒューズホルダがあります。
1984年6月に3,590フランス・フランで発売されたThomson TO7/70では、CPUがMC6809Eに置き換えられ、RAMが64KB、ROMが6KBに強化されています。
画面表示用にモトローラMCA1300ゲートアレイが搭載され、40文字×25行のテキスト表示と320×200ドット・16色(8×1ドットの範囲内に2色まで)のグラフィック表示に強化されました。
Thomson TO7/70と同時にThomson MO5という廉価モデルも発売されています。価格は、2,390フランス・フランだったようです。チクレットキーボードの小型パソコンで、TRS-80 MC-10のカラーリングを黒くしたような外観です。
CPUは、Thomson TO7/70と同じMC6809Eで、32KBのRAMと16KBのVRAM、16KBのROM(モニタ 4KB+BASIC 12KB)を持っていました。
表示能力は、Thomson TO7/70と同じですが、こちらは、EFGJ03Lというゲートアレイが使われていたようです。
サウンド機能は、Thomson TO7と同じで矩形波単音です。
1985年10月にThomson TO9という機種が9,000フランス・フランで発売されましたが、翌年には販売を中止して、Thomson TO9+に置き換えられたようです。
Thomson TO9は、キーボード分離型のパソコンで、本体に1DD(片面倍密度倍トラック:320KB)の3.5インチフロッピーディスクドライブ(FDD)が1基搭載されていたようです。FDDの下に水平方向に差し込むROMカートリッジスロットがあります。
CPUは、Thomson TO7/70と同じMC6809E(1MHz)ですが、RAMが128KB、ROMは136KBとなっています。ROMには、BASICの他、ビルドインのワープロやデータベースのソフトが入っていたようです。
表示能力は、Thomson EF9369というグラフィックチップが搭載され、320×200ドット・4096色中16色や640 x 200ドット・4096色中2色といった画面モードが追加されています。
1986年には、Thomson TO8が2,990フランス・フランで発売されました。ナンバリング的には、TO9の前に発売していてもおかしくはないのですが、TO8のほうが後に発売されました。おそらく、同時に発売する予定が開発状況の関係で前後したのではないでしょうか。
CPUは、Thomson TO7/70と同じMC6809E(1MHz)ですが、RAMが256KB(最大512KB)、ROMが80KBになっています。
表示能力は、Thomson TO9と同じThomson EF9369というグラフィックチップが搭載され、同等の性能となっています。
Thomson TO8は、キーボード一体型の本体ですが、タイプライター風キーボードになっており、テンキーも追加されています。カートリッジスロットは、キーボードの上部に移動され垂直に差す方式に変更されました。
サウンド機能は、従来はオプションだった6オクターブ4チャンネルのサウンド機能が標準装備となっています。
3.5インチFDDを搭載したThomson TO8Dというモデルもあったようです。
Thomson TO8と同時期にThomson MO5の後継モデルThomson MO6が発売されました。
Thomson MO6は、Thomson TO8に対して、RAMが128KB、ROMが64KBになっています。
表示能力は、Thomson TO8と同じくThomson EF9369を搭載しており、同等の性能となっています。
サウンド機能もThomson TO8と同じ6オクターブ4チャンネルです。
このパソコンには、右上にカセットテープデータレコーダが内蔵されています。レコーダの場所は違いますが、MSXの日立H2を彷彿させるデザインです。
また、このモデルは、イタリアでオリベッティから「Olivetti Prodest PC128」として販売されました。
同じ1986年にThomson TO9の後継モデル、Thomson TO9+が7,490フランス・フランで発売されました。この機種は、性能的にはThomson TO8をベースにThomson TO9と同じくキーボード分離型に変更したようなモデルです。
CPUは、従来どおりMC6809E(1MHz)でRAMが512KB、ROMが80KB搭載されています。
Thomson TO9ではROMに内蔵されていた、ワードプロセッサ(Paragraphe)やデータベース(Fiches & Dossiers)の他、スプレッドシートのMultiplanが別途フロッピーディスクで同梱されていたようです。
Thomson TO9+には、モデムが内蔵されており、BASICと付属の通信ソフトから利用できたようです。
本体内蔵のFDDは、3.5インチの2DD(両面倍密度倍トラック:640KB)になっています。
サイト名 | リンク |
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Thomson TO7 (Wikipedia) |
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomson_TO7 |
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