イギリスのシンクレア・リサーチ社が1984年に発売した16ビットパソコンです。
QLは、Quantum Leap(量子跳躍)の略だそうです。
かの、リーナス・トーバルズ氏もこの機種のユーザーだったという話は有名です。
1981年にZX83のコード名で開発が開始された当初は、ビジネス向けポータブルコンピュータを想定していたようです。しかし、ポータブルコンピュータとするのは技術的に困難だったため、デスクトップパソコンとして発売する方向へ方針転換したようです。そのため、1983年に発売する予定が1984年となり、開発コードもZX83からZX84に変更されたようです。
Sinclair QLのCPUは、モトローラのMC68008(7.5MHz)です。このCPUは、MC68000のアドレスバスを20ビット、外部データバスを8ビットにした製品で、i8086(アドレスバスから見るとi80286ですが、i80286は後発なので)に対するi8088のような廉価CPUです。メインRAMは、128KBで最大640KB(実は、896KBまで拡張可能)です。また、VRAMは、32KBです。ROMは、Sinclair QDOS(シアトル・コンピュータ・プロダクツの86-DOS/QDOSとは別のOSです)やBASIC等に48KBです。
表示能力は、テキストが85文字×25行、64文字×25行、40文字×25行、グラフィックが512×256ドット4色、256×256ドット8色です。
サウンド機能は、矩形波単音です。
Sinclair QLは、ZXマイクロドライブという小型のループ型磁気テープカートリッジ(8トラック・カートリッジを小型化したような記録媒体です)を外部記憶装置として採用しています。(ZX Spectrumの周辺機器として採用していたものですが、互換性は無かったようです)
キーボードと本体が一体型のパソコンで、本体右側に2基のZXマイクロドライブが搭載されています。
それまでは、ワークステーションなどの高価なコンピュータにしか採用されていなかったモトローラのMC68000系プロセッサを採用し、ROMにSinclair QDOSというマルチタスクのOSを搭載、ワープロ、表計算、データベース等のオフィススイートがマイクロドライブ・カートリッジで同梱しているなど、かなり良さげに見えますが、発売を急いだために需要に対して生産が追い付かず、ROM内のソフトウェアにも多数のバグが見つかるなど、シンクレア・リサーチの信用を大きく傷つける結果となったようです。
マイクロドライブも信頼性が低く、外部データバスが8ビットのCPUだったことや周辺LSIの速度などの問題で性能はあまり良くありませんでした。翌年には、コモドールのAmigaやAtari STなどが登場し、ヨーロッパ市場でも販売されたこともあり、Sinclair QLは、商業的に失敗します。
この失敗は、シンクレア・リサーチがアムストラッドへ「シンクレア」ブランドを売却する一因となったようです。(同時期にフラットスクリーンの携帯テレビSinclair TV80や電気自動車のSinclair C5などの製品も失敗したようです)
Sinclair QLは、もっと設計を煮詰めてから発売すれば良かったのではないかと思いますが、慌てて発売したという時点で既に会社が危なかったのかもしれませんね。(とはいえ、1981年から開発が始まっているので開発期間は十分だったとは思います。ビジネス向けポータブルコンピュータからの方針変更で開発が遅れたのでしょう)
このパソコンの発売日は、1984年1月12日ですが、通販での発売でした。しかも、発売日の時点でプロトタイプすら存在せず、実際の出荷は4月頃に始まったようです。
Sinclair QLは、ビジネス向けのポータブルコンピュータとして開発が始まっていることもあって、ビジネス志向の設計思想を持ちますが、このパソコンを実際に買うユーザー層とは仕様の齟齬があったのではないかと思います。
デザイン的にもZX Spectrumの後継機に見える(本格的にビジネス志向とするなら、セパレート型の高級モデルにしたほうが良かったかもしれません)このパソコンの購買層は、ZX Spectrumのユーザーと同じホビー層でしたが、ホビーパソコンとしてみると、まともな音源が標準搭載されていないなど、ちぐはぐな印象です。
また、外部記憶装置も変わったものを採用せずに普通にフロッピーディスクドライブ(FDD)を標準搭載したほうが良かったのではないかと思います。ビジネス志向なら、FDDを標準搭載し、オプションでZ80ボードを用意して、CP/Mが使えるようにしておいたほうが良かったでしょう。この辺りは、Commodore Plus/4の失敗と被りますね。どちらも独自のオフィススイートを同梱(Commodore Plus/4は、ROMにビルトイン)して中途半端にビジネス志向なところも似ています。
因みに当時のシンクレア・リサーチでは、コードネーム「Loki」というZX Spectrumベース(7MHzのZ80Hを搭載)のホームコンピュータが開発されていましたが、シンクレアがアムストラッドに買収されたときに開発が中止されました。このプロジェクトのメンバー(マーティン・ブレナン氏、ジョン・マシソン氏)がフレアテクノロジー社を設立し、後にAtari Jaguarを開発することになります。他方では、アラン・マイルズ氏とブルース・ゴードン氏がMiles Gordon Technology社を設立し、1989年にZX Spectrum 48Kの互換モードを搭載したSAM Coupeという高性能8bitホームコンピュータを発売しますが、8bitパソコンを発売するには時期が遅く、発売の翌年に会社が倒産しました。SAM Coupeは、事業を引き継いだSAM Computers Limitedにより1992年まで生産が続けられ、約1万2千台が販売されました。
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Sinclair QL (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/Sinclair_QL |
Appleは、1970年代の終わりに次世代製品開発のため、3つのプロジェクトをスタートします。
1) Apple IIの後継機 → 「Sara」プロジェクト
2) 技術的に妥協しない高性能機 → 「Lisa」プロジェクト
3) 低価格なホームコンピュータ → 「Annie」プロジェクト
この中で、三番目の「Annie」プロジェクトから誕生したのが、「Macintosh」です。
当初は、モトローラの8bit CPU MC6809を使った低価格なホームコンピュータのようなものを開発するプロジェクトだったみたいですが、Lisaプロジェクトの開発現場から締め出されたジョブズ氏の意向により、Lisaの廉価版的なパソコンへ仕様変更されます。もし、ジョブズ氏がLisaの開発チームと衝突せずにこのプロジェクトが当初の予定通りだったら、TRS-80 Color ComputerのようなMC6809を搭載したホームコンピュータがAppleから登場していたかもしれません。
このような経緯のため、Macintoshは、Lisaの技術を受け継いではいますが、Lisaの後継機ではありません。
Macintoshの開発には、Apple I/IIの開発者スティーブ・ウォズニアック氏はあまり関わっていません。
初期の「Annie」プロジェクトには、パートタイムでハード設計の手伝いをしていたようですが、丁度この頃、ウォズニアック氏は、自身が操縦していた軽飛行機で事故を起こし、休職してしまったためです。
また、プロジェクトリーダーだったジェフ・ラスキン氏は、ジョブズ氏と衝突しアップルを退職してしまいました。ラスキン氏は、曖昧なアイコンを使ったコストがかかるグラフィカルユーザーインタフェース(GUI)よりも簡素で優れたユーザーインタフェースがあるという主張の持ち主だったので、MacintoshにGUIを使うことに反対していたようです。
Appleを退社したラスキン氏は、インフォメーション・アプライアンス社を設立し、ラスキン氏がMacintoshで採用しようと考えていた概念に基づいてSwyftCardを開発しました。これは、AppleIIに拡張ボードを差して利用するものでしたが、後にSwyftというラップトップコンピュータを開発しました。
Swyftのインタフェースは1987年にキヤノンから発売されたデスクトップパソコン「キヤノン・キャット」にも採用されています。LEAPキーと呼ばれるキーと組み合わせてキーボードでショートカット的な操作を行うテキスト・ユーザー・インタフェースのようです。(興味のある方は、下記URLにあるLeap Technologyの動画を参照してください)パッと見た感じでは、ワープロの変換・無変換キーのように見えますね。具体的には、ワープロをベースにした統合ソフトのようなインタフェースだったようです。
ちなみにMacintoshという名前を付けたのもラスキン氏です。ラスキン氏の好きなリンゴの品種(McIntosh:カナダの農夫John McIntoshによって発見された)から取ったと言われています。綴りが違うのは、既にオーディオメーカーのMcIntosh Laboratoryが存在したため、Macintoshに変更したようです。
ちなみにラスキン氏は、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)でコンピュータ・サイエンスの助教授をしていたのですが、大学を辞めた後に独立して仕事でApple Iの取材をしたときにマニュアルを書いてほしいとジョブズ氏たちに頼まれました。その後、マニュアル制作を手がけるBannister and Curn社を1976年に設立しましたが1978年には会社ごとアップルコンピュータに買収されました。
初代Macintosh(Macintosh 128K)のCPUは、モトローラのMC68000(8MHz)です。Lisaも同じCPUでしたが、1年遅く発売されたためかMacintoshのほうが動作クロックは高速になっています。
しかし、メモリは128KBとLisaの1/8となっています。当時のメモリは高価だったので、コストを抑えるために128KBに抑えられたのでしょう。ジョブズ氏がLisaプロジェクトから締め出されたのもパロアルト研究所でAltoを見て、Altoのようなパソコンを普及させたいという思いがあったためと言われています。
Lisaのように高価(当時の通貨レートで200万円以上)なパソコンでは普及させることはできないためです。
OSは、ToolboxというBIOSとAPIに相当する64KBのROMが用意され、GUI環境を含めSystemと呼ばれていました。(現在ではClassic Mac OSのSystem 1.0と呼ばれています)
9インチのモノクロ画面に512×342ピクセルのビットマップ表示を行います。
同年の1984年9月には、メモリを512KBへ増設したMacintosh 512Kが発売されました。
メモリが増えているだけで、実質的には同じ製品でした。「Fat Mac」の愛称で親しまれたようです。
日本でも1985年に代理店のキヤノン販売がMacintosh 512Kに漢字ROMを搭載し、日本語入力FEPを同梱したDynaMac(ダイナマック)を発売しました。
1986年には、Macintosh 512KのFDDを2DD(800KB)にしたMacintosh 512Keとメモリ1MBのMacintosh Plusが発売されました。
Macintosh 512Keは、FDDの他にもROM容量が128KBに増量されHDDへの対応などシステム面でも強化されています。
Macintosh Plusは、メモリを1MBに増量した以外にもSCSIポートを標準搭載しています。
1987年に登場したMacintosh SEは、デザインがfrog design社のものに変更され、FDDを2基もしくは、FDD1基+HDDを搭載可能でした。また、この機種からADB(Apple Desktop Bus)コネクタが採用されています。
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Macintosh (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/Macintosh |
Leap Technology (YouTube) |
https://www.youtube.com/watch?v=o_TlE_U_X3c |
1984年に日立がベーシックマスターシリーズの新機種として発売したパソコンです。
モトローラのMC6829(MMU)ではなく、独自のメモリコントローラーを搭載し、1MBのメモリ空間へアクセスできる(実際に増設が可能なメインRAMは、512KBまで)という8ビットホビーパソコンとは思えない設計で、グラフィック等の速度も高速だったようです。ワイヤーフレームのグラフィックで描かれた馬が印象的でしたね。
S1は、究極の8ビットパソコンと言っても良い機種でしたが、1984年に発売されたパソコンとしては、ユーザーに対する訴求力に欠けたパソコンだったように思います。例えば、一番安いモデル(MB-S1/10)は、128,000円でしたが、メインメモリが48KBしか搭載されていません。(S1は、VRAMをフリーエリアとして使える機能がありました)PC-6001mkIIやMZ-700といったエントリーレベルのパソコンでも64KBが当たり前の時代だったので、カタログスペックで見劣りしてしまいます。むしろ多少高価になったとしても128KBくらい標準で載せて発売したほうがインパクトがあったのではないかと思われます。ただでさえ、過去のソフトウェア資産が少ないマイナー機の後継機なわけですし。そういった意味では、ベーシックマスターレベル3での失敗がここでも影響していると言えるかもしれません。
1985年に発売されたMB-S1/10AVは、FDD無し、RAM48KB、VRAM48KB、スーパーインポーズ機能搭載で178,000円でしたが、同年に発売されているシャープのX1 turbo IIやNECのPC-8801mkIIFRならFDDが2基搭載されて同じ価格の178,000円でした。特にX1 turboシリーズは、96KBのVRAMを持ち、640×400ドット8色のグラフィックと漢字VRAMを持っていましたから、ユーザーから見れば、X1 turbo IIのほうがお買い得に見えるでしょう。富士通のFM77AVもこの時期に158,000円でFDD2基搭載、320×200ドット4096色表示可能で発売されていますからね。
また、丁度16ビット機への移行が模索されていた時期だったというのもタイミングが悪かったですね。
オプションを満載にした上位モデルは、16ビット機並の価格でした。
例えば、1985年に発売されたMB-S1/45は、FDD2基に漢字ROM、通信ソフト搭載で298,000円でしたが、1985年に298,000円という定価は、PC-9801U2と同じ価格ですから、いくら性能が良くても8ビット機としては価格が高かったと思います。
S1のCPUは、日立HD68B09E(MC68B09E互換)の2MHzで、メインRAMが48KB(最大512KBまで拡張可能)、テキストVRAMが4KB、グラフィックVRAMが48KB、PCG定義用RAMが6KB、ROMは、モニタとBASICに64KB、レベル3互換BASICに24KB、キャラクタ定義に8KBです。MB-S1/20には、MB-S1/10ではオプションのJIS第1水準漢字ROMカード(カナ漢字変換ROMも搭載)が標準搭載されています。
表示能力は、テキストが80/40文字×25行8色、グラフィックが640×200ドットで15色中8色、320×200ドットで15色中8色2画面、BASICでのサポートはありませんでしたが、640×400ドットのモノクロ画面モードもあったようです。
サウンド機能は、PSG音源(GI AY-3-8910)で8オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
S1には機能ごとに集約された12個のゲートアレイチップが搭載されていました。この設計は、搭載チップ数を減らして製造コストを下げるのに役立ったと思いますが、そもそも販売台数がそれほど多くなかったため、開発費のほうが掛かっているかもしれませんね。実際、S1の価格が他社の8ビットパソコンに比べて割高なのもこの辺りが影響しているのかもしれません。ただ、複数のカスタムチップを組み合わせてコストダウンを図る設計は、Atari STに通じるところがあるように思います。
1984年5月に発売されたモデルは、基本モデルのMB-S1/10とJIS第1水準漢字ROMカードを搭載したMB-S1/20です。キーボード分離のセパレートタイプでFDDなどの外部記憶装置も内蔵されていませんでした。
同年の12月には、2HDのFDDを1基搭載したMB-S1/30が198,000円、FDDを2基とJIS第1水準漢字ROMカードを搭載したMB-S1/40が298,000円で発売されています。
1985年には、MB-S1/10にスーパーインポーズ機能とPSG音源をもう一つ追加して6和音発声可能でジョイスティックポートを搭載したMB-S1/10AVが178,000円、MB-S1/10に通信ソフトを搭載したMB-S1/15が148,000円、MB-S1/40に通信ソフトを搭載したMB-S1/45が298,000円で発売されています。
MB-S1/10AVのPSG音源を2つ搭載して6和音にする手法は、パソピア7やMZ-1500などと同じですが、1984年末頃から、FM音源を標準搭載したNECのSRシリーズが登場していますから、1985年にPSG×2という構成は、特にインパクトは無かったと思われます。
また、1985年には、OEMで来夢来人(Limelight Interfield Systems) JB-806E1というMB-S1の姉妹機が発売されていたようです。5インチ2DのFDDを1基とカセットテープデータレコーダを搭載しています。ROM BASICやイメージジェネレーター(PCG)が搭載されていないようで、ベーシックマスターレベル3との互換モードも無いため互換機とは言えません。
ちなみにこの機種は、「The Computer Chronicles」というアメリカの番組の日本のパソコンを紹介する回に登場しています。「COMDEX in Japan '85」の会場でカセットレコーダーにテープを入れて音声を再生しながら、デモが流れるところなどが映っています。「The Computer Chronicles Japanese PCs」などのキーワードで検索すれば動画が見つかりますので、興味のある方は探してみてください。
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MB-S1 (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/S1 |
FM-77は、FM-NEW7と同じ1984年5月に発売されたFM-7の上位機種です。
FM-8/7/11の正式名称は、FUJITSU MICRO 8/7/11でしたが、FM-77は、FUJITSU MICRO 77ではありません。(FMは、FUJITSU MICROの略だと思いますが)
FM-8の上位機種FM-11がFM-8との互換性が低かったのに比べてFM-77は、FM-7との互換性が高く設計されています。
筐体はFM-11と同様にキーボード分離のセパレート型ですが、フロッピーディスクドライブ(FDD)は、3.5インチで横並びの配置となっています。
ラインナップは、3.5インチ2Dドライブが1基搭載されたFM-77D1(198,000円)と2基搭載されたFM-77D2(228,000円)で、違いはFDDの搭載数だけです。
CPUは、メインに富士通 MBL68B09(MC68B09)2MHz、FM-7シリーズと同じく画面制御用にも富士通 MBL68B09(MC68B09)2MHzを搭載しています。
RAMは、メインRAMが64KBでVRAMが48KB、メインCPUとサブCPUの通信用の共有メモリ等が5KBです。
メモリ・マネージメント・レジスタ(MMR)を搭載しており、メインメモリを最大で256KBまで増設可能ですが、MMR使用時にはCPUのクロックが1.6MHzに低下しました。
ROMは、IPLに4KB、F-BASICに32KB、サブシステムモニタに8KB、キャラクタ定義等に2KB、JIS第1水準漢字ROMに128KBです。
表示能力は、テキストが80または40文字×25または20行8色、グラフィックが640×200ドット8色(もしくはモノクロ3画面)です。
専用オプションの400ラインセットに含まれる400ラインカードを装着することで640×400ドット16色中2色(要専用モニタ)の画面モードが追加されます。(他の画面モードでも表示色が16色中8色がサポートされます)400ラインカードは、VRAM容量が増えるわけではなく、PC-8801に搭載されていたような漢字表示向けの640×400ドットの画面モードが追加されるだけです。
99,800円で発売された400ラインセットには、400ラインカードと192KBの増設RAM、漢字BASICのF-BASIC Ver.3.5、日本語ワープロ(FM-JWP/77)が同梱されています。(後に付属の増設RAMが64KBとなり、日本語ワープロが削除された400ラインセットIIが49,800円で発売されました)
FM-77は、サイクルスチール方式を導入していますが、FM-7との互換性のため機能をOFFにできました。
サウンド機能は、矩形波3音(8オクターブ)+ノイズ1音のPSG(AY-3-8910)を標準搭載しています。
当時、教育用として注目されていた、プログラミング言語LOGO(FM Logo)が付属していたようです。
1985年2月には、640×400ドットの表示モードを標準搭載したFM-77L4が238,000円で発売されました。FM-77D2に400ラインセットIIを搭載したような機種で標準RAMが128KBとなり、漢字BASICのF-BASIC Ver.3.5が付属し、テキストやグラフィックの表示色が8色から16色中8色にグレードアップしています。
同年5月にFM-77D2と同等のスペックでFM音源と外付けスピーカー、ジョイスティックを付属したFM-77L2が193,000円で発売されました。FM音源は、NECのSR系と同じYAMAHA YM2203(OPN)でFM音源3音+SSG(矩形波3音、ノイズ1音)です。FM-77D2にFM音源カード(ジョイスティック端子、スピーカー、ジョイスティック付)を搭載したような機種なので、PSG(AY-3-8910)もそのまま搭載されています。そのFM音源カード「MB22459」(18,000円)をFM-77D2に搭載するとFM-77L2と同スペックにアップグレードできます。
FM-77は、FM-7をキーボード分離のセパレート型にして3.5インチFDDと漢字ROMを内蔵し、MMRで大容量メモリに対応し、オプションで640×400ドットの表示に対応した機種です。
FM-7では、5.25インチのFDDが主流だったのですが、FM-77では、3.5インチに変更されています。FM-7であまりFDDが普及していなかったためか、比較的すんなり3.5インチに移行できたようですが、ユーザーの視点で見れば、メディアが安い5.25インチのほうが良かっただろうと思います。
本体価格を下げるためにドライブ価格の安い3.5インチFDDが採用されたのではないかと思われます。FM-77の高いコストパフォーマンスは、3.5インチFDDを採用しているということもあるのです。
FM-77シリーズは、1985年中にAV機能を強化したFM77AVシリーズへ移行します。
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FM-77 (Wikipedia) |
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Commodore Plus/4(以下、Plus/4)・Commodore 16(以下、C16)・Commodore 116(以下、C116)は、コモドール社が1984年に発売したTEDチップを搭載したホームコンピュータシリーズです。
元々は、シンクレア・リサーチ社(タイメックス・シンクレア社)のホームコンピュータと競合するような低価格ホームコンピュータシリーズとして開発されていたようです。C116、C232、C264、C364(それぞれ、メモリが16KB、32KB、64KBでC364にはテンキーと合成音声機能が搭載される予定)といったラインナップがあり、49ドル~79ドルの価格で販売し、上位モデルは、スモールビジネス向けにワープロやスプレッドシートといったソフトウェアを顧客からの注文に応じて内部ソケットにROMを差す形で提供する計画だったようです。ゲーム目的のホームコンピュータとして考えられていないため、スプライト機能や高度なサウンド機能は搭載されていません。
しかし、この構想を考えたジャック・トラミエル氏がコモドール社から居なくなってしまったため、C264をベースにCommodore 64(以下、C64)と競合する価格のPlus/4が開発されました。更にCommodore VIC-20(以下、VIC-20)の後継機としてブレッドビン型のケースに入れられたC16が開発されたそうです。C16が開発されたことで、チクレットキーボードを搭載したエントリーモデルのC116はドイツと東ヨーロッパの一部の国でのみ販売されることになりました。
余談ですが、当時のヨーロッパ市場ではキーボードにはそれほどこだわりがなく、とにかく安いことが重要だったようです。アメリカでは、低価格なパソコンでもチクレットキーボードは敬遠される傾向にありました。日本の場合は、もっと顕著でチクレットキーボードどころかキーボード一体型よりもセパレート型が好まれた印象です。例えば、1985年1月に発売されたNECのキーボード一体型パソコンPC-8001mkIISRとセパレート型のPC-8801mkIISRでは、安価な一体型のPC-8001mkIISRは敬遠され、セパレート型であるPC-8801mkIISRのほうに人気が集中しました。また、1990年に発売されたEPSONのPC-286C(PC-CLUB)は、20万円を大幅に切る低価格な98互換機でしたが、キーボード一体型だったため敬遠され、思ったより売れなかったようです。
このシリーズの中核は、TED(TExt Display)というグラフィックやサウンドを司るカスタムチップで、VIC-1001(VIC-20)に搭載されていたVICの後継と考えても良いでしょう。機能的には、グラフィック、サウンド、DRAMリフレッシュ、インターバルタイマー、キーボード入出力といったCPUを除く処理の大半を担うカスタムチップでした。
TEDには、40文字×25行のテキスト表示と320×200ドット~160×160ドットのグラフィック(縦160ドットのときは、5行のテキスト表示が追加で可能)の表示能力と4オクターブ矩形波2音、または、4オクターブ矩形波単音+ノイズの音源出力、ジョイスティックのスキャンやインターバルタイマーといった機能が含まれます。
グラフィック専用のVIC-IIとサウンド専用のSIDを搭載していたC64に比べるとゲーム向けの性能ではありませんでしたが、使える色が多く静止画ではC64より明らかに綺麗なグラフィックを表示できました。テキスト・ディスプレイという名前の通り、テキスト表示に重点が置かれており、シンクレア・リサーチ社のホームコンピュータをターゲットに開発されていたということなので、ZX81(TS1000/TS1500)やZX Spectrum(TS2068)がターゲットだったと考えられます。
CPUは、MOS6510を改良したMOS7501/8501(7501と8501の違いは製造プロセスが若干違うだけのようです)でクロック周波数は、1.76MHz(または0.89MHz)とC64よりも高速なCPUが搭載されています。
RAMは、C16とC116が16KBでPlus/4が64KBです。
ROMは、C16とC116が32KBでPlus/4が64KBです。(Plus/4には、ビルトインのオフィスソフトが含まれます)
表示能力は、TEDの機能でテキストが40文字×25行で標準、拡張カラー、マルチカラーの 3 つのテキスト モードがあります。グラフィックは、320×200ドット~160×160ドット・121 色(MSX2+のようにテレビの原理を利用した方式です)です。C64にはあったハードウェアスプライト機能はありません。
サウンド機能は、TEDの機能で矩形波2音(4オクターブ)+ノイズ1音です。VIC-1001(VIC-20)の矩形波3音(3オクターブ)+ノイズ1音よりもチャンネル数が少ないため退化していると言っても良いでしょう。
BASICの機能は、C64に比べて強化されており、従来はPOKE文で直接ハードウェアを叩かなければいけなかった機能がBASICステートメントとして追加されています。
更にPlus/4には、3-PLUS-1というアプリケーションソフトがROMで搭載されていました。
WORD PROCESSING(ワープロソフト)、SPREAD SHEETS(表計算ソフト)、GRAPHICS(グラフィックソフト)、DATA MANAGEMENT(データベースソフト)の4本のソフトウェアが搭載されています。BASICからコマンドを入力する(F1キーにコマンドが登録されていた)ことで起動したようです。
TED搭載機は1年ほどで生産が中止され、1985年にはC64と互換性のあるCommodore 128が登場しました。
失敗の原因は、いろいろあると思いますが、この時期に16KBのRAMでは厳しかったことも原因の一つだと思われます。Plus/4は、64KBのRAMを搭載していますが、低価格なC16のほうが売れていたためPlus/4専用にソフトが作られることは少なくハードの販売を牽引するようなキラータイトルが不足していたのではないかと思います。
また、各種接続端子がC64と互換性が無かった点も問題だったようです。C64はVIC-20と互換性のあるデータレコーダ端子、モデム端子(シリアルポート)、ジョイスティック端子を持っていましたが、TEDシリーズでは、これらすべてが新しい形状の端子に変更されてしまいました。
しかし、TED搭載機全体で100万台程度が出荷されたようです。当時の日本のパソコンの販売台数から見れば、かなり売れたように思えますが、薄利多売のコモドール製品なのに売れ残ったPlus/4は、コンピュータ清算人(不良在庫を買い取り転売する業者)によって買い取られテレビショッピングなどでディスカウント販売されていたようなので、利益はあまり出なかったのではないかと思われます。
C64が圧倒的に強かったアメリカ市場よりもヨーロッパやメキシコで売れたようです。この辺りは、PC/AT互換機が強かったアメリカ市場よりもヨーロッパ市場で成功したAmigaシリーズやAtari STシリーズと似た傾向ですね。
100ドル未満で販売されていた他社の低価格エントリーパソコンも揃って失敗しているので、1983年以降は低スペックで低価格なパソコンの需要があまり無かったのではないかと思われます。
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コモドール16 (Wikipedia) |
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シャープがMZ-700の後継機として発売したホビーパソコンです。基本設計は、MZ-700と同じため、MZ-700とほぼ完全な互換性を持っていました。MZ-700にPCGやサウンド機能、クイックディスクを搭載した機種がMZ-1500です。MZ-700にもオプションでクイックディスクドライブがありましたし、サードパーティからPCGボードが発売されていました。(MZ-1500のPCG機能とは互換性がありません)
MZ-1500は、クイックディスクドライブを標準装備しているのが特徴です。
クイックディスクは、ファミコンのディスクシステムでも採用されたことで有名ですが、メディアのトラックが同心円状に複数存在するフロッピーディスクとは違い、渦巻き状に1本のトラックがあるだけです。容量は、片面64KBで両面では128KBですが、カセットテープのように裏返して反対側の64KBを使う仕様です。
1本のトラックを一気に読み書きする仕様なので、ランダムアクセスではなくシーケンシャルアクセスとなります。
アクセス時間は、片面が約8秒ですが、書き込む場合は、一度空き領域を調べるために倍の時間がかかるようです。
この当時、一般的だった2Dのフロッピーディスク(約320KB)に比べると低容量ですが、ドライブやメディアの価格は安かったようです。
また、クイックディスクは、MZ-700/2000/2200、MSXなどでもオプションでドライブが発売されていました。
MZ-1500には、オプションで64KBのディスクキャッシュが用意されていました。これを使うことで擬似的にランダムアクセスが可能だったようです。
MZ-1500のCPUは、シャープ LH0080A(Z80A)3.58MHzです。メインRAMは、64KBでテキストVRAMが4KB、PCG定義用RAMが24KBです。ROMは、モニタ等に12KB、キャラクタ定義に4KBです。
表示能力は、テキストが40文字×25行8色です。グラフィックVRAMは持っていませんが、ドット当たり8色を指定可能なPCGを1024文字定義できるので、PCGを使った320×200ドット8色相当の疑似グラフィックを表示可能です。MZ-1500では、MZ-80K系と互換性のあるテキスト画面以外にPCG専用のテキスト画面がありました。
サウンド能力は、TIのSN76489(DCSG)を2個搭載しており、6オクターブの矩形波6音+ノイズ2音で、DCSGチップの出力を左右に振り分けてステレオ出力が可能でした。
グラフィック画面を持たずにPCGで定義したキャラクタを並べてグラフィックを表現するという設計思想は、非常に面白いと思いますが、やはり、当時のパソコンでは640×200ドット8色というのが一つのスタンダードだったため、それが表現できないのは問題だったのではないでしょうか。
例えば、640×200ドットを基準に作ったアドベンチャーゲームなどが移植しづらいのは問題です。(この時期のホビーパソコン市場では、アドベンチャーゲームがブームでした)
また、MZ-1500のPCG定義を倍にすれば48KBのPCG定義用RAMが必要なので、それなら素直にグラフィックに48KBのVRAMを搭載したほうが良いようにも思えます。
クイックディスクの採用も面白いのですが、やはり、当時のホビーパソコンの記録メディアのスタンダードはカセットテープか5インチフロッピーディスクだったため、ユーザーは中途半端に感じました。マイナーなメディアは、後でブランクメディアを購入するのにも苦労しますからね。
1984年発売というのも少し遅すぎた感があります。勿論、MZ-700の時にこれだけのパソコンを10万円以下の価格帯で発売するのは難しいでしょうけど。
この価格帯のパソコンは、少し足せばFM-7シリーズやX1シリーズに手が届くため、中途半端な性能では生き残れません。しかも、1984年といえば下の価格帯には既に統一規格のMSXがありましたからね。
結局、MZ-1500は、MZ-80K系のMZシリーズ最後のパソコンとなってしまいました。
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MZ-1500 (Wikipedia) |
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イギリスの家電メーカー(主に無線機やオーディオカセットデッキ・アンプ等のオーディオ製品を販売していたようです)アムストラッド社が1984年に発売した家庭用ホビーパソコンです。
CPCは、Color Personal Computerの略ですが、グリーンディスプレイとセットになったモデル(199ポンド)とカラーディスプレイとセットになったモデル(299ポンド)がありました。パソコン本体の電源は、ディスプレイから取る方式だったため、基本的にセットになっているディスプレイを使う必要があります。
Amstrad CPC 464は、カセットレコーダも本体右側に内蔵しています。MZ-80シリーズのようにディスプレイまでは一体になっていませんが、本体(キーボード含む)、ディスプレイ、データレコーダがセットになっている点は、初期のシャープのMZシリーズやコモドールPETシリーズ、TRS-80 model I(599ドルのパッケージでモニタとカセットレコーダーをセットで販売していた)などと同じ方向性だと思います。
このようなセット販売的な販売形態は、1984年発売のパソコンでは珍しいパターンだったのではないでしょうか。
少なくとも日本では、1984年頃にこういった形態で販売されていたホビーパソコンは無かったと思います。(Apple MacintoshやNEC PC-9801CV21のような高価な一体型パソコンやラップトップは存在しました)
Amstrad CPC 464のCPUは、ザイログのZ80A(4MHz)です。搭載RAMは64KBで、そのうち16KBがビデオメモリとして利用されるようです。ROMは、BASIC等に32KBです。
Amstrad CPC 464のBASICは、Locomotive Software社のLocomotive BASICで「Amstrad BASIC」とも呼ばれます。このBASICは、Amstrad PCWシリーズやZX Spectrum +3、BBC Micro用のAcorn Computers Z80アドオンのために開発されていたCP/M用BASICインタープリタのMallard BASICから派生したようです。Locomotive Software社は、Z80のBASICを開発していた会社でエイコーン・コンピュータ社のBBC MicroのZ80セカンドプロセッサ用にMallard BASICを開発していました。Amstrad CPC 464は、元々CPUにMOS6502を搭載する予定だった(プロトタイプ機は、MOS6502を搭載していた)ようですが、Locomotive Software社のBASICを採用するにあたり、CPUがZ80へ変更されたようです。
表示能力は、テキストが80文字×25行2色~20文字×25行16色、グラフィックが640×200ドット2色、320×200ドット4色、160×200ドット16色です。(カラーパレットは、27色だったようです)
サウンド機能は、PSG(GI AY-3-8912:AY-3-8910の亜種でI/Oポートを1つ減らして28ピンにした廉価版です)で8オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
モニタ出力は、6Pin DINの専用モニタ出力ですが、専用モニタ以外のテレビと接続するためのアダプタ(Amstrad MP1 外部テレビアダプタ)が発売されていました。
Amstrad CPC 464には、Motorola 6845 CRTCとAmstrad 40007 ULAという専用のゲートアレイチップが搭載されています。(CPC 6128の後期モデル以降は、CRTCとゲートアレイの機能を包括したASICに置き換えられています)
このチップの主な機能は、CPUとCRTCのメモリアクセスを調停するバスアービトレーションで、CPU・CRTC・ゲートアレイのバスアクセスタイミングを調整する役割を担っていました。CRTCは、画面描画のために一定間隔でビデオメモリにアクセスする必要があるため、タイミング良くCPUがメモリにアクセスできないと処理が遅くなってしまいます。それを回避するサイクルスチール方式などもありますが、Amstrad CPCでは、ゲートアレイチップがCPUへアクセスタイミングの指示を出す方式だったようです。そのため、Amstrad CPC 464のCPU実効クロックは、約3.3MHzだったようです。
また、このゲートアレイチップは、他にもDRAMリフレッシュやC-Sync(Composite Sync:複合同期信号)の生成、画面モードやカラーパレットの指定、割り込み生成などを行っていたようです。
Amstrad CPCシリーズでは、AMSDOSというディスク・オペレーティング・システムが用意されていたようで、Amstrad CPC 464にオプションの3インチフロッピーディスクドライブ(3インチFDD)を追加したり、3インチFDD内蔵モデルのCPC 664やCPC 6128で利用できたようです。
CP/MもCPC 464のDDI-1フロッピーディスク拡張インタフェースユニット(ディスクドライブ本体は、FD-1です)やCPC 664にはCP/M 2.2が同梱されており、CPC 6128にはCP/M 2.2とCP/M 3.1が同梱されていました。
1985年5月には、本体右側に3インチFDDを内蔵したCPC 664が発売されました。価格は、グリーンディスプレイとのセットが339ポンド、カラーディスプレイとのセットが449ポンドだったようです。
FDDを標準装備したため、CP/Mが使える低価格なパソコンとなりましたが、後述するCPC 6128の登場により1985年中に生産が停止されたようです。
1985年8月には、CPC 664のRAMを128KBにして、本体のデザインを若干変更したCPC 6128が登場します。
このパソコンは、当初はアメリカ向けのモデルだったようで、ヨーロッパでも販売することが決まり、CPC 664の販売を停止したようです。
価格は、グリーンディスプレイとのセットが699ドル(イギリスでは299ポンド)、カラーディスプレイとのセットが799ドル(イギリスでは399ポンド)だったようです。
1990年の9月には、Amstrad 464plusとAmstrad 6128plusが発売されました。(機種名からCPCの文字が無くなりました)
白いモダンなケースデザインとなり、464plusはカセットテープデータレコーダが、6128plusには3インチFDDが搭載されています。メモリ容量は、464plusが64KB、6128plusが128KBです。Amstradのパソコンは、464の4がカセットを意味し64がメモリ容量、6128の6はフロッピーディスクを意味し128がメモリ容量というネーミングのようです。(最初の数字はメディアの種類でそれにメモリ容量の数字を付けている)
464plusは、本体右奥の上部にカセットテープデータレコーダが搭載されたパソコンで、搭載RAMが64KBです。plusシリーズはASICの機能が強化され、オーディオ用にDMA割り込み機能やスプライト機能(16個)、スクロール機能が追加され、使える色も4096色中31色(背景に16色、スプライトに15色)と性能が強化されています。(しかし、深刻なバグが含まれていたようです)ROMカートリッジスロットも追加されました。これらの新機能は、互換性を保つためにROMカートリッジに新しいBIOSを組み込まれており、起動時にそちらが動作する方式になっています。つまり、新機能は基本的にROMカートリッジのソフトでしか利用できないように設計されています。
拡張I/Oポートやプリンタポートといった入出力端子は、エッジコネクタによるインタフェースが廃止され、マイクロリボンコネクタ(36Pinセントロニクスコネクタ)やD-Subコネクタ(DB25)に変更されています。他にも左側面には、専用モニタ出力端子(8Pin DIN)、音声出力端子(イヤホン端子)、2つのゲームコントローラ端子、15Pin(DA-15)アナログジョイスティックポート(PC互換機でゲームポートとして知られている端子です。初代IBM PCのオプションカードが発祥ですが、後にSound Blasterサウンドボードに標準搭載されたことによりPC互換機の標準的なジョイスティック端子として普及しました)、光線銃コネクタ(RJ45、電話線を接続するような端子です)があります。
6128plusは、464plusからカセットテープデータレコーダの代わりに右側面の奥に3インチFDDが搭載されています。メモリも128KBになっています。また、外付けFDDポートが標準搭載されています。
また、同時期にAmstrad GX4000というROMカートリッジベースのゲーム機を99.99ポンドで発売しています。
GX4000は、464plusをベースにキーボードとカセットテープデータレコーダを取り去ったようなゲーム機です。拡張I/Oポートやプリンタポートが削除されており、SCART端子とRF出力端子が追加されています。
Commodore 64 Games SystemやAtari XE Video Game Systemなど、8ビットホビーパソコンからキーボードを取り払ってゲーム機化した製品がいくつか出ていますが、いずれも失敗しています。
失敗の原因は、いろいろあると思いますが、カセットテープ版など他媒体のソフトをROMカートリッジに変換して発売することの敷居が高いことも原因の一つと考えられます。ROMカートリッジ化することでコストがかかるので、ソフトの価格も上がりますし、それを買うユーザーがどれだけ居るか分からないため、ソフトウェア開発会社も参入に尻込みをします。
また、最初からROMカートリッジで供給されていたソフトでもキーボードがあることを前提にしていたソフトが動かないケースもあります。ゲームを開始する時にHit Space keyみたいな表示が出る場合、スペースキーが無いとゲームが開始できません。Amstrad CPCシリーズにはROMカートリッジスロットが無かったため、そういった問題は起きませんでしたが、GX4000もCommodore 64 Games SystemやAtari XE Video Game Systemと同様に商業的に失敗しました。
また、アムストラッドは、テラドライブのようなIBM PC/AT互換機にメガドライブを合体させたパソコンAmstrad Mega PCを1993年に発売しています。その後、後継機のAmstrad Mega Plusを発表しましたが、これ以降はゲーム機市場から撤退しました。
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Amstrad CPC (Wikipedia) |
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X1シリーズの上位機種として発売された8ビットパソコンです。
X1シリーズとの互換性は、ユーザーが意識することなく切り替えが行われる完全な上位互換が実現されていました。X1シリーズからの追加機能は、グラフィックVRAMを48KBから倍の96KBへ拡張され、640×400ドット8色という当時は16ビット機ぐらいしか持っていなかった画面モードが追加されました。400ラインモードでは、水平同期周波数が200ライン時の15kHzから24kHzになるため、X1用の15kHzのモニタでは表示できず、24kHzに対応したモニタが必要になりました。turbo専用のモニタは、マルチスキャンで24kHz時にはハイレゾモードのランプが点灯します。また、漢字VRAMを装備しており、40×25行の高速漢字表示を実現しています。型番は、X1シリーズがCZ-800Cから始まっているのに対して、X1turboシリーズは、CZ-850Cから始まっています。
X1turboは、データレコーダを内蔵したモデル10(CZ-850C)が168,000円、5インチフロッピーディスクドライブ(FDD)を1台内蔵したモデル20(CZ-851C)が248,000円、2台内蔵したモデル30(CZ-852C)が278,000円で発売されました。
X1turboのCPUは、シャープ LH0080A(Z80A)4MHzで、X1と同じです。メインRAMも同じ64KBでグラフィックVRAMが96KB(モデル10は、標準では48KBです)とX1シリーズの倍になっています。テキストVRAMは、漢字対応で6KBです。PCG定義用RAMも6KBです。ROMはBIOS(X1ではIOCSと呼ばれていましたが、ROMではなくIPLから読み込まれるものでした)に32KBです。(カナ漢字変換ROM等を含む)キャラクタ定義ROMに8KBとJIS第1水準漢字ROMの128KBが標準で搭載されています。
表示能力は、80文字×25行~40文字×10行まで複数のモードがあります。グラフィックは、640×400ドット8色1画面(またはモノクロ3画面)、640×200ドット8色2画面(またはモノクロ6画面)、320×200ドット4画面(またはモノクロ12画面)です。また、PCGなどへのアクセスが垂直帰線期間にしか行えなかったのを水平帰線期間できるようになっています。
実は、私もX1turboシリーズのユーザーでした。初代X1にフロッピーディスクドライブ(FDD)を購入しようとしていたところに低価格のturbo IIが発売されたため、FDDの代わりに購入しました。ディスプレイは、初代X1のものをそのまま利用したので、400ラインの表示はできない状態で使っていましたが、1987年にX68000が発売されたため、いずれX68000を買うことを考えてCZ-600Dを購入し、turbo IIに接続して使いました。X68000を買えるようになった頃には、NECのPC-98シリーズが主流となっており、そちらを購入してしまったため、結局、X68000を買うことはありませんでした。それまでにも学生時代に中古のPC-9801VX21を買いましたが、社会人になり、車のローンが終わった後にレーザープリンタ等を含めると80万円くらいのローンを組んでPC-9821Xa7を買ったのですが、どうせならX68030を買っておけば良かったのではないかと今更ながらに後悔しています。
X1 turboシリーズには、turbo CP/M(漢字対応)やC言語などのソフトがあり、私も使っていました。(当時のコンパイラは、大したプログラムじゃなくてもコンパイルに凄く時間が掛かりました)turbo CP/Mは手元にマニュアル等が残っているのですが、X1 turbo II本体が行方不明です。初代X1やディスプレイのCZ-600Dは物置部屋にありましたが、X1 turbo IIの本体は何処に置いてあるか分からないんですよね。捨てた記憶は無いのですが・・・。
1985年の7月には、テレビ制御等の機能を削除してコストダウンを図ったビジネス向けのX1turbo model40が258,000円で発売されました。
同年の11月には、X1turbo model30と同じ仕様の廉価版モデルX1turbo IIを178,000円で発売しました。X1turbo model30と同じ仕様ですが、FDDの仕様が若干違うため起動しないソフトが存在しました。日本語百科ワードパワーやターボ博士レキシコンといったソフトが追加されています。ワードパワーは、約9万語の熟語を収録した拡張辞書ソフトでレキシコンは、BASICのヘルプソフトでした。ワードパワーは結構使った記憶がありますが、レキシコンは印象に残ってないですね。
更に1年後の1986年の11月には、JIS第二水準漢字ROMを内蔵し、FDDを2HDに対応させたX1turbo IIIが168,000円で発売されましたが、翌月の1986年12月には、4096色同時表示可能なグラフィック機能とFM音源ボードを内蔵したX1turboZが218,000円で発売されます。X1turbo IIIにカラーイメージボードやFM音源ボードなどを搭載すれば、ハードウェア的には同等になりますが、オプションを搭載すると価格が若干高くなる上にX1turboZに同梱されたマウスやソフト類を考えればX1turboZのほうがお買い得でした。
しかし、そのX1turboZも1986年9月に発表された16ビットの後継機(X1/turboシリーズとの互換性はありません)X68000の前には霞んでしまいました。
1987年12月には、64KBの拡張RAMを搭載したX1turboZ IIが178,000円で発売されました。
更に1988年12月には、X1turboシリーズの最後のモデルX1turboZ IIIが169,800円で発売されました。このモデルは、X1turboZ IIとほぼ同じ仕様ですが、外付FDD端子、データレコーダ端子、デジタルRGB端子等が削除されています。また、カタログには載っていないようですが、グラフィックVRAMが倍の192KBになっていたようです。何故このようなことになっているかは分かりませんが、TRS-80 Color Computerシリーズなどでもカタログに表示されたRAM容量より多いRAMのメモリモジュールが搭載されていることがあったようなので、昔からこういうことはあるようです。コスト的な問題などが考えられます。容量の少ないメモリのほうが安いとは限りません。現在でも何世代か前のメモリモジュールを買おうとすれば、希少なので容量が少ないのに値段が高かったりします。ただ、この時代は、SIMMのようなメモリモジュールでメモリを搭載しているわけではないでしょうし、低容量なら1チップで済むからそういうこともあるでしょうけど、基盤にチップを複数個搭載している場合には、コスト的な問題とは考えにくいですね。
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X1turboシリーズ (Wikipedia) |
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IBM PCjr(IBM model number 4860)を日本向けに改良したモデルです。
FDD無しで64KBのRAM、32KBのVRAMを搭載したJX1が166,000円、3.5インチFDDを1基搭載し128KBのRAM、32KBのVRAMを搭載したJX2が270,000円、3.5インチFDDを2基搭載し128KBのRAMを搭載し、拡張表示カード装着しVRAMを64KBに増やしたJX3が332,000円、3.5インチFDDを2基搭載し256KBのRAMを搭載し、拡張表示カード装着しVRAMを64KBに増やしたJX4が373,000円でした。
IBM JXは、オーストラリア、ニュージーランドを含むアジア太平洋地域でも販売されたようです。
JXのCPUは、Intel 8088(4.77MHz)です。一応、16ビットCPUですが、外部データバスが8ビットでクロックも16ビットCPUにしては遅く、システム全体として見れば、速度的に他社の8ビットパソコンとそれほど変わらなかったのではないかと思います。
RAMは、JX1が64KB、JX2とJX3が128KB、JX4が256KBで最大512KBまで拡張可能でした。この辺りは、流石に16ビットパソコンという感じですね。VRAMは、JX1とJX2が32KBでJX3とJX4が64KBです。文字定義用に2KBのRAMを持っています。
ROMは、BIOSやBASIC等に128KBと漢字ROMに128KBが搭載されています。また、PCjrと同様にROMカートリッジスロットを2つ持っており、ROMカートリッジを差すことも可能でした。ROMカートリッジスロットに英文モードカートリッジを挿入するとIBM PCjrの互換機として動作したようです。
表示能力は、テキストが80/40文字×25行16色で漢字モードでは40/20文字×11行8色です。グラフィックは、VRAMが32KBで640×200ドット4色~160×200ドット16色で、64KBでは720×512ドット2色や640×200ドット16色などのモードが追加されます。
サウンド機能は、8オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
PCjrと同様にキーボードは、赤外線ワイヤレスでしたが、チクレットキーボードだったPCjrとは違いタイプライタ風のしっかりとしたものになっています。
後の人気ワープロソフトとなるジャストシステムの一太郎シリーズ(「jX-WORD太郎」含む)の前身である「jX-WORD」が1984年12月に発売されています。ちなみにPC-100用に開発された「JS-WORD」が元祖です。
JXのフロッピーディスクは、3.5インチFDDの2DD(IBM PC DOSフォーマットなので720KB)です。
当時は、5.25インチのFDDが主流でしたし、3.5インチFDDを搭載したパソコンでも日本のパソコンではディスクが読めなかったのではないかと思われます。日本以外の地域でも販売するパソコンだったので仕方がないかもしれませんが、当時の日本は特殊な市場だったこともあり、JXは商業的に失敗します。
JXが発売された当時としては、PC-8801mkIIなどと比較すると、十分価格的に対抗できる性能を持っていたと思いますが、FDDが5.25インチじゃなかったことや640×200ドット8色という当時の日本のホビーパソコンでスタンダードだった解像度を持たなかったことが問題だったのではないかと思います。PC-8801mkIIに対抗できる価格だったとはいえ、日本ではソフトウェア資産が皆無なのに一番安いモデルが166,000円というのは、この時期のパソコンとしては高すぎたと思います。これなら、128,000円の日立MB-S1のほうがお買い得でしょう。翌年の1985年1月に8ビットパソコンの覇者となるPC-8801mkIISRが発売されたことも大きかったかもしれません。
1985年には、上位機種のIBM JX5(model number 5510)が発売されました。価格は、Wikipediaでは不明となっていますが、当時の書籍(よいパソコン、悪いパソコン '87年 後期版)によると360,000円だったようです。
JX4に比べ、CPUを7.2MHzの高速モードで駆動することが可能となり、RAMが384KBに増えています。
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IBM JX (Wikipedia) |
https://ja.wikipedia.org/wiki/IBM_JX |
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