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レトロパソコン(機種別解説編) ~1983・1984年~

(米)Apple Lisa - 1983年1月発売($9,995)

 Appleは、1970年代の終わりに次世代製品開発のため、3つのプロジェクトをスタートします。
 
 1) Apple IIの後継機 → 「Sara」プロジェクト
 2) 技術的に妥協しない高性能機 → 「Lisa」プロジェクト
 3) 低価格なホームコンピュータ → 「Annie」プロジェクト
 
 この中で、二番目の「Lisa」プロジェクトから誕生したのが、技術的に妥協しない高性能機「Lisa」です。
 
 Lisaの開発には、スティーブ・ジョブズ氏が参加していました。
 当初、技術的に妥協しない高性能パソコンを開発するというコンセプトの「Lisa」プロジェクトは、開発が難航していました。「Annie」プロジェクトの指揮を執るジェフ・ラスキン氏の勧めで、ゼロックスのパルアルト研究所を見学することになり、そこでAltoを見てジョブズ氏は衝撃を受けます。その後の訪問でSmalltalk(オブジェクト指向プログラミング言語)のデモなども見学し、ジョブズ氏の中でMacintoshのイメージが形作られていったのではないかと思われます。
 また、ゼロックスは、Altoの技術を1981年に発売したワークステーションXerox Starへ継承しています。
 Lisaの開発者たちは、発表されたXerox Starを見て、デスクトップ上での視覚的なアイコン化という手法をLisaへ取り入れたそうです。
 
 Lisaは、Altoの影響を受け、開発がスタートしましたが、ジョブズ氏は、Lisaを個人が買える価格で販売し普及させたいと考えました。しかし、当初のコンセプト通り、妥協しない高価な高性能パソコンを開発したいと考えているメンバーも居たため、開発チーム内で認識の齟齬が起きてしまい、最終的には社内抗争にまで発展したようです。その結果、ジョブズ氏は、閑職(会長)へ追いやられてしまいます。
 
 Lisaは、1983年1月19日に9,995ドル(当時の日本円で約233万円)で発売開始しました。
 CPUは、モトローラのMC68000(5MHz)でメモリは1MBを搭載しています。
 本体、モニタ、外部記憶装置一体の筐体で、初代Lisaは、5.25インチのフロッピーディスクドライブを2基搭載しています。OSは、Lisa Office System Release 1.0です。アプリケーションソフトは、ワープロや表計算、リスト式データベース、図表作成ソフトなどが同梱していました。「Profile」という5MBの外付けハードディスクドライブを本体上部に載せて使用されることが多かったようです。
 
 後継のLisa2は、1984年1月に発売されました。FDDがMacintoshと同じ400KBの3.5インチFDDに変更され、外付けだったハードディスクが内蔵されました。HDDは、5MBモデル(メモリ512KB)のLisa 2/5と10MBモデル(メモリ1MB)のLisa 2/10があり、それぞれ3,495ドルと5,495ドルと初代Lisaよりかなり安くなりました。
 また、1985年には、Lisa 2/10にMacintosh 128Kのエミュレータを付けて、Macintosh XLとしても売られました。
 それでも大量に売れ残り、最後はユタ州の埋立処分場に埋立処分されたという話は有名です。

サイト名 リンク
Lisa (コンピュータ)
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Lisa (コンピュータ)

東芝 パソピア7 - 1983年5月発売(119,800円)

 パソピア7は、パソピアの上位機種で互換性もあったようですが、初代パソピアをパソピア5として改めて発売していることを考えると互換性に問題があったのかもしれません。
 初代パソピアがNECのPC-8001をターゲットにしていたと見えるように、パソピア7は、富士通のFM-7をターゲットに開発されたように見えます。名前の7も意味深ですし、キャッチコピーだった「勝つ快感」もFM-7より性能が高いことをアピールしているように見えます。(ちなみに初代パソピアのキャッチコピーは「その差歴然」でした)
 
 パソピア7のCPUは、シャープのLH0080A(Z80Aセカンドソース)4MHzです。メインRAMは64KBで、グラフィックVRAMは48KBです。独立したテキストVRAMは、持っていなかったようですが、8KBのアトリビュートRAMを持っていて、テキストとグラフィックの重ね合わせができたようです。しかし、テキストを表示するとグラフィックVRAMの容量が減るため、表示色などに制限が出たようです。
 ROMは、IPLやBIOSに16KB、BASICに32KB、文字定義に2KBです。
 表示能力は、テキストが80/40文字×25行8色でグラフィックVRAMを共用しているためか最大8画面も持てました。グラフィックは、パソピアの画面モードの他、640×200ドット8色または、320×200ドット8色2画面とこの当時の8ビットパソコンの標準的なものですが、パソピア7の特徴として、タイリングペイントをハードウェアでサポートしていることが挙げられます。
 タイリングペイントとは、中間色のことでデジタルRGBで8色表示のパソコンでよく使われた手法です。色数が少ないため、2つの色のドットを縦横交互に並べると中間色の表現ができます。他機種でもソフトウェア的には使えますが、パソピア7では、それをハードウェアがサポートしていたようです。
 そのため、実際には8色しか表示できないのに27色(色の組み合わせとしては、8×(8-1)÷2=28通りですが、3枚のグラフィックプレーンを二つ組合せるということで、3の三乗で27通りということのようです)とカタログに書いていたようです。
 サウンド機能は、SN76489(DCSG)を2個搭載しており、矩形波6音(6オクターブ)+ノイズ2音です。
 このタイリングペイントの機能とDCSGサウンドチップを2個搭載した辺りが「勝つ快感」の根拠だと思われます。また、パソピア譲りの拡張スロットを使いジョイスティックを14本接続できることも売りになっていたようです。ジョイスティックを14本使ったゲームが存在したのでしょうか・・・。
 
 それなりに売れたようですが、後継機が出なかったことから、御三家に食い込むほどの販売台数は無かったと思われます。以降、東芝の8ビットホビーパソコンは、MSX規格が主力となります。

サイト名 リンク
パソピア
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/パソピア

MSX規格 - 1983年6月発表

 米マイクロソフトとアスキー(現・KADOKAWA アスキー・メディアワークス)によって提唱されたホビーパソコンの統一規格です。MSXは、「MicroSoft eX」の略のようです。また、実際にMSX規格のパソコンが発売されるのは、10月下旬頃からです。
 
 日本ソフトバンク(現ソフトバンク)の孫正義氏が異議を唱え、対抗する統一規格を作ると表明してアスキーの西和彦氏と交渉した話(「天才・西と神童・孫の10日間戦争」)は有名ですが、当時は小学生だったので、パソコン雑誌などもあまり読んではおらず、この話を知ったのはずっと後になってからでした。
 結局、両者は和解したのですが、この件で一番割を食ったのは、孫氏の規格に賛同したソードではないでしょうか。
 SORD M5をベースにした規格だったようなので、実現していれば、M5の急激な衰退も無かったかもしれませんし、そもそもこんなことが起きなければ、ソードからMSX規格のパソコンが発売されていたかもしれません。
 このとき、孫氏はMSX規格を日本発の統一規格なのにアメリカの会社が絡んでいることを理由に対抗規格を出してきたようですが、後に日本発のOSであるBTRONを潰す方向に動いているんですよね。(「孫正義・起業の若き獅子」(講談社)TRON蔓延を水際で阻止)
 
 初代MSX規格の仕様は、CPUがザイログ社のZ80A相当品(3.579545MHz)、メインRAMが8KB以上、ROMは、BIOSとBASICに32KB、VDPはテキサス・インスツルメンツ社(TI)TMS9918A相当品でVRAMは16KB。
 表示能力は、下記の画面モードがあります。このMSXの画面モードは、規格が進むにつれ増えていきます。
 
 1) SCREEN0:テキスト40文字×24行16色中1色
 2) SCREEN1:テキスト32文字×24行16色中1色
 3) SCREEN2:グラフィック256×192ドット16色(水平方向8ドット内2色まで)
 4) SCREEN3:グラフィック64×48ドット16色
 
 サウンド機能として、ゼネラル・インスツルメンツ社(GI)のPSG(AY-3-8910)相当を搭載することが決められており、8オクターブの矩形波3音+ノイズ1音の発声が可能です。
 また、周辺機器インターフェース(PPI:Programmable Peripheral Interface、CPUと周辺機器間のパラレル信号を制御するLSIのことで、PIO:Parallel Input/Outputと同義)にIntel 8255相当を使うことも仕様として決められています。ちなみにIntel 8255は、プリンタやFDDなどのインタフェース用に搭載された機種がよくありました。私が所有していたシャープのX1にも2個搭載されていたはずです。一つは、プリンタポート用で、もう一つは、キーボード用のサブCPUとの通信用に使われていたようです。
 MSXでは、CPUのZ80Aを割り込みモード1(IM1)固定で動作(X1では、割り込みモード2を使用していました。X1の項目で解説したようにZ80には、INTとNMIの割り込みがあります。そしてINTには、3種類の割り込みモードがあります。IM0はi8080互換用の割り込みモードでIM1は割り込みコントローラを使用せずソフトウェアで処理を行うモード、IM2はZ80周辺LSI専用の割り込みモードです)させるため、割り込みを行うハードウェアは、ソフトウェア的に割り込み処理を行う必要がありました。具体的には、割り込み処理が発生するとBIOSを参照して対応した動作を行うわけです。BIOSはROMなので書き換えが出来ませんが、MSXではシステムワークエリアに書き換え可能な領域(フック)を用意していたようです。この辺りは、TI99/4やSMC-70と同じようにプラグアンドプレイのような仕組みだったのではないかと思われます。
 
 初代MSX規格のハードウェアは、米スペクトラビデオのSV-318/328を参考にしていると言われています。このパソコンの開発にもマイクロソフトとアスキーが関わっており、それを日本の家電メーカーへ提案したのが始まりだったようです。また、スペクトラビデオ社もMSX規格に参加しており、後にSVI-728/738/838といったMSX1-2規格のパソコンを発売しましたが、1988年に倒産しました。1986年に発売されたSVI-838は、IBM PC互換機とMSX2のハイブリッド機だったようです。
 CPUにZ80、VDPにTIのTMS9918、音源にPSGやDCSGといった組合せは、ゲーム機でもコレコビジョンなどが採用していますし、当時としては、よくある組合せのハードウェアでした。コレコ社が1983年に発売したColeco AdamもVDPがTMS9928A(TMS9918の映像出力をRGB相当にしたもの)になっていますが、基本的にはこの部類です。
 日本でもSORD M5やSEGA SC-3000、Casio PV-2000などがこの組合せです。
 しかし、チップの組合せは同じでも、それぞれ実装が違います。M5やSC-3000は、BASIC ROMを内蔵せずROMカートリッジで提供するタイプのハードウェアでしたが、MSXはBASIC ROMを内蔵し、4つのメモリ(MSXではスロットと呼称)をバンク切り替えする拡張性の高いハードウェアになっています。(4つの基本スロットは、それぞれ拡張スロットを4つまで拡張可能なため、64KB×4×4で最大1MBのメモリ空間を持てました。64KBのメモリは1ページ16KB×4で構成されています)
 
 初代MSX規格に賛同したメーカーは、キヤノン、カシオ計算機、富士通、日立製作所、京セラ、松下電器産業、三菱電機、日本電気、ヤマハ、日本ビクター、パイオニア、三洋電機、シャープ、ソニー、東芝、ミツミ電機などがあります。
 いわゆる8ビット御三家も初代規格には賛同していますが、NECはMSX規格のパソコンを出さずに代わりにPC-6001mkIIを7月に発売、富士通は、FM-Xという機種を1機種だけ発売(丁度この頃に提携する系列のゼネラルからは、パクソンというブランド名で販売されていましたし、OEMで他社へ提供していた機種はあったようです)、シャープは、国内向けを出さずにブラジルでHOTBITという何処かで聞いたようなブランド名のMSXを販売しています。(EPCOMというブラジルの会社のOEMをシャープのブラジル支社が販売していたようです。この話を最初に聞いたときは、『逆じゃないの?』と思ったのですが、どうやらEPCOMという会社は地元企業と合弁したシャープの子会社かグループ企業だったようです)

 1985年には、グラフィックを大幅に強化したMSX2規格が登場します。
 VDPがTMS9918A上位互換のヤマハV9938(アスキー、マイクロソフト、ヤマハの共同開発)となり、VRAMを128KB搭載した機種では、512×212ドットで512色中16色や256×212ドットで256色といった画面モードがサポートされました。ちなみにV9938は、MSX2以外にもイギリスで発売された台湾製のTatung Einstein TCS-256や1987年にMyarc社が販売したGeneve 9640(TI-99/4A互換ボード)などにも採用されていました。
 SCREEN0は、テキスト40×24または80×26文字(1文字6×8ピクセル) 文字・背景とも(512色中)16色パレット中1色となり、SCREEN1~3もMSX1準拠に加え、固定16色ではなく512色中16色を選択可能となっています。また、下記の画面モードが増えました
 
 5) SCREEN4:グラフィック256×192ピクセル 512色中16色(横8ドット内2色まで) ライン単位色指定のスプライト使用可能(以下の画面モードも同じ)スプライト機能以外はSCREEN2と同一。
 6) SCREEN5:グラフィック256×212ピクセル×4画面 512色中16色
 7) SCREEN6:グラフィック512×212ピクセル×4画面 512色中4色
 8) SCREEN7:グラフィック512×212ピクセル×2画面 512色中16色
 9) SCREEN8:グラフィック256×212ピクセル×2画面 固定256色
 10) SCREEN9:日本では使用されません。
 
 スプライトで使える色数も増え、縦方向のハードウェアスクロールにも対応しました。しかし、画面描画速度があまり速くなかったり、スプライトの同時表示枚数がTMS9918と同じだったり、横方向にはハードウェアスクロールができないなど、今一つ突き抜けていない感があります。(後のMSX規格でもチップの開発が間に合わなくて採用されないなど、総じてそういう空気がありました)
 こうして改めて見ると、強化ポイントは高解像度グラフィックや多色化が中心となっていて、スプライトの同時表示枚数やPCGによるBG面、横方向へのハードウェアスクロールといったアクションゲーム向けの機能は、あまり強化されていないことが分かります。当時は、アドベンチャーゲームブームだったので、そっちの機能強化に引っ張られてしまったのかもしれませんね。
 また、MSXからMSX2への強化として大容量メモリに対応するため、MSX-MMS(マッパメモリ)というメモリ管理機構をサポートしました。これにより、仕様上はスロット当たり4MB程度のメモリを増設できる設計になりましたが、実際には実装されているチップの関係で512KBが限度だったようです。日本で発売されていたMSX2機では、256KBまでのRAMを搭載したモデルしか発売されていないようです。
 MSX2規格は、当初8ビット御三家と肩を並べるような高級モデルが多かったのですが、1986年秋には、松下電器産業からパナソニックブランドで登場したFS-A1(29,800円)とソニーのHB-F1(32,800円)の発売により価格が大幅に下がりました。
 
 1988年には、VDPをV9938から上位互換のヤマハV9958へ変更したMSX2+規格が登場しました。
 画面モードに12,499色や19,268色を表示可能な自然画モードが追加されています。
 これらの色数は、ドット単位に好きな色を指定できるわけではなく、色差信号(R-Y),(G-Y),(B-Y)や輝度信号Yといったテレビの原理を利用し、YUV信号に近い形で処理することで多色を表現しているようです。
 MSX2に対して下記の画面モードが増えました。
 
 11) SCREEN10・11:グラフィック256×212ピクセル×2画面 固定12,499色(ドット単位の色指定不可)+512色中16色(ドット単位に色指定可能)
 ※ SCREEN10とSCREEN11の違いは、色コードの扱いの違いのようです。
 13) SCREEN12:グラフィック256×212ピクセル×2画面 固定19,268色(ドット単位の色指定不可)
 
 また、漢字ROMを標準装備し、FDD関連やFM音源といったオプションの規格も標準化されたようです。MSX2との差別化のためかFM音源を搭載した機種が多かったのですが、Panasonic FS-A1FXなどFM音源を搭載していない機種もありました。
 しかし、MSX2+に参入したメーカーは、松下電器産業、ソニー、三洋電機の3社のみです。
 
 1990年には、16ビットCPUアスキーR800を搭載したMSXturboR規格が登場します。このCPUは、RISCプロセッサでありながら、Z80との互換性があるという、特殊なCPUになっています。Z80の多くの命令を1クロックで実行できたようですが、高速すぎても互換性に問題をきたすため、結局、歴代MSX規格と同じZ80A相当のCPUを同時に載せないといけません。Z80Aを互換モード用に搭載(実際には、カスタムLSIなのでCPUが単体で搭載されているわけではありません)するなら、別にZ80互換の16ビットCPUを採用しなくても良かったのではないかと思います。MC68000やi80286といったCPUを採用したほうが魅力的なパソコンになったと個人的には思います。(1988年にメガドライブがMC68000とZ80を搭載して21,000円で発売していることや海外でもAmigaシリーズやAtari STシリーズも1980年代終盤には、600ドル未満のモデルが出ていたことを考えれば、低価格なホビーパソコンでも採用できたと思われます。また、1990年といえば、32ビットへの過渡期でした)
 ただ、高速モードで実行しても問題が起きないソフトを高速実行できるメリットはありました。(普通に起動するとturboR用に作られていないソフトはZ80で起動するので、高速モードで起動するには、高速モードでソフトを起動させるツールを使ったり、高速モードで再起動するコマンドを入力して起動させる必要があったようです)
 ちなみにこういったアプローチをしたMSXシリーズは、過去にも日本ビクターのMSX2「HC-95」がありました。CPUにZ80の高速版CPUである日立 HD64B180(HD64180のZ80B版CPUでクロックは6.14MHzだったようです。基本的にHD64A180は4MHz、HD64B180は6MHzで動作します)を別に搭載していて、ターボモードという高速モードへ切り替えて起動するとソフトが高速に動作するというものでした。
 また、VDPが当初搭載する予定だったV9990の開発が間に合わず、MSX2+と同じV9958だったことも問題だったと思います。(そのため、画面モードはMSX2+と同じです)
 この規格に参入したメーカーは、松下電器産業のみで1990年10月にFS-A1ST(87,800円)、1991年11月にFS-A1GT(99,800円)を発売しました。
 
 MSX規格のパソコンは、全世界累計で400万台以上販売されたようですが、複数の会社から発売されていることを考えれば、商業的には、それほど成功したとは言えないと思います。
 MSX2、MSX2+、MSXturboRと規格が進むにつれ、参入メーカーが減っていったこともそれを裏付けているのではないでしょうか。
 ちなみにMSXで一番儲けた参入メーカーは、東芝かヤマハだったのではないかと思います。
 東芝は、MSX-ENGINE(Z80A、TMS9918A、PSG、PPIをワンチップにしたもので、ROMやRAMといったメモリを接続するだけで初代規格のMSXパソコンとなります。MSX2用のMSX-ENGINE2も東芝が製造していました)というMSXの機能を統合したカスタムチップを製造し、他社へ供給していましたし、ヤマハも統合チップやVDPの供給を行っていました。
 後に低価格なMSXマシン等が発売されたのも、こういったカスタムチップの功績が大きいと思われます。また、MSX-ENGINEは、MSXパソコン以外の家電製品等の組み込み向けとしても採用されていたようです。

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MSX
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/MSX

バンダイ RX-78 GUNDAM - 1983年7月発売(59,800円)

 バンダイが発売したゲームパソコン。シャープとの共同開発だったようです。
 ロボットアニメ「機動戦士ガンダム」に登場するロボットの型式と名前を冠したゲームパソコンでしたが、本体のデザインはグレーと黒を基調としたもので、特にガンダムを意識したカラーリングやデザインではありませんでした。
 キーボードは、チクレットキーボードで、見た目は松下通信工業のJR-100やシンクレア・リサーチのZX Spectrumのような低価格パソコンといった趣ですが、意外とワープロソフトのような実用ソフトが揃っていたようです。
 テレビに接続可能でコンポジットビデオ端子とRF端子を持っていたようです。
 ゲームパソコンらしく、ROMカートリッジスロットも持っています。(スロットは2つ持っていたようです)
 
 RX-78のCPUは、シャープのLH0080A(Z80Aセカンドソース)4MHzです。RAMは、30KBでVRAM兼用です。
 ROMは、モニタ等に8KBでBASICは、カセットインタフェース付きカートリッジで同梱されていたようです。開発をシャープが行っていたためクリーンコンピュータだったのでしょうか。(ROMカートリッジを入れずに起動した場合は、IPLではなくマシン語モニタが起動したようです)
 このパソコンに付属していたBASIC(BS-BASIC)は、バンダイ(B)のS-BASICという意味なのか、Hu-BASIC系ではなくS-BASICの流れを汲んでいるようです。シャープでもMZシリーズの部署が開発に関わっていたからでしょう。
 表示能力は、テキストが30文字×23行、グラフィックが192×184ドットでドット単位に27色の指定が可能です。
 サウンドは、4オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
 
 このパソコンで面白いのは、3D処理に使う座標計算用のデータをROMに内蔵していて、疑似3Dのゴルフゲームなどで威力を発揮した点です。
 また、後に円谷プロの社長にもなる円谷英明氏が開発に関わっていたようです。(当時、バンダイに勤めていたとか)

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RX-78 (パソコン)
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/RX-78 (パソコン)

SEGA SC-3000 - 1983年7月発売(29,800円)

 SEGAがあの任天堂の白い悪魔(ファミリーコンピュータ)と同じ日(7月15日)に発売したゲームパソコンです。ボディカラーに黒・白・赤の3色が用意されていました。
 同日にRAMを2KB→1KBに減らし、キーボードをオミットしたSG-1000というゲーム機も発売しています。
 こちらは、モロにファミリーコンピュータとバッティングして、販売台数もファミコンに比べるとずっと少なかったわけですが、意外にもSEGAの予想より売れたため、SEGAが継続的に家庭用ゲーム機を開発するきっかけになったようです。
 当時は、今のように原価割れでゲーム機のハードを売ったりすることもないでしょうし、ソフト開発にかかるコストもずっと少なかったでしょうからね。一部のファンだけをターゲットにしていても商売になったのかもしれません。ちなみにSC-3000のSCは「Sega Computer」、SG-1000のSGは「Sega Game」の略のようです。
 
 SC-3000は、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、スペイン、イタリアなどの海外でも発売されており、オーストラリアではJohn Sands社、ニュージーランドではGRANDSTAND社、フランスではYENO社がOEMで販売していました。YENOは、後にエポック社のゲーム機「スーパーカセットビジョン」などもOEM販売したようです。
 
 SC-3000のCPUは、NECのμPD780C-1(Z80A互換)3.58MHzです。
 RAMは、2KB(SG-1000は1KB)でV-RAMが16KBです。
 ROMは、全てカートリッジで供給される仕様でした。
 VDPは、テキサスインスツルメンツ(TI)のTMS9918Aで表示能力は、テキストが40/32文字×24行、グラフィックが256×192ドットで15色(水平方向8ドット単位に2色)と16×16ドット15色中1色のスプライトを32枚(水平方向4枚まで)です。
 サウンド機能は、DCSG(SN76489)で4オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
 
 このパソコンは、モニタROMも持っておらず、全てROMカートリッジから起動する仕様だったようです。BASIC ROMも別売です。515バイトのRAMを搭載したBASIC-LEVEL II A~32KB RAMのBASIC-LEVEL III B、同じく32KBのRAMを搭載したホームベーシック(ROMのサイズが32KBを超えるためか、フリーエリアは約26KBだったようです)など5種類のBASICカートリッジが発売されました。(Bは、SG-1000シリーズ対応のカートリッジです)
 29,800円という価格は、他のゲームパソコンより安価だったわけですが、内蔵RAMが2KBで本体内にROMを持たず全てROMカートリッジで提供するというゲーム機のような仕様とBASIC ROMが別売だったことが大きいと思われます。本体内蔵のRAMは2KBしかありませんが、BASIC ROMには、RAMを内蔵していました。
 SC-3000は、チクレットキーボード(Wikipediaにはメンブレンキーボードとありますが、メンブレンスイッチを使っていても形状はチクレットキーボードだと思います)でしたが、キーボードをタイプライタ風に変更したSC-3000Hも33,800円で12月に発売されています。
 面白い周辺機器としては、64KB RAM、3インチFDD、セントロニクス準拠8ビットパラレルプリンタポート、RS-232Cシリアルポートを搭載し、DISK BASICを付属した拡張ユニット「スーパーコントロール・ステーション SF-7000」が79,800円で発売されています。
 
 ぴゅう太、SORD M5、RX-78、PV-2000など、この頃に登場したゲームパソコンは、任天堂のファミリーコンピュータよりもゲーム機としての性能が劣っていたため、ファミコンの隆盛と共に消えた印象があります。MSXは、統一規格ということもあり、それなりの勢力を持つことになりますが、このクラスのゲームパソコンは、MSXパソコン発売以降、下はファミコン、上はMSXとの競争に晒されました。

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SC-3000
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/SC-3000

三菱 MULTI8 - 1983年9月発売(123,000円)

 三菱電機が1983年に発売した8ビットホビーパソコンです。
 特徴が無いのが特徴という感じのパソコンですが、N-BASICで記録したカセットテープのプログラムを読み込めたらしいですね。カタログにも載っていない隠し機能だったようです。
 
 MULTI8のCPUは、Z80A互換CPUでクロックは、3.99MHz、メインRAMが64KB、グラフィックVRAMが48KB、テキストVRAMが4KB、ROMがBASICに32KB、文字定義に2KBです。
 表示能力は、テキストが80文字×25行~36×20行、グラフィックが640×200ドット8色1画面もしくは、モノクロ3画面です。
 サウンド機能は、矩形波3音+ノイズ1音です。
 また、面白い周辺機器として、M-BASICから制御することができる「MOVE MASTER RM-101」というロボットアームがあったようです。トミーのアームトロンや任天堂のファミリーコンピュータロボットに比べるとかなり本格的な印象のロボットアームでした。
 
 このクラスでは、標準的な性能のパソコンですが、過去のソフトウェア資産がないのにこの時期に発売したのが失敗だったと思います。もう一年早く発売されていれば、違った結果になったかもしれません。価格もFM-7と近いですし、X1シリーズでも低価格モデルのX1Cが近い時期に発売されましたからね。 他の御三家以外の会社と同様、三菱電機の8ビットパソコンは、MSX規格へ移行します。

サイト名 リンク
MULTI8
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/MULTI8

NEC PC-100 - 1983年10月発売(398,000円/448,000円/558,000円)

 おそらく、日本のパソコンで初めてGUI(グラフィカルユーザインターフェース)をサポートした機種です。
 アスキーの西氏の提案で日本版「Alto」(ゼロックスのパロアルト研究所で作られたGUI試作機、AppleのLisaやMacintoshに影響を与えた)を目指して開発されたようです。
 NECのパソコンですが、製造は京セラが行っていたようです。(開発にも京セラの子会社が関わっていたようです)
 京セラが関わったNECのパソコンと言えば、他にもPC-8201がありますが、良く言えば先進的、悪く言えば時代を先取りしすぎて売れなさそうな機種という点で似ています。ちなみにPC-100の開発コードは「TRON」(後のOSプロジェクトとは無関係)だったようです。
 
 PC-100のCPUは、Intel i8086セカンドソースのNEC μPD8086-2(7MHz)です。
 μPD8086-2は、8MHzで動作可能なのですが、メモリをノーウェイトで動作させるために7MHzにクロックダウンしているようです。基盤には、i8087(浮動小数点演算コプロセッサ)とi8089(I/Oプロセッサ)のソケットがあり増設可能だったようです。
 メインRAMは、128KBで最大768KBまで拡張可能です。
 ROMは、モニタやキャラクタ定義に32KBとJIS第1水準漢字ROMが搭載されていました。
 PC-100のテキストは、ビットマップ方式(テキストをグラフィック画面に直接表示する方式。テキストVRAMに表示する方式に比べて表示速度は落ちるが、ドット単位で表示位置を決めることができ、文字の修飾や変形等が容易となる。厳密にはVRAMへのデータ格納方式のことで現在のパソコンは全てこの方式です)でVRAM容量は、model 10とmodel 20は128KBで、model 30はオプションのカラーインタフェースボード(14万8000円)を標準装備して512KBでした。
 
 フロッピーディスクドライブ(FDD)は、5.25インチの2Dドライブで、360KBのMS-DOS FAT12フォーマットだったようです。(日本では、2DのFDは320KBのフォーマットが一般的でした)
 model 10がFDD1基、model 20/30がFDD2基搭載です。
 FDDを横に並べた筐体は、PC-9801Fに比べ約65%の容量になっているようです。
 同時期にPC-9801Fが2DD(640KB)のFDDを搭載していたことを考えれば、PC-100のようなハイエンドモデルで2D(しかも360KBと特殊な容量)というのはマイナスに作用したと思います。
 
 表示能力は、model 10と20は、モノクロで720×512ドット(VRAM上は1024×1024)、model 30では、512色中16色のカラー表示が可能で、model 10や20でもカラーインタフェースボードを増設することでカラー表示が可能です。
 また、ディスプレイを縦置きにすることも可能でした。専用ディスプレイのチルトスタンドに縦置き・横置きを検出する機械式スイッチが搭載されていて、自動的に横置きか縦置きかを判別しました。凝った機能ですが、解像度も含めて一般的なディスプレイを利用することができなかったことで購入者の幅を狭めてしまったかもしれません。
 サウンドは、周波数固定(2400Hz)のBEEP音のみです。
 
 OSは、マイクロソフトのMS-DOS Ver.2.01を標準で同梱しています。 MS-DOS上で動作するGUI環境のVISUAL COMMAND INTERFACE(VISUAL SHELL、通称:VSHELL)も付属しており、マウスオペレーションが可能でした。VSHELLは、マウスオペレーションでDOSコマンドを実行できるランチャーのようなもので、アプリケーションにGUI環境を提供するようなものではありませんでした。
 付属ソフトは、ジャストシステムのワープロソフトJS-WORD(一太郎の祖先)、マイクロソフトの表計算ソフトMultiplan、GW-BASIC、ゲームソフトのロードランナーなどが同梱されていたようです。
 当初の予定では、MS-DOS上でGUI環境を実現するWindowsを搭載するつもりだったようですが、開発が間に合わなかったため、個別のアプリケーションでGUI処理を行う方式となったようです。
 
 VRAM上で1024×1024ドットのビットマップ方式を採用し、GUIを実現した先進的なパソコンでしたが、同社の主力機PC-9801シリーズと競合してしまい、メーカーも本腰を入れなかったため商業的に失敗しました。PC-100は、半導体開発部門によって開発されましたが、PC-9801を開発した情報処理事業グループとの対立を回避するために半導体開発部門がパソコン開発から手を引いたようです。
 1983年の1月には、AppleからLisaが発売されていましたが、Macintoshはまだ登場していない時期にPC-100は発売されています。
 当時は、メモリの価格が高く、カラーでGUIを実現しようとすれば非常に高価になってしまいました。PC-100もmodel 30とカラーディスプレイで70万円を超える価格でした。プリンタ等も考えれば、100万円近くになったのではないかと思われます。
 
 PC-9801Fに対して高価に感じるPC-100(2DDのFDDを搭載し、カラー対応で定価398,000円のPC-9801Fに対してPC-100は、カラー対応だと558,000円でFDDは2Dだった)ですが、ワープロソフトや表計算ソフトなどが同梱されていた点などを考慮すれば、むしろ頑張った価格であったことが判ります。

サイト名 リンク
PC-100
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/PC-100

(米)Mattel Aquarius - 1983年6月発売($160)

 アメリカの玩具メーカーのマテル社(バービー人形で有名な会社のようです)が発売したゲームパソコンです。
 マテルは、1979年にIntellivisionというビデオゲーム機を発売しています。このゲーム機は、日本でも1982年に「インテレビジョン」という名前でバンダイが発売しています。
 しかし、AquariusとIntellivisionには、互換性はありません。(AquariusのCPUはZ80で、IntellivisionのCPUは、General InstrumentのCP1600という初期の16ビットCPUです)
 
 AquariusのCPUは、ザイログのZ80A(3.5MHz)です。メインRAMは、4KBで32KBまで拡張可能だったようです。ROMは、BASIC等に8KBで、ROMカートリッジスロットを持っていました。
 表示能力は、テキストが40文字×25行16色、グラフィックが80×72ドット16色です。
 サウンド機能は、矩形波1音ですが、オプションでGIのAY-3-8914が拡張カートリッジで提供されていたようです。
 キーボードは、チクレットキーボードでした。キーボード一体型の本体右側背部にROMカートリッジスロットがあり、このスロットは、モデム等周辺機器の拡張スロットとしても使用される設計だったようです。 また、Wikipediaによるとクイックディスクドライブがオプションで用意されていたようです。
 
 翌年の1984年には、キーボードがタイプライタ風になったMattel Aquarius 2が発売されています。
 Aquarius 2では、メインRAMが20KB、VRAMが2KB、ROMが12KBに拡張されています。

サイト名 リンク
Mattel Aquarius
(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Mattel_Aquarius

カシオ PV-2000 - 1983年10月発売(29,800円)

 カシオ計算機が1983年に発売したゲームパソコンです。愛称は「楽がき」。
 SEGA SC-3000と同じ価格で発売されていますが、BASICが別売のROMカートリッジで供給されていたSC-3000と違いBASIC ROMが内蔵されています。
 同時にゲーム機のPV-1000を発売した辺りもSC-3000に似ていますが、SG-1000と互換性のあったSC-3000とは違い、PV-1000とPV-2000には互換性がありませんでした。(ビデオチップが違ったようです)
 差別化の為かもしれませんが、ただでさえソフトの少ない新規参入姉妹機種同士で互換性が無いのはマイナスに作用したと思います。
 
 PV-2000のCPUは、NECのμPD780C-1(Z80A互換)3.58MHzです。メインRAMは、4KBでVRAMは、16KBです。ROMは、BASIC等に16KBとROMカートリッジスロットを持っています。
 ROMには、BASICの他、「楽がき」の由来と思われるお絵かきソフトのプログラム等が入っています。
 VDPは、テキサスインスツルメンツ(TI)のTMS9918Aで表示能力は、テキストが32文字×24行、グラフィックが256×192ドットで15色(水平方向8ドット単位に2色)と16×16ドット15色中1色のスプライトを32枚(水平方向4枚まで)です。
 サウンド機能は、DCSG(SN76489)で4オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
 また、PV-2000のキーボードはメンブレンキーボードでした。
 
 SEGAのSC-3000と比べると、メインRAMの容量が倍で、BASICやグラフィックツールのROMが内蔵されている点で、ハードウェアとしては、お得感があります。しかし、安っぽいメンブレンキーボードだったことや、PV-1000との互換性もなく、ソフト供給に乏しかったこともあってか、商業的に失敗し、1年程で販売が終了されます。
 この後、カシオのホビーパソコンは、MSX規格へ移行し、翌年の1984年には、PV-2000と同じ29,800円でPV-7というMSXマシンを発売しました。

サイト名 リンク
PV-2000
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/PV-2000

SONY SMC-777 - 1983年11月発売(148,000円)

 ソニーが1983年に発売したホビーパソコン。
 前年にSMC-70を発売したばかりでしたが、ホビーパソコンとしては高価だったため、ホビー向けパソコンとしては失敗しています。
 SMC-777は、キーボード一体型の本体で右部分に1DDの3.5インチFDDを一基搭載しています。Amstrad CPC 6128等と同じような方向性のデザインです。(SMC-777のほうが発売が早いですが)
 また、MSX規格のSONY製パソコンと同じHiTBiT(ヒットビット)のブランド名を使っていました。
 
 SMC-777のCPUは、NEC μPD780C-1(Z80A互換)4MHzです。RAMは、64KBでグラフィックVRAMが32KB、テキストVRAMが4KB、PCG定義用のRAMが2KBです。ROMは、IPL等に16KBです。
 表示能力は、テキストが80文字×25行8色、または40文字×25行8色2画面、グラフィックが640×200ドット4色、320×200ドット16色でオプションのカラーパレットボードを搭載すれば、4096色から色を選択できました。(同時発色数は変わりません)
 サウンド機能は、TIのSN76489(DCSG)を搭載しており、6オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。SMC-70との互換性のためSMC-70と同じ矩形波1音も搭載していました。
 
 添付ソフトも豊富でプログラミング言語は、BASIC(777 BASIC)の他に当時流行していたLOGO (DR LOGO) が同梱されており、簡易表計算ソフト(MEMO)やアセンブラ(777 ASSEMBLER)/デバッガ(777 DEBUGGER)、いくつかのゲームソフトも同梱されていました。
 CP/M Ver.1.4互換のシステムコールを持つSONY FILERというDOS上でそれらのソフトが使えるという、当時の8ビットホビーパソコンとしては珍しい本格的なコンピュータでした。当時のパソコンは、OSの代わりにBASICを使うというのが一般的でしたからね。CP/M等のDOSはオプションで高価だったため、標準でこういった環境を実現しているのは、高価なビジネス向けパソコンくらいでした。
 SONY FILER、DR LOGO、777 ASSEMBLER、777 DEBUGGERは、CP/Mのデジタルリサーチ社が開発したソフトのようです。
 
 グラフィックがSMC-70と同じく640×200ドット4色または320×200ドット16色で、当時一般的だった640×200ドット8色という画面モードが無かったため、他機種からの移植ソフトが少なかったようです。(何故かApple IIから移植されたゲームが多かったようです)
 フロッピーディスクドライブを搭載して定価15万円を切るパソコンだったのですが、FDDが当時はあまり主流ではなかった3.5インチだった(5.25インチに比べるとメディアがやや高価だった)こともあり、商業的には失敗しました。(フロッピーディスクドライブは2基あるほうが望ましい時代でした。メディアをコピーする時も楽ですし、ソフトもシステムディスクとユーザーディスクを入れたまま使えますからね) FDDが3.5インチだったのは、SONYが開発した規格だったので仕方がないと思います。(ちなみに3.5インチフロッピーディスクは、「90mmフレキシブルディスク」が正式名称だったようです)
 
 翌年の1984年4月にオプションだったカラーパレットボードを標準装備し、添付ソフトを増やしたSMC-777Cを168,000円で発売しました。
 追加された添付ソフトには、カミヤスタジオの「ラッサピアター(RASSAPIATOR)」(ラッパ、サックス、ピアノ、ギターから取った造語のようです)というDTM(DeskTop Music)ソフトがありました。ラッサピアターは、オルガンソフト(プリセットのオルガンで演奏させるソフトで音色を変更することはできないようです)のORANと自由に音を作れるシンセサイザーソフトのOSYNという2つのプログラムで構成されていたようです。
 他にもグラフィックエディタ(GraphicsEditor)というコマンドでグラフィックを描画するツールも追加されたようです。

サイト名 リンク
SMC-777
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/SMC-777

(英)Sinclair QL - 1984年1月発表(399ポンド)

 イギリスのシンクレア・リサーチ社が1984年に発売した16ビットパソコンです。
 QLは、Quantum Leap(量子跳躍)の略だそうです。
 かの、リーナス・トーバルズ氏もこの機種のユーザーだったという話は有名です。
 
 1981年にZX83のコード名で開発が開始された当初は、ビジネス向けポータブルコンピュータを想定していたようです。しかし、ポータブルコンピュータとするのは技術的に困難だったため、デスクトップパソコンとして発売する方向へ方針転換したようです。そのため、1983年に発売する予定が1984年となり、開発コードもZX83からZX84に変更されたようです。
 
 Sinclair QLのCPUは、モトローラのMC68008(7.5MHz)です。このCPUは、MC68000のアドレスバスを20ビット、外部データバスを8ビットにしたもので、i8086(アドレスバスから見るとi80286ですが、i80286は後発なので)に対するi8088のような廉価CPUです。メインRAMは、128KBで最大640KB(実は、896KBまで拡張可能)です。また、VRAMは、32KBです。ROMは、Sinclair QDOS(シアトル・コンピュータ・プロダクツの86-DOS/QDOSとは別のOSです)やBASIC等に48KBです。
 表示能力は、テキストが85文字×25行、64文字×25行、40文字×25行、グラフィックが512×256ドット4色、256×256ドット8色です。
 サウンド機能は、矩形波単音です。
 
 Sinclair QLは、ZXマイクロドライブという小型のループ型磁気テープカートリッジを外部記憶装置として採用しています。(ZX Spectrumの周辺機器として採用していたものです)
 キーボードと本体が一体型のパソコンで、本体右側に2基のZXマイクロドライブが搭載されています。
 
 それまでは、ワークステーションなどの高価なコンピュータにしか採用されていなかったモトローラのMC68000系プロセッサを採用し、ROMにSinclair QDOSというマルチタスクのOSを搭載、ワープロ、表計算、データベース等のオフィススイートがマイクロドライブ・カートリッジで同梱しているなど、かなり良さげに見えますが、発売を急いだために需要に対して生産が追い付かず、ROM内のソフトウェアにも多数のバグが見つかるなど、シンクレア・リサーチの信用を大きく傷つける結果となったようです。
 マイクロドライブも信頼性が低く、外部データバスが8ビットのCPUだったことや周辺LSIの速度などの問題で性能はあまり良くありませんでした。翌年には、コモドールのAmigaやAtari STなどが登場し、ヨーロッパ市場でも販売されたこともあり、Sinclair QLは、商業的に失敗します。
 この失敗は、シンクレア・リサーチがアムストラッドへ「シンクレア」ブランドを売却する一因となったようです。(同時期にフラットスクリーンの携帯テレビSinclair TV80や電気自動車のSinclair C5などの製品も失敗したようです)
 Sinclair QLは、もっと設計を煮詰めてから発売すれば良かったのではないかと思いますが、慌てて発売したという時点で既に会社が危なかったのかもしれませんね。(とはいえ、1981年から開発が始まっているので開発期間は十分だったとは思います。ビジネス向けポータブルコンピュータからの方針変更で開発が遅れたのでしょう)
 
 Sinclair QLは、ビジネス向けのポータブルコンピュータとして開発が始まっていることもあって、ビジネス志向の設計思想を持ちますが、このパソコンを実際に買うユーザー層とは仕様の齟齬があったのではないかと思います。
 因みにシンクレアでは、コードネーム「Loki」というZX Spectrumベース(7MHzのZ80Hを搭載)のホームコンピュータが開発されていましたが、シンクレアがアムストラッドに買収されたときに開発が中止されました。このプロジェクトのメンバーがフレアテクノロジー社を設立し、後にAtari Jaguarを開発することになります。
 デザイン的にもZX Spectrumの後継機に見える(本格的にビジネス志向とするなら、セパレート型の高級モデルにしたほうが良かったかもしれません)このパソコンの購買層は、ZX Spectrumのユーザーと同じホビー層でしたが、ホビーパソコンとしてみると、まともな音源が標準搭載されていないなど、ちぐはぐな印象です。
 また、外部記憶装置も変わったものを採用せずに普通にフロッピーディスクドライブ(FDD)を標準搭載したほうが良かったのではないかと思います。ビジネス志向なら、FDDを標準搭載し、オプションでZ80ボードを用意して、CP/Mが使えるようにしておいたほうが良かったでしょう。この辺りは、Commodore Plus/4の失敗と被りますね。どちらも独自のオフィススイートを同梱(Commodore Plus/4は、ROMにビルトイン)して中途半端にビジネス志向なところも似ています。

サイト名 リンク
Sinclair QL
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Sinclair_QL

(米)Apple Macintosh - 1984年1月発表($2,495/698,000円・日本では4月に発売)

 Appleは、1970年代の終わりに次世代製品開発のため、3つのプロジェクトをスタートします。
 
 1) Apple IIの後継機 → 「Sara」プロジェクト
 2) 技術的に妥協しない高性能機 → 「Lisa」プロジェクト
 3) 低価格なホームコンピュータ → 「Annie」プロジェクト
 
 この中で、三番目の「Annie」プロジェクトから誕生したのが、「Macintosh」です。
 
 当初は、モトローラの8bit CPU MC6809を使った低価格なホームコンピュータのようなものを開発するプロジェクトだったみたいですが、Lisaプロジェクトの開発現場から締め出されたジョブズ氏の意向により、Lisaの廉価版的なパソコンへ仕様変更されます。もし、ジョブズ氏がLisaの開発チームと衝突せずにこのプロジェクトが当初の予定通りだったら、TRS-80 Color Computerのようなハード構成のパソコンがAppleから登場していたかもしれません。
 このような経緯のため、Macintoshは、Lisaの技術を受け継いではいますが、Lisaの後継機ではありません。
 
 Macintoshの開発には、Apple I/IIの開発者スティーブ・ウォズニアック氏はあまり関わっていません。
 初期の「Annie」プロジェクトには、パートタイムでハード設計の手伝いをしていたようですが、丁度この頃、ウォズニアック氏は、自身が操縦していた軽飛行機で事故を起こし、休職してしまったためです。
 また、プロジェクトリーダーだったジェフ・ラスキン氏は、ジョブズ氏と衝突しアップルを退社してしまいました。ラスキン氏は、曖昧なアイコンを使ったコストがかかるグラフィカルユーザーインタフェース(GUI)よりも簡素で優れたユーザーインタフェースがあるという主張の持ち主だったので、MacintoshにGUIを使うことに反対していたようです。
 Appleを退社したラスキン氏は、インフォメーション・アプライアンス社を設立し、ラスキン氏がMacintoshで採用しようと考えていた概念に基づいてSwyftCardを開発しました。これは、AppleIIに拡張ボードを差して利用するものでしたが、後にSwyftというラップトップコンピュータを開発しました。
 Swyftのインタフェースは1987年にキヤノンから発売されたデスクトップパソコン「キヤノン・キャット」にも採用されています。LEAPキーと呼ばれるキーと組み合わせてキーボードでショートカット的な操作を行うテキスト・ユーザー・インタフェースのようです。(興味のある方は、下記URLにあるLeap Technologyの動画を参照してください)パッと見た感じでは、ワープロの変換・無変換キーのように見えますね。具体的には、ワープロをベースにした統合ソフトのようなインタフェースだったようです。
 ちなみにMacintoshという名前を付けたのもラスキン氏です。ラスキン氏の好きなリンゴの品種(McIntosh:カナダの農夫John McIntoshによって発見された)から取ったと言われています。綴りが違うのは、既にオーディオメーカーのMcIntosh Laboratoryが存在したため、Macintoshに変更したようです。
 ちなみにラスキン氏は、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)でコンピュータ・サイエンスの助教授をしていたのですが、大学を辞めた後に独立して仕事でApple Iの取材をしたときにマニュアルを書いてほしいとジョブズ氏たちに頼まれました。その後、マニュアル制作を手がけるBannister and Curn社を1976年に設立しましたが1978年には会社ごとアップルコンピュータに買収されました。
 
 初代Macintosh(Macintosh 128K)のCPUは、モトローラのMC68000(8MHz)です。Lisaも同じCPUでしたが、1年遅く発売されたためかMacintoshのほうが動作クロックは高速になっています。
 しかし、メモリは128KBとLisaの1/8となっています。当時のメモリは高価だったので、コストを抑えるために128KBに抑えられたのでしょう。ジョブズ氏がLisaプロジェクトから締め出されたのもパロアルト研究所でAltoを見て、Altoのようなパソコンを普及させたいという思いがあったためと言われています。
 Lisaのように高価(当時の通貨レートで200万円以上)なパソコンでは普及させることはできないためです。
 OSは、ToolboxというBIOSとAPIに相当する64KBのROMが用意され、GUI環境を含めSystemと呼ばれていました。(現在ではClassic Mac OSのSystem 1.0と呼ばれています)
 
 同年の1984年9月には、メモリを512KBへ増設したMacintosh 512Kが発売されました。
 メモリが増えているだけで、実質的には同じ製品でした。「Fat Mac」の愛称で親しまれたようです。
 日本でも1985年に代理店のキヤノン販売がMacintosh 512Kに漢字ROMを搭載し、日本語入力FEPを同梱したDynaMac(ダイナマック)を発売しました。
 1986年には、Macintosh 512KのFDDを2DD(800KB)にしたMacintosh 512Keとメモリ1MBのMacintosh Plusが発売されました。
 Macintosh 512Keは、FDDの他にもROM容量が128KBに増量されHDDへの対応などシステム面でも強化されています。
 Macintosh Plusは、メモリを1MBに増量した以外にもSCSIポートを標準搭載しています。
 1987年に登場したMacintosh SEは、デザインがfrog design社のものに変更され、FDDを2基もしくは、FDD1基+HDDを搭載可能でした。また、この機種からADB(Apple Desktop Bus)コネクタが採用されています。

サイト名 リンク
Macintosh
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Macintosh
Leap Technology
(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=o_TlE_U_X3c

日立 MB-S1 - 1984年5月発売(MB-S1/10 - 128,000円、MB-S1/20 - 178,000円)

 1984年に日立がベーシックマスターシリーズの新機種として発売したパソコンです。
 モトローラのMC6829(MMU)ではなく、独自のメモリコントローラーを搭載し、1MBのメモリ空間へアクセスできる(実際に増設が可能なメインRAMは、512KBまで)という8ビットホビーパソコンとは思えない設計で、グラフィック等の速度も高速だったようです。ワイヤーフレームのグラフィックで描かれた馬が印象的でしたね。
 S1は、究極の8ビットパソコンと言っても良い機種でしたが、1984年に発売されたパソコンとしては、ユーザーに対する訴求力に欠けたパソコンだったように思います。例えば、一番安いモデル(MB-S1/10)は、128,000円でしたが、メインメモリが48KBしか搭載されていません。(S1は、VRAMをフリーエリアとして使える機能がありました)PC-6001mkIIやMZ-700といったエントリーレベルのパソコンでも64KBが当たり前の時代だったので、カタログスペックで見劣りしてしまいます。むしろ多少高価になったとしても128KBくらい標準で載せて発売したほうがインパクトがあったのではないかと思われます。ただでさえ、過去のソフトウェア資産が少ないマイナー機の後継機なわけですし。そういった意味では、ベーシックマスターレベル3での失敗がここでも影響していると言えるかもしれません。
 1985年に発売されたMB-S1/10AVは、FDD無し、RAM48KB、VRAM48KB、スーパーインポーズ機能搭載で178,000円でしたが、同年に発売されているシャープのX1 turbo IIやNECのPC-8801mkIIFRならFDDが2基搭載されて同じ価格の178,000円でした。特にX1 turboシリーズは、96KBのVRAMを持ち、640×400ドット8色のグラフィックと漢字VRAMを持っていましたから、ユーザーから見れば、X1 turbo IIのほうがお買い得に見えるでしょう。富士通のFM77AVもこの時期に158,000円でFDD2基搭載、320×200ドット4096色表示可能で発売されていますからね。
 また、丁度16ビット機への移行が模索されていた時期だったというのもタイミングが悪かったですね。
 オプションを満載にした上位モデルは、16ビット機並の価格でした。
 例えば、1985年に発売されたMB-S1/45は、FDD2基に漢字ROM、通信ソフト搭載で298,000円でしたが、1985年に298,000円という定価は、PC-9801U2と同じ価格ですから、いくら性能が良くても8ビット機としては価格が高かったと思います。
 
 S1のCPUは、日立HD68B09E(MC68B09E互換)の2MHzで、メインRAMが48KB(最大512KBまで拡張可能)、テキストVRAMが4KB、グラフィックVRAMが48KB、PCG定義用RAMが6KB、ROMは、モニタとBASICに64KB、レベル3互換BASICに24KB、キャラクタ定義に8KBです。MB-S1/20には、MB-S1/10ではオプションのJIS第1水準漢字ROMカード(カナ漢字変換ROMも搭載)が標準搭載されています。
 表示能力は、テキストが80/40文字×25行8色、グラフィックが640×200ドットで15色中8色、320×200ドットで15色中8色2画面、BASICでのサポートはありませんでしたが、640×400ドットのモノクロ画面モードもあったようです。
 サウンド機能は、PSG音源(GI AY-3-8910)で8オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
 
 1984年5月に発売されたモデルは、基本モデルのMB-S1/10とJIS第1水準漢字ROMカードを搭載したMB-S1/20です。キーボード分離のセパレートタイプでFDDなどの外部記憶装置も内蔵されていませんでした。
 同年の12月には、FDDを1基搭載したMB-S1/30が198,000円、FDDを2基とJIS第1水準漢字ROMカードを搭載したMB-S1/40が298,000円で発売されています。
 1985年には、MB-S1/10にスーパーインポーズ機能とPSG音源をもう一つ追加して6和音発声可能でジョイスティックポートを搭載したMB-S1/10AVが178,000円、MB-S1/10に通信ソフトを搭載したMB-S1/15が148,000円、MB-S1/40に通信ソフトを搭載したMB-S1/45が298,000円で発売されています。
 MB-S1/10AVのPSG音源を2つ搭載して6和音にする手法は、パソピア7やMZ-1500などと同じですが、1984年末頃から、FM音源を標準搭載したNECのSRシリーズが登場していますから、1985年にPSG×2という構成は、特にインパクトは無かったと思われます。
 
 また、1985年には、OEMで来夢来人(Limelight Interfield Systems) JB-806E1というMB-S1の互換機が発売されていたようです。5インチ2DのFDDを1基とカセットテープデータレコーダを搭載しています。ROM BASICやイメージジェネレーター(PCG)が搭載されていないようで、ベーシックマスターレベル3との互換モードも無いようです。ちなみにこの機種は、「The Computer Chronicles」というアメリカの番組の日本のパソコンを紹介する回に出てます。「COMDEX in Japan '85」の会場でカセットレコーダーにテープを入れて音声を再生しながら、デモが流れるところなどが映っています。「The Computer Chronicles Japanese PCs」などのキーワードで検索すれば動画が見つかりますので、興味のある方は探してみてください。

サイト名 リンク
MB-S1
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/S1

富士通 FM-77 - 1984年5月発売(198,000円/228,000円)

 FM-77は、FM-NEW7と同じ1984年5月に発売されたFM-7の上位機種です。
 FM-8/7/11の正式名称は、FUJITSU MICRO 8/7/11でしたが、FM-77は、FUJITSU MICRO 77ではありません。(FMは、FUJITSU MICROの略だと思いますが)
 FM-8の上位機種FM-11がFM-8との互換性が低かったのに比べてFM-77は、FM-7との互換性が高く設計されています。
 筐体はFM-11と同様にキーボード分離のセパレート型ですが、フロッピーディスクドライブ(FDD)は、3.5インチで横並びの配置となっています。
 ラインナップは、3.5インチ2Dドライブが1基搭載されたFM-77D1(198,000円)と2基搭載されたFM-77D2(228,000円)で、違いはFDDの搭載数だけです。
 
 CPUは、メインに富士通 MBL68B09(MC68B09)2MHz、FM-7シリーズと同じく画面制御用にも富士通 MBL68B09(MC68B09)2MHzを搭載しています。
 RAMは、メインRAMが64KBでVRAMが48KB、メインCPUとサブCPUの通信用の共有メモリ等が5KBです。
 メモリ・マネージメント・レジスタ(MMR)を搭載しており、メインメモリを最大で256KBまで増設可能ですが、MMR使用時にはCPUのクロックが1.6MHzに低下しました。
 ROMは、IPLに4KB、F-BASICに32KB、サブシステムモニタに8KB、キャラクタ定義等に2KB、JIS第1水準漢字ROMに128KBです。
 表示能力は、テキストが80または40文字×25または20行8色、グラフィックが640×200ドット8色(もしくはモノクロ3画面)です。
 専用オプションの400ラインセットに含まれる400ラインカードを装着することで640×400ドット16色中2色(要専用モニタ)の画面モードが追加されます。(他の画面モードでも表示色が16色中8色がサポートされます)400ラインカードは、VRAM容量が増えるわけではなく、PC-8801に搭載されていたような漢字表示向けの640×400ドットの画面モードが追加されるだけです。
 99,800円で発売された400ラインセットには、400ラインカードと192KBの増設RAM、漢字BASICのF-BASIC Ver.3.5、日本語ワープロ(FM-JWP/77)が同梱されています。(後に付属の増設RAMが64KBとなり、日本語ワープロが削除された400ラインセットIIが49,800円で発売されました)
 FM-77は、サイクルスチール方式を導入していますが、FM-7との互換性のため機能をOFFにできました。
 サウンド機能は、矩形波3音(8オクターブ)+ノイズ1音のPSG(AY-3-8910)を標準搭載しています。
 当時、教育用として注目されていた、プログラミング言語LOGO(FM Logo)が付属していたようです。
 
 1985年2月には、640×400ドットの表示モードを標準搭載したFM-77L4が238,000円で発売されました。FM-77D2に400ラインセットIIを搭載したような機種で標準RAMが128KBとなり、漢字BASICのF-BASIC Ver.3.5が付属し、テキストやグラフィックの表示色が8色から16色中8色にグレードアップしています。
 同年5月にFM-77D2と同等のスペックでFM音源と外付けスピーカー、ジョイスティックを付属したFM-77L2が193,000円で発売されました。FM音源は、NECのSR系と同じYAMAHA YM2203(OPN)でFM音源3音+SSG(矩形波3音、ノイズ1音)です。FM-77D2にFM音源カード(ジョイスティック端子、スピーカー、ジョイスティック付)を搭載したような機種なので、PSG(AY-3-8910)もそのまま搭載されています。そのFM音源カード「MB22459」(18,000円)をFM-77D2に搭載するとFM-77L2と同スペックにアップグレードできます。
 
 FM-77は、FM-7をキーボード分離のセパレート型にして3.5インチFDDと漢字ROMを内蔵し、MMRで大容量メモリに対応し、オプションで640×400ドットの表示に対応した機種です。
 FM-7では、5.25インチのFDDが主流だったのですが、FM-77では、3.5インチに変更されています。FM-7であまりFDDが普及していなかったためか、比較的すんなり3.5インチに移行できたようですが、ユーザーの視点で見れば、メディアが安い5.25インチのほうが良かっただろうと思います。
 本体価格を下げるためにドライブ価格の安い3.5インチFDDが採用されたのではないかと思われます。FM-77の高いコストパフォーマンスは、3.5インチFDDを採用しているということもあるのです。
 FM-77シリーズは、1985年中にAV機能を強化したFM77AVシリーズへ移行します。

サイト名 リンク
FM-77
(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/FM-77

Commodore TEDシリーズ - 1984年6月発売(Plus/4 - 299ドル、C16 - 99ドル、C116 - 【予定49ドル】)

 Commodore Plus/4(以下、Plus/4)・Commodore 16(以下、C16)・Commodore 116(以下、C116)は、コモドール社が1984年に発売したTEDチップを搭載したホームコンピュータシリーズです。

 元々は、シンクレア・リサーチ社(タイメックス・シンクレア社)のホームコンピュータと競合する低価格なホームコンピュータシリーズとして開発されていたようです。C116、C232、C264、C364(それぞれ、メモリが16KB、32KB、64KBでC364にはテンキーと合成音声機能が搭載される予定)といったラインナップがあり、49ドル~79ドルの価格で販売し、上位モデルは、スモールビジネス向けに開発される予定だったようで、ビルドインのソフトウェアを顧客からの注文に応じてROMを内部のソケットに差す形で提供する計画だったようです。ゲーム目的のホームコンピュータとして考えられていないため、スプライト機能や高度なサウンド機能は搭載されていません。
 しかし、この構想を考えたジャック・トラミエル氏がコモドール社から居なくなってしまったため、C264をベースにCommodore 64(以下、C64)と競合する価格のPlus/4が開発されました。更にCommodore VIC-20(以下、VIC-20)の後継機としてブレッドビン型のケースに入れられたC16が開発されたそうです。C16が開発されたことで、チクレットキーボードを搭載したエントリーモデルのC116はドイツと東ヨーロッパの一部の国でのみ販売されることになりました。
 余談ですが、当時のヨーロッパ市場ではキーボードにはそれほどこだわりがなく、とにかく安いことが重要だったようです。アメリカでは、低価格なパソコンでもチクレットキーボードは敬遠される傾向にありました。日本の場合は、もっと顕著でチクレットキーボードどころかキーボード一体型よりもセパレート型が好まれた印象です。例えば、1985年1月に発売されたNECのキーボード一体型パソコンPC-8001mkIISRとセパレート型のPC-8801mkIISRでは、安価な一体型のPC-8001mkIISRは敬遠され、セパレート型であるPC-8801mkIISRのほうに人気が集中しました。また、1990年に発売されたEPSONのPC-286C(PC-CLUB)は、20万円を大幅に切る低価格な98互換機でしたが、キーボード一体型だったため敬遠され、思ったより売れなかったようです。

 このシリーズの中核は、TED(TExt Display)というグラフィックやサウンドを司るカスタムチップで機能的には、VIC-1001(VIC-20)に搭載されていたVICの後継と考えても良いでしょう。
 TEDには、40文字×25行のテキスト表示と320×200ドット~160×160ドットのグラフィック(縦160ドットのときは、5行のテキスト表示が追加で可能)の表示能力と4オクターブ矩形波2音、または、4オクターブ矩形波単音+ノイズの音源出力、ジョイスティックのスキャンやインターバルタイマーといった機能が含まれます。
 グラフィック専用のVIC-IIとサウンド専用のSIDを搭載していたC64に比べるとゲーム向けの性能ではありませんでしたが、高速なCPUと使える色が多く静止画ではC64より明らかに綺麗なグラフィックを表示できました。テキスト・ディスプレイという名前の通り、テキスト表示に重点が置かれており、シンクレア・リサーチ社のホームコンピュータをターゲットに開発されていたということなので、価格的にZX81(TS1000/TS1500)がC116のターゲットだったと考えられます。

 CPUは、MOS6510を改良したMOS7501/8501(7501と8501の違いは製造プロセスが若干違うだけのようです)でクロック周波数は、1.76MHz(または0.89MHz)とC64よりも高速なCPUが搭載されています。
 RAMは、C16とC116が16KBでPlus/4が64KBです。
 ROMは、C16とC116が32KBでPlus/4が64KBです。(Plus/4には、ビルトインのオフィスソフトが含まれます)
 表示能力は、TEDの機能でテキストが40文字×25行で標準、拡張カラー、マルチカラーの 3 つのテキスト モードがあります。グラフィックは、320×200ドット~160×160ドット・121 色(MSX2+のようにテレビの原理を利用した方式です)です。C64にはあったハードウェアスプライト機能はありません。
 サウンド機能は、TEDの機能で矩形波2音(4オクターブ)+ノイズ1音です。VIC-1001の矩形波3音(3オクターブ)+ノイズ1音よりもチャンネル数が少ないため退化していると言っても良いでしょう。

 BASICの機能は、C64に比べて強化されており、従来はPOKE文で直接ハードウェアを叩かなければいけなかった機能がBASICステートメントとして追加されています。
 更にPlus/4には、3-PLUS-1というアプリケーションソフトがROMで搭載されていました。
 WORD PROCESSING(ワープロソフト)、SPREAD SHEETS(表計算ソフト)、GRAPHICS(グラフィックソフト)、DATA MANAGEMENT(データベースソフト)の4本のソフトウェアが搭載されています。BASICからコマンドを入力する(F1キーにコマンドが登録されていた)ことで起動したようです。

 TED搭載機は1年ほどで生産が中止され、1985年にはC64と互換性のあるCommodore 128が登場しました。
 失敗の原因は、いろいろあると思いますが、この時期に16KBのRAMでは厳しかったことも原因の一つだと思われます。Plus/4は、64KBのRAMを搭載していますが、低価格なC16のほうが売れていたためPlus/4専用にソフトが作られることは少なくハードの販売を牽引するようなキラータイトルが不足していたのではないかと思います。
 また、各種接続端子がC64と互換性が無かった点も問題だったようです。C64はVIC-20と互換性のあるデータレコーダ端子、モデム端子(シリアルポート)、ジョイスティック端子を持っていましたが、TEDシリーズでは、これらすべてが新しい形状の端子に変更されてしまいました。
 しかし、TED搭載機全体で100万台程度が出荷されたようです。当時の日本のパソコンの販売台数から見れば、かなり売れたように思えますが、薄利多売のコモドール製品なのに売れ残ったPlus/4を100ドル未満でディスカウントしていたようなので、利益はあまり出なかったのではないかと思われます。
 C64が圧倒的に強かったアメリカ市場よりもヨーロッパのほうが売れたようです。この辺りは、PC/AT互換機が強いアメリカ市場よりもヨーロッパ市場で成功したAmigaシリーズやAtari STシリーズと似た傾向ですね。
 100ドル未満で販売されていた他社の低価格エントリーパソコンも揃って失敗しているので、1980年代半ば以降は低スペックで低価格なパソコンの需要があまり無かったのでしょう。

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コモドール16
(Wikipedia)
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シャープ MZ-1500 - 1984年6月発売(89,800円)

 シャープがMZ-700の後継機として発売したホビーパソコンです。MZ-700とほぼ完全な互換性を持っていました。基本設計は、MZ-700と同じでした。MZ-700にPCGやサウンド機能、クイックディスクを搭載した機種がMZ-1500です。MZ-700にもオプションでクイックディスクドライブがありましたし、サードパーティからPCGボードが発売されていました。(MZ-1500のPCG機能とは互換性がありません)
 MZ-1500は、クイックディスクドライブを標準装備しているのが特徴です。
 クイックディスクは、ファミコンのディスクシステムでも採用されたことで有名ですが、メディアのトラックが同心円状に複数存在するフロッピーディスクとは違い、渦巻き状に1本のトラックがあるだけです。容量は、片面64KBで両面では128KBですが、カセットテープのように裏返して反対側の64KBを使う仕様です。
 1本のトラックを一気に読み書きする仕様なので、ランダムアクセスではなくシーケンシャルアクセスとなります。
 アクセス時間は、片面が約8秒ですが、書き込む場合は、一度空き領域を調べるために倍の時間がかかるようです。
 この当時、一般的だった2Dのフロッピーディスク(約320KB)に比べると低容量ですが、ドライブやメディアの価格は安かったようです。
 また、クイックディスクは、MZ-700/2000/2200、MSXなどでもオプションでドライブが発売されていました。
 MZ-1500には、オプションで64KBのディスクキャッシュが用意されていました。これを使うことで擬似的にランダムアクセスが可能だったようです。
 
 MZ-1500のCPUは、シャープ LH0080A(Z80A)3.58MHzです。メインRAMは、64KBでテキストVRAMが4KB、PCG定義用RAMが24KBです。ROMは、モニタ等に12KB、キャラクタ定義に4KBです。
 表示能力は、テキストが40文字×25行8色です。グラフィックRAMを持っていませんが、ドット当たり8色を指定可能なPCGを1024文字定義できるので、PCGを使った320×200ドット8色相当の疑似グラフィックを表示可能です。MZ-1500では、MZ-80K系と互換性のあるテキスト画面以外にPCG専用のテキスト画面がありました。
 サウンド能力は、TIのSN76489(DCSG)を2個搭載しており、6オクターブの矩形波6音+ノイズ2音で、DCSGチップを左右に振り分けてステレオ出力が可能でした。
 
 グラフィックRAMを持たずにテキストとPCGを組み合わせるという設計思想は、非常に面白いと思いますが、やはり、当時のパソコンでは640×200ドット8色というのが一つのスタンダードだったため、それが表現できないのは問題だったのではないでしょうか。
 例えば、640×200ドットを基準に作ったアドベンチャーゲームなどが移植しづらいのは問題です。(この時期のホビーパソコン市場では、アドベンチャーゲームがブームでした)
 また、MZ-1500のPCG定義を倍にすれば48KBのRAMが必要なので、それなら素直にグラフィックに48KBのVRAMを搭載したほうが良いようにも思えます。
 
 クイックディスクの採用も面白いのですが、やはり、当時のホビーパソコンの記録メディアのスタンダードはカセットテープか5インチフロッピーディスクだったため、ユーザーは中途半端に感じました。マイナーなメディアは、後でブランクメディアを購入するのにも苦労しますからね。
 1984年発売というのも少し遅すぎた感があります。勿論、MZ-700の時にこれだけのパソコンを10万円以下の価格帯で発売するのは難しいでしょうけど。
 この価格帯のパソコンは、少し足せばFM-7シリーズやX1シリーズに手が届くため、中途半端な性能では生き残れません。しかも、1984年といえば下の価格帯には既に統一規格のMSXがありましたからね。
 結局、MZ-1500は、MZ-80K系のMZシリーズ最後のパソコンとなってしまいました。

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MZ-1500
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(英)Amstrad CPC 464 - 1984年6月発売(グリーンモニタ付モデル:199ポンド/カラーモニタ付モデル:299ポンド)

 イギリスの家電メーカー(主に無線機やオーディオカセットデッキ・アンプ等のオーディオ製品を販売していたようです)アムストラッド社が1984年に発売した家庭用ホビーパソコンです。
 CPCは、Color Personal Computerの略ですが、グリーンディスプレイとセットになったモデル(199ポンド)とカラーディスプレイとセットになったモデル(299ポンド)がありました。
 Amstrad CPC 464は、カセットレコーダも本体右側に内蔵しています。MZ-80シリーズのようにディスプレイまでは一体になっていませんが、本体(キーボード含む)、ディスプレイ、データレコーダがセットになっている点は、初期のシャープのMZシリーズやコモドールPETシリーズ、TRS-80 model I(599ドルのパッケージでモニタとカセットレコーダーをセットで販売していた)などと同じ方向性だと思います。
 このようなセット販売的な販売形態は、1984年発売のパソコンでは珍しいパターンだったのではないでしょうか。
 少なくとも日本では、1984年頃にこういった形態で販売されていたホビーパソコンは無かったと思います。
 
 Amstrad CPC 464のCPUは、ザイログのZ80A(4MHz)です。メインRAMは、64KBでVRAMは、16KBです。ROMは、BASIC等に32KBです。
 表示能力は、テキストが80文字×25行2色~20文字×25行16色、グラフィックが640×200ドット2色、320×200ドット4色、160×200ドット16色です。
 サウンド機能は、PSG(GI AY-3-8912)で8オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
 
 1985年5月には、本体右側に3インチフロッピーディスクドライブを内蔵したCPC 664が発売されました。価格は、グリーンディスプレイとのセットが339ポンド、カラーディスプレイとのセットが449ポンドだったようです。
 FDDを標準装備したため、CP/Mが使える低価格なパソコンとなりましたが、後述するCPC 6128の登場により1985年中に生産が停止されたようです。
 1985年8月には、CPC 664のRAMを128KBにして、本体のデザインを若干変更したCPC 6128が登場します。
 このパソコンは、当初はアメリカ向けのモデルだったようで、ヨーロッパでも販売することが決まり、CPC664の販売を停止したようです。
 価格は、グリーンディスプレイとのセットが699ドル(イギリスでは299ポンド)、カラーディスプレイとのセットが799ドル(イギリスでは399ポンド)だったようです。
 1990年の9月には、464plusと6128plusが発売されました。(機種名からCPCの文字が無くなりました)
 白いモダンなケースデザインとなり、464plusはデータレコーダが、6128plusには3インチFDDが搭載されています。メモリ容量は、464plusが64KB、6128plusが128KBです。464の4がカセットで64がメモリ容量、6128の6はFDで128がメモリ容量というネーミングのようです。(最初の数字はメディアの種類でそれにメモリ容量の数字を付けている)
 また、同時期にGX4000というゲーム機を99.99ポンドで発売しています。GX4000は、464plusと互換性がありますが、グラフィックが若干強化されていたようです。
 Commodore 64 Games SystemやAtari XE Video Game Systemなど、8ビットホビーパソコンからキーボードを取り払ってゲーム機化した製品がいくつか出ていますが、いずれも失敗しています。
 失敗の原因は、いろいろあると思いますが、カセットテープ版のソフトをROMカートリッジにして発売することの敷居が高いことも原因の一つと考えられます。ROMカートリッジ化することでコストがかかるので、ソフトの価格も上がりますし、それを買うユーザーがどれだけ居るか疑問なため、ソフトウェア開発会社も参入に尻込みをします。
 また、最初からROMカートリッジで供給されていたソフトでもキーボードがあることを前提にしていたソフトが動かないケースもあります。ゲームを開始する時にHit Space keyみたいな表示が出る場合、スペースキーが無いとゲームが開始できません。Amstrad CPCシリーズにはROMカートリッジスロットが無かったため、そういった問題は起きませんでしたが、GX4000もCommodore 64 Games SystemやAtari XE Video Game Systemと同様に商業的に失敗しました。
 また、アムストラッドは、テラドライブのようなIBM PC/AT互換機にメガドライブを合体させたパソコンAmstrad Mega PCを1993年に発売しています。その後、後継機のAmstrad Mega Plusを発表しましたが、これ以降はゲーム機市場から撤退しました。

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Amstrad CPC
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シャープ X1turbo - 1984年10月発売(168,000円~278,000円)

 X1シリーズの上位機種として発売された8ビットパソコンです。
 X1シリーズとの互換性は、ユーザーが意識することなく切り替えが行われる完全な上位互換が実現されていました。X1シリーズからの追加機能は、グラフィックVRAMを48KBから倍の96KBへ拡張され、640×400ドット8色という当時は16ビット機ぐらいしか持っていなかった画面モードが追加されました。400ラインモードでは、水平同期周波数が200ライン時の15kHzから24kHzになるため、X1用の15kHzのモニタでは表示できず、24kHzに対応したモニタが必要になりました。turbo専用のモニタは、マルチスキャンで24kHz時にはハイレゾモードのランプが点灯します。また、漢字VRAMを装備しており、40×25行の高速漢字表示を実現しています。型番は、X1シリーズがCZ-800Cから始まっているのに対して、X1turboシリーズは、CZ-850Cから始まっています。
 X1turboは、データレコーダを内蔵したモデル10(CZ-850C)が168,000円、5インチフロッピーディスクドライブ(FDD)を1台内蔵したモデル20(CZ-851C)が248,000円、2台内蔵したモデル30(CZ-852C)が278,000円で発売されました。
 
 X1turboのCPUは、シャープ LH0080A(Z80A)4MHzで、X1と同じです。メインRAMも同じ64KBでグラフィックVRAMが96KB(モデル10は、標準では48KBです)とX1シリーズの倍になっています。テキストVRAMは、漢字対応で6KBです。PCG定義用RAMも6KBです。ROMはBIOS(X1ではIOCSと呼ばれていましたが、ROMではなくIPLから読み込まれるものでした)に32KBです。(カナ漢字変換ROM等を含む)キャラクタ定義ROMに8KBとJIS第1水準漢字ROMの128KBが標準で搭載されています。
 表示能力は、80文字×25行~40文字×10行まで複数のモードがあります。グラフィックは、640×400ドット8色1画面(またはモノクロ3画面)、640×200ドット8色2画面(またはモノクロ6画面)、320×200ドット3画面(またはモノクロ12画面)です。また、PCGなどへのアクセスが垂直帰線期間にしか行えなかったのを水平帰線期間できるようになっています。
 
 実は、私もX1turboシリーズのユーザーでした。初代X1にフロッピーディスクドライブ(FDD)を購入しようとしていたところに低価格のturbo IIが発売されたため、FDDの代わりに購入しました。ディスプレイは、初代X1のものをそのまま利用したので、400ラインの表示はできない状態で使っていましたが、1987年にX68000が発売されたため、いずれX68000を買うことを考えてCZ-600Dを購入し、turbo IIに接続して使いました。X68000を買えるようになった頃には、NECのPC-98シリーズが主流となっており、そちらを購入してしまったため、結局、X68000を買うことはありませんでした。それまでにも学生時代に中古のPC-9801VX21を買いましたが、社会人になり、車のローンが終わった後にレーザープリンタ等を含めると80万円くらいのローンを組んでPC-9821Xa7を買ったのですが、どうせならX68030を買っておけば良かったのではないかと今更ながらに後悔しています。
 X1 turboシリーズには、turbo CP/M(漢字対応)やC言語などのソフトがあり、私も使っていました。(当時のコンパイラは、大したプログラムじゃなくてもコンパイルに凄く時間が掛かりました)turbo CP/Mは手元にマニュアル等が残っているのですが、X1 turbo II本体が行方不明です。初代X1やディスプレイのCZ-600Dは物置部屋にありましたが、X1 turbo IIの本体は何処に置いてあるか分からないんですよね。捨てた記憶は無いのですが・・・。
 
 1985年の7月には、テレビ制御等の機能を削除してコストダウンを図ったビジネス向けのX1turbo model40が258,000円で発売されました。
 同年の11月には、X1turbo model30と同じ仕様の廉価版モデルX1turbo IIを178,000円で発売しました。X1turbo model30と同じ仕様ですが、FDDの仕様が若干違うため起動しないソフトが存在しました。日本語百科ワードパワーやターボ博士レキシコンといったソフトが追加されています。ワードパワーは、約9万語の熟語を収録した拡張辞書ソフトでレキシコンは、BASICのヘルプソフトでした。ワードパワーは結構使った記憶がありますが、レキシコンは印象に残ってないですね。
 
 更に1年後の1986年の11月には、JIS第二水準漢字ROMを内蔵し、FDDを2HDに対応させたX1turbo IIIが168,000円で発売されましたが、翌月の1986年12月には、4096色同時表示可能なグラフィック機能とFM音源ボードを内蔵したX1turboZが218,000円で発売されます。X1turbo IIIにカラーイメージボードやFM音源ボードなどを搭載すれば、ハードウェア的には同等になりますが、オプションを搭載すると価格が若干高くなる上にX1turboZに同梱されたマウスやソフト類を考えればX1turboZのほうがお買い得でした。
 しかし、そのX1turboZも1986年9月に発表された16ビットの後継機(X1/turboシリーズとの互換性はありません)X68000の前には霞んでしまいました。
 1987年12月には、64KBの拡張RAMを搭載したX1turboZ IIが178,000円で発売されました。
 更に1988年12月には、X1turboシリーズの最後のモデルX1turboZ IIIが169,800円で発売されました。このモデルは、X1turboZ IIとほぼ同じ仕様ですが、外付FDD端子、データレコーダ端子、デジタルRGB端子等が削除されています。また、カタログには載っていないようですが、グラフィックVRAMが倍の192KBになっていたようです。何故このようなことになっているかは分かりませんが、TRS-80 Color Computerシリーズなどでもカタログに表示されたRAM容量より多いRAMのメモリモジュールが搭載されていることがあったようなので、昔からこういうことはあるようです。コスト的な問題などが考えられます。容量の少ないメモリのほうが安いとは限りません。現在でも何世代か前のメモリモジュールを買おうとすれば、希少なので容量が少ないのに値段が高かったりします。ただ、この時代は、SIMMのようなメモリモジュールでメモリを搭載しているわけではないでしょうし、低容量なら1チップで済むからそういうこともあるでしょうけど、基盤にチップを複数個搭載している場合には、コスト的な問題とは考えにくいですね。

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X1turboシリーズ
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IBM JX(IBM model number 5511) - 1984年10月発売(166,000円JX1~)

 IBM PCjr(IBM model number 4860)を日本向けに改良したモデルです。
 FDD無しで64KBのRAM、32KBのVRAMを搭載したJX1が166,000円、3.5インチFDDを1基搭載し128KBのRAM、32KBのVRAMを搭載したJX2が270,000円、3.5インチFDDを2基搭載し128KBのRAMを搭載し、拡張表示カード装着しVRAMを64KBに増やしたJX3が332,000円、3.5インチFDDを2基搭載し256KBのRAMを搭載し、拡張表示カード装着しVRAMを64KBに増やしたJX4が373,000円でした。
 IBM JXは、オーストラリア、ニュージーランドを含むアジア太平洋地域でも販売されたようです。
 
 JXのCPUは、Intel 8088(4.77MHz)です。一応、16ビットCPUですが、外部データバスが8ビットでクロックも16ビットCPUにしては遅く、システム全体として見れば、速度的に他社の8ビットパソコンとそれほど変わらなかったのではないかと思います。
 RAMは、JX1が64KB、JX2とJX3が128KB、JX4が256KBで最大512KBまで拡張可能でした。この辺りは、流石に16ビットパソコンという感じですね。VRAMは、JX1とJX2が32KBでJX3とJX4が64KBです。文字定義用に2KBのRAMを持っています。
 ROMは、BIOSやBASIC等に128KBと漢字ROMに128KBが搭載されています。また、PCjrと同様にROMカートリッジスロットを2つ持っており、ROMカートリッジを差すことも可能でした。ROMカートリッジスロットに英文モードカートリッジを挿入するとIBM PCjrの互換機として動作したようです。
 表示能力は、テキストが80/40文字×25行16色で漢字モードでは40/20文字×11行8色です。グラフィックは、VRAMが32KBで640×200ドット4色~160×200ドット16色で、64KBでは720×512ドット2色や640×200ドット16色などのモードが追加されます。
 サウンド機能は、8オクターブの矩形波3音+ノイズ1音です。
 
 PCjrと同様にキーボードは、赤外線ワイヤレスでしたが、チクレットキーボードだったPCjrとは違いタイプライタ風のしっかりとしたものになっています。
 後の人気ワープロソフトとなるジャストシステムの一太郎シリーズ(「jX-WORD太郎」含む)の前身である「jX-WORD」が1984年12月に発売されています。ちなみにPC-100用に開発された「JS-WORD」が元祖です。
 JXのフロッピーディスクは、3.5インチFDDの2DD(IBM PC DOSフォーマットなので720KB)です。
 当時は、5.25インチのFDDが主流でしたし、3.5インチFDDを搭載したパソコンでも日本のパソコンではディスクが読めなかったのではないかと思われます。日本以外の地域でも販売するパソコンだったので仕方がないかもしれませんが、当時の日本は特殊な市場だったこともあり、JXは商業的に失敗します。
 JXが発売された当時としては、PC-8801mkIIなどと比較すると、十分価格的に対抗できる性能を持っていたと思いますが、FDDが5.25インチじゃなかったことや640×200ドット8色という当時の日本のホビーパソコンでスタンダードだった解像度を持たなかったことが問題だったのではないかと思います。PC-8801mkIIに対抗できる価格だったとはいえ、日本ではソフトウェア資産が皆無なのに一番安いモデルが166,000円というのは、この時期のパソコンとしては高すぎたと思います。これなら、128,000円の日立MB-S1のほうがお買い得でしょう。翌年の1985年1月に8ビットパソコンの覇者となるPC-8801mkIISRが発売されたことも大きかったかもしれません。
 
 1985年には、上位機種のIBM JX5(model number 5510)が発売されました。価格は、Wikipediaでは不明となっていますが、当時の書籍(よいパソコン、悪いパソコン '87年 後期版)によると360,000円だったようです。
 JX4に比べ、CPUを7.2MHzの高速モードで駆動することが可能となり、RAMが384KBに増えています。

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IBM JX
(Wikipedia)
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レトロパソコン(基礎知識編)
レトロパソコン(機種別解説編) ~1970年代~
レトロパソコン(機種別解説編) ~1980・1981年~
レトロパソコン(機種別解説編) ~1982年~
レトロパソコン(機種別解説編) ~1985年~

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